【お詫び】作業場日誌に関するお詫び

 20映像です。
 本当に申し訳ありませんが、今回作業場日誌を執筆することができませんでした。関係する皆様方には深くお詫び申し上げます。
 と言って終わりにしてしまうのもどうかと思うので、この場を借りてその理由を申し上げたいと思います。ご興味のない方は今のうちに読むのをやめることを強くおすすめします。

 そもそも、私は日記を他人に見せるなどということはできればしたくありません。(厳密には日誌ですね、すみません)
 もちろん「日記」と一口に言ってもいろいろな種類がありますし、最初から人に見られることが前提であるものもあります。中には名作や古典なんかになって、長い年月たくさんの人に読まれてきたものも。現代ではnoteが人気を博していますし、コロナ禍もあって自分を見つめ直すことができる日記がブームになっているとも言われています。
 そんな様々な「日記」全体に共通しているのはやはり、書き手が日々の暮らしの中で考えたことや感じたことが綴られている、ということでしょう。それは、普通ならその人の胸の内でわだかまりながらもやがて溶けてしまうありふれた思いであるかもしれませんが、日記として記録され他人に読まれることで、共感や発見を生み出すこともあります。
 ですが私に限って言えば、別にそんなことをしたいとは思いません。というかしたくない。私の散漫かつ愚昧な思考が他人の目に触れるのは避けたいし需要もあるとは思えないのです。だからSNSはほとんどやったことがありませんし、たまに友人から「Twitterやったら?」とか言われると毎回「不特定多数の人に自分の投稿が見られるんでしょ?! 怖くない?!」などとおばあちゃんのようなことを言っています。
 じゃあお前なんで演劇なんかやってるんだよという感じですが、私は自分の思っていることを率直に言葉にするのが苦手なのであって、表現すること全般が嫌いなわけではありません。むしろ、はっきり言葉にできない代わりに絵とか音楽とか小説とか、それこそ演劇とかで遠回しに何かを伝えるのはわりと好きです。
 とにかく、私は日記を人に見せたくないしこういうブログ的な文章もなるべく書かずに人生を切り抜けていきたいと思っていました。プリズムに入ったらこういうものを書かなければならなくなるとは露ほども知らなかったのです。

 そして今回のテーマである「一年前の自分に伝えたいこと」。これも結構考えたのですが、無理でした。と言うのもまあ早い話が、どれだけ知恵を絞り頭を抱えて呻吟しても全く考えが浮かばないのです。
 そもそも、今の私から一年前の私に伝えられることがありません。
 去年から変わったことといえば大学生になって何ヶ月か一人暮らしをして一応サークルとバイトも始めて…とこう書くと結構変わってる感じもしますが、オンラインだと大した手応えもないわけでして。
 現状を事細かに説明しても絶望されるだけでしょうし、「楽しいよ!」とか言ってもウソくさいし、この一年の間に新たに身につけた見識が特にあるわけでもないし。
 何をどう伝えたとしても、一年前の私は曖昧で不完全なヒントに怯え、軽いノイローゼに陥る気がしてなりません。生まれつきそういう性分なので仕方ないのですが。情けない。

 以上が、今回私が作業場日記を執筆できなかった理由となります。全く論理的でない「理由」をグダグダ述べ立てたことでさらに皆様のお怒りを増幅させてしまったような気もしますが、何卒ご容赦ください。仕事は頑張りますので……

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