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演劇用アカウントです。

初めまして、19照明の立石です。 照明は仕事が一段落し心に余裕が生まれたものの現在も寝不足の状態が続いているので文章が読みにくかったらごめんなさい。 さて、今回のテーマは「大切な景色」らしいですが、僕がこれを聞いて思い浮かべたものは昔はとても仲が良かったものの今はもう会えなくなってしまった友達やもう引退した部活の風景だったりします。 これらの共通点はもう失われたものだということです。 中高の一般的な部活とは異なりプリズムは年3回の公演に基づいたコミュニティです。公演の日程から逆算してスタ会が組まれ小屋入り期間中は忙しくなりますが、公演が終われば暇になり座組とも会わなくなるという感じです。プロデュースに呼ばれまくるという事がなければ演劇とは一定の距離を保つことになるでしょう。さらに、夏公演では3学年、秋公演では2学年、新人公演では1学年のみで構成されており、見える光景も毎回変わります。 そのため、プリズム自体は引退していなくても公演が終わる度に今あったものが失われる感覚を味わうのでしょう(夏公演でもそんな感じでした)。 一方で、引退した後も自分がある程度主体的に行動すれば演劇にはコミットし続けることができます。 そのため、演劇という存在はたくさんの始まりと終わりを繰り返しその度に大切な景色を自分の中に残すのです。 言うなれば、公演期間の始まりと終わりはツイッターのアカウントを切り替えるようなものです。 今回の公演で見たものも小屋入りが終われば大切な景色となっていくのでしょう。素晴らしいことですね。 なんて言うわけねえだろバーカ。 小屋入り早く終われ。 早く彼女とデートさせろ。 19照明 立石陸

二徹明けはとっても眠い

こんにちは、18小道具の丸野です。作業場日誌には初登場です。照明のイメージが強いかとは思いますが実は小道具の人でもあります。以後お見知り置きを…。 さて、今回のテーマが「大切な景色」ということで私も大切な景色について考えてみました。 1番最初に思い浮かんだのは地元の大きなホールにある調光室からの景色です。当時高校生だった私は今で言うところの照明チーフ・プラン・オペを全て兼ねた状態でした。セクション員は私。それと本番中にピンスポットを動かしてくれるお手伝いの後輩が1人。それだけです。小道具はセクションとして確立されていた訳ではなく、私が勝手に集めて提供していたことも覚えています。その異常な仕事量の結果、そのホールでの1回きりの公演の日、私は二徹明けでした。プランを組み直し、納得がいかず白紙に戻し、また1からプランを組み、きっかけ表を作り、小道具を作り、修理し…そんなことをしていたら公演当日の朝になっていました。変わらない追い込み体質。変わらない社畜気質。正直もう演劇はいいかなぁ、辞めようかなぁ、と思っていました。これだけ働いたんだもの、もう悔いの残りようがない。そんな気持ちでホールに向かいました。 公演の前後も調光室から指示出しをしていたはずなのに、その部分はほとんど覚えていません。でも公演中のことはなぜだかとてもはっきりと覚えています。最初は暗転。開演のアナウンスがあってインカムが来て、客電を落としたら緞帳が上がる。緞帳が上がりきるまで既定の秒数を数えてから明転。そこで同期の役者が最初の一言を言う。その瞬間、まさに文字通りはっと目が覚めました(二徹明けは眠い)。 自分で集めた小道具を使う役者を、自分で作ったプランの照明で照らす。純粋に楽しい、と思いました。このあとしばらくは演劇を辞めないだろう、とも。そしてその予感は見事的中して今も社畜だのなんだのと言われながら演劇を続けています。 小道具はなんとなくおまけみたいな扱いをされがちです。それは自分でも分かっています。数十分程度の公演に、なぜそこまで労力を注ぎ込んでいるのだろう。なぜずっと小道具セクションにいるのだろう。なぜ演劇を続けているのだろう。でも、あの場面で使ってたアレかわいかったよね。アレってこういう意味だったのかな。それくらいでいいから、そんなものでいいから、少しは来てくれた皆さんに影響したっ

ちょっと覚えているだけの話

こんにちは。音響19の佐藤理子です。 今回の作業場日誌のテーマが、「大切な景色」ということで、色々と考えました。皆様の日誌も読ませていただきまして、皆様の語彙力と文章能力に圧倒されて本当に色々考えました。何を書いてやろうか、何をどう書いてやろうか・・・・ 諦めました。頭に浮かんだことをそのまま書きます。どうか皆様が理解してくださいますように!   さて、私の「大切な景色」についてですが、正直なところありません。 これで終わりますと言いたいところですが、せっかくなので少し考えを書いてみます。   私が考える「大切な景色」は、何か家族と良い思い出がある場所だとか、自分にとって思い入れのある場所、友達と何か必死に頑張った場所・・・。そんな、心にずっと引っかかっているような場所だと思っています。   でも、そもそも私にとっては、「大切」とは、なんです。「大切」にしていたモノが消えてしまった場合、時間が経てば「大切」にしていた気持ちもなくなっていませんか??例えばそれが人間に対する気持ちだったなら、もう考えないようにしたり、二度と同じ過ちを犯さないようにと思考を巡らせたり。それが本当に物体なら、いつの間にか忘れていたり。   人間が永遠のものではないから、人間が思う気持ちも永遠ではない。だから、「大切」とは、って考えてしまうんです。 だから、この日誌で書くような「大切な景色」がないんです。 あの時、こんなことがあったなーと思うことはいくつかあるんですけどね、大切かと聞かれたら何か違うんです。   さて、そろそろ私絶対この作業場日誌書くのに向いてねえなと皆様も私も気づき始めたことでしょう。慌てて軌道修正いたします。そして尺的にまとめたい。   あくまで演劇に噛んだ話をしたいので、中3の頃一年間だけ入った演劇部の「景色」を書こうかなと思います。   私が中高の演劇部でひたすら印象に残っている景色は、発声練習です。   私の学校は、幼稚園からある学院で、学院の形としては、手前から幼稚園があり、小学校があり、奥の小高い丘の上に中高(一貫校)がある、という形でした。中高から学院が一望できる程度には、こじんまりとしています。   役者は特に、朝の発声練習をしていました。小学校から中高にいくため

ぼくのさんぽ

こんにちは、映像19の平田と申します。 テーマ「大切な景色」について少し考えてみました、演劇とは少し無縁ですが、よかったら読んでいってください。 僕は週に最低一回は散歩をすることにしています。自分の時間をとるためです。散歩中はスマホを極力見ないようにして、自分の行きたい道を進みます。通ったことがある道だけでなく、通ったことのない道も、冒険したい気分の日は通ります。散歩は僕にとってとても重要な習慣です。なぜ散歩をするのかというと、理由は二つあります。 一つ目は、先ほどの述べた通り、自分の時間をとるためです。大学で忙しかったりすると、ずっと何かをしていて、じっくりと自分の状況を見つめる時間が無くなります。それが長い時間続いてしまうと、いつの間にかストレスがたまっていて、毎日が苦しくなって、でもそれを当たり前のように感じてしまうようになります。そうならないよう、散歩して、今の自分を見つめて、自分が今何をしたいのか、何をすべきなのかを考えます。 これを「自分の時間」と呼ぶのには理由があります。例えば、僕は娯楽としてゲームなどをやりますが、それは「自分の時間」には入りません。一般的には、娯楽など楽しいことを「自分の時間」と呼びますが、僕が考えるに、娯楽の時間は単に娯楽の時間で自分のためにはないものだと思います。ゲームをやっている最中の僕は何も考えずに、ただただ画面に向かっているだけです。それは自分のための時間ではないと思います(しかし必要な時間ではある)。だから散歩を「自分の時間」と呼ぶのです、本当に自分のための時間だからです。 二つ目の理由は、そしてここが「大切な景色」と関係してくるのですが、散歩は僕の思考を刺激するからです。散歩しているとき、特に自分について考えることのないときは周りの景色を眺めています。街を歩いて周りを眺めるだけでも、いろんなことが頭をめぐります。例えば前町を歩いているとき、こう思いました:「このマンションも、この病院も、全部人の手で作られたんだなー。」我々を包む構造物はすべて人間と人間が作り上げた機械によってできています。その構造物ができるまで何人の手が加わったことでしょう。その人たちの仕事によってその構造物ができたわけです。当たり前のことなのですが、実際にそれを実感することは皆さんあまりないと思います、とて

僕が演劇をする理由

演劇をする理由?なんと なくですね。 こんにちは、制作 19 の池松です。 僕は他のセクション(照明)と兼任もしていて制作の仕事に専念してるっていうわけでもないんですが、一応積極的な理由で制作をやっています。 お客さんが、芝居の中身じゃなくて、会場運営とかそういうのに気が取られてしまう、とか、そもそもお客さんが来ないとか、そういうのがあると折角芝居の質が良かったって芝居は評価されない。アンケートにもその関係のことばかり書かれたりとか、ツイッターで叩かれたりとか。芝居は面白いのにそんなことになったら悲しいでしょ? だからです。 芝居を守るような役割なんしゃないかな。 知らんけど。 さて、テーマ、「大切な景色」でしたっけ? 僕の父は転勤が多かったので、今まで住まいを転々としてきました。どの場所も思い出深い場所です。とりわけ小学生〜中学生で住んでいた中国上海は、今ではなかなか行くことができないということもあって、かなり頻繁にその風景を思い出します。 この前の 3 月に旅行で上海に行きました。 住んでいたマンション、行きつけだったスーパー、通っていた学校。 変わっていました。住んでいたマンションの前の道では地下鉄の建設工事が進んでいました。スーパーではキャッシュレス化が進んでいました。(さすが中国ですね変化が激しい)でももっと根本的(?)に、あの頃見ていた風景とは何かが違う気がするんですよねぇ。なんででしょ? なんか住んでいたマンションを見ても、やたらと奇抜な形だなぁとしか思わないし、スーパーに行っても、日本へのお土産くらいにしか目がいかないんですよね。通ってた学校なんてそもそも入れないし。いやそもそも、思い出す景色って、そういうところってよりも、道端の看板とか通学バスから毎日見ていた車窓とかなんですけど、そういう何気ない景色ってもう何気なくないんだなぁというか。僕の中から、住人としての視点が既に失われていたんでしょうね。 結局、大切な景色ってその場所にあるんじゃなくて、もう心の中にしかないんだなぁと思って、寂しくなりました。 あ、演劇とは一切関係ないです。 19制作 池松

マクミランわこの認定書

おはようございます!全国の朝に元気と幸福を。 19 宣美の岡本飛鳥です。 この夏は大看板製作の仕事を進めつつ、母方の祖父母宅、父方の祖父母宅への帰省も果たすことが出来ました。去年は受験で行くことが難しかったので、久々に大好きな故郷の景色を堪能することが出来て嬉しかったです。 ところで、皆さんの故郷はどこにありますか?いくつありますか? 故郷というものは必ずしも1つや2つだけではない、と私は思うのです。 … 故郷認定、なるものをしておりまして。 私が。個人的に。 まあ簡単に言うと、生まれ育った土地の他にも、年を経て馴染み深い土地となった場所を第ニ、第三の故郷として迎え入れようという取組みです。 出身地である西宮が第一故郷。第ニ、三故郷が、祖父母宅がある吹田と札幌(順不同)。そして今住んでいる町は第四故郷に当たります。 他にも、よく遊びに行く隣町は第五故郷だし、最近だと母校(高校)の周辺も第九故郷として認められました。判定は結構ガバガバです。大切なのは私の心に馴染むかどうかなのでね。 だからこそ、一度しか行ったことがない場所でも認可が下りるパターンがあります。 奈良県は明日香村。 自分の名前と同じ村だ!という親近感から、いつかの正月に訪れたことがありました。そしたら … 、初めて来たはずなのにまるで自分が長年過ごした土地の景色を眺めているような、そんな感覚を覚えたのです。それはもう故郷といって差し支えないのではないのではないでしょうか? 飛鳥寺も岡本寺もありましたよ。(すごくね?)なんなら舒明天皇がその地で営んだ宮廷は飛鳥岡本宮ですよ。(マジですごくね?) 今では私の第十五故郷です。いつかもう一度行けたらいいなぁ。 若干話が逸れた気がしないでもないがまあ何、故郷が沢山あるのは幸せなことだと思います。 心を寄せる場所が沢山あるということだからです。 行く度にその景色を懐かしんだり。昔と変わったところを見つけたり。親しい人と会えたり。また行きたいと思ったり。そんな事を考えてる時間は幸せ以外の何者でもありません。 私の心の中にある、十や二十の故郷に、何百、何千もの景色。そのすべてが私にとって大切な景色であり、今此処にいる私を私たらしめているのだなあと思います。 これは

私の中高を捧げた「演劇」

演劇サークルの一員として書く「大切な景色」となると、どうしても演劇関連のこととなってしまいますが、私にとってそれは高校の演劇部を引退した時の景色です。 中高一貫校だったので、 5 年と少しの間所属していた部活でした。部活以外も同輩の演劇部員とばかりつるんでいたので、私の中高時代を象徴するものはまさに演劇部だったと言えます。 しかし、そんな演劇部に入ったきっかけは、見学に行ったときに 演劇部の先輩に顔と名前、最寄りの駅を覚えられてしまったから、というかなり消極的なものでした。 断れなかったんですね。 そんな始まりでも今となっては演劇部に入っておいて本当によかったと思う日々です。 先輩に憧れ、同輩に刺激され、後輩に気づかされ、という環境下で皆と劇をつくっていくうちに、自分はどんどん演劇というものが大好きになりました。何回も公演を重ね、失敗を繰り返して、あっという間に自分の引退公演となり。 今までやりたかったことをたくさん詰めた劇にしたい!と張り切って取り組みました。部長という立場にいたので、本番までは決めなくてはならないことがたくさんあったりして、本当にこれでいいのかと不安になることも多かったけれど、自分が最後のセリフを言って公演を終えたときは、なににもかえられない高揚感と達成感がありました。そのカーテンコールのとき舞台から見えた後輩たちの頼もしい背中とお客さんの笑顔は一生忘れないと思います。 最後だからと言って全てが成功したわけではないし、皆に褒めてもらえたわけではないけれど、引退公演で自分がやりたい劇を部員全体で作り上げられたことを嬉しく思っています。 そのとき受けた駄目出しをばねにして、これからの新しい環境での演劇生活を送っていきたいという気持ちです。がんばるぞ! 19衣装 谷内ななみ

演劇をやる理由はない

 暦の秋涼を突き放すような暑さの中、皆様いかがお過ごしでしょうか?19の舞台&映像&Webの杉原です。今回のテーマは「大切な景色」らしいですが、よく分からないので気にしないことにします。  最近、先輩や同期からよく「なぜプリズムに入ったのか」と聞かれます(経験者でも無い上に、全然観劇行かないので無理ないですが)。その度に適当な理由をでっち上げていますが、実際は「なんとなくやりたかった」が一番近いかな、、、と思います。  ここで急に話を一般化しますが、僕は目標を定め、その到達の為に選択肢を逆算するのが嫌いです。人間最期は皆同じ結末な訳ですから、選択とは、集積すると個性を失うものだと言えます。となると、どんな大層な目標も所詮はその集積の中継地点でしかなく、逆に言えば、集積されていない、離散的な一つ一つの選択そのものにこそ、真の個性や価値が垣間見える訳です。ですから、選択を目的のための手段としか見ないのは悲劇です。  生きる目的が見つからずに悶えるのもいいですが、生きていない状況を経験し得ないのにそんなもの探すのはそもそもナンセンスな気がするので、今この瞬間の自分にとって比較的意味のある選択を行っていれば、まぁそれでいいのかなって思ってます。だから、優柔不断って美徳ですよね。選ぶことを大事にしてるってことだと思います。そうすれば、大切な景色もいずれ出来るのでは???(?)     だらだら書きましたが、要はプリズムの入舎フォームが送られた時、「いいな」って思った、ただそれだけが理由で、その背後に特に目的は定めてない訳です。カエルみたいに単純な理由ですが、劇団が楽しいと今思えているので、それで十分だなと感じます。あ、叩きも楽しいですよ!!(作業場要素) プリ19  杉原

最後くらいは格好付けて

みんな言ってることだけど、映像で門って全然書けなくて。私、映像のことちゃんと好きだったのに。なんて書けばいいか分からないなんて。しょんぼり。テーマ決まったときには、もう少し書けると思ってたのにな。 代わりにと言ってはなんだけれど、少しばかり私の話を、ひとりごとを、聞いてほしいと思う。 夏の足音。そろそろと近付くような冬の足音とは違って、元気よく駆けてくる足音。私はこの夏の足音が好きで、そして同時に嫌いだった。だってその後のことを考えてしまうから。 生温く纏わりつくような風。耳を塞ぎたくなるようなかしましい虫の声。立っているだけでかく汗で湿ったTシャツ。不快なことこの上ない。 でもそれが、いつからこんなに待ち遠しくなったのだろう。みんなと作り上げるこの夏が。この不快さも、不快だと笑い飛ばしてしまえばもうそれだけで十分だった。 十分だった。 もうそれも終わり。これで終わり。 私はこれを、いつから私の居場所を守るものだと思っていたんだろう。これは私を締め出すものだ。時折私をこの居場所に縛り付けるものだと思ったことさえあったけれど。これは、劇工舎プリズムという私の居場所だったものから追い出すものだ。気付かないふりをしていただけだったのだ。 さようなら、これから私が思い出すことがあるのか知らない、きらきらした夏たち。 さようなら、いつか思い出すことのなくなる大学生最後のサークル活動。 さようなら、この陳腐な挨拶しか残すことの出来ない、残しようがないものたち。 2年前門を叩いた私は、自分の手で門を閉める。 だから、ねえ。あなたのその目で見届けて。私がゆっくりと門を閉めるのを、ちゃんと。しっかり閂までかけるから。見ていて。 映像 17 萩原

思い出。

 私たちの引退公演である劇工舎プリズムの第72回公演も、もうすぐである。2週間後には、もう全て終わっているのだろう。 さて、劇工舎プリズム第72回公演は『門』という題名だが、「門」という言葉には、様々な意味がある。いくつか述べると、出入り口、一派・流れ、ある事のために通らなければならない過程、家など、本当に沢山の意味がある。  話は変わって、プリズムでの思い出を振り返ってみようと思う。  2年前の5月、私はプリズムに入った。先輩方はとても優しく、わからないことはすぐに教えてくれた。夏公演では3つほどセクションに入っていたけど、小道具では座布団カバーを作った。自分の作ったものが舞台上に上がってるのを見て、すごく嬉しかったのを覚えてる。秋公演では、木の実を準備した。先輩方読んでいらっしゃるかわかりませんが、木の実、先輩方にアイディア出していただいて本当に助かりました。新人公演は、アンドロイド2人の髪飾り、だったな。実は、小道具管轄だったんですよね。ネットで買い物したの人生で初めてで、色々なれてなかった。   1年前、後輩が入ってきた。1年前の夏公演は、役者メインで活動していてあんまり18との関わりが少なかったかな。秋公演で、漫画とかプログラムとかの紙担当だったな。この辺から18との関わりが増えていったかな。けれど、先輩のすがたを見せることができたのだろうか。私は、先輩方から教わったことを後輩へ伝えることができたのだろうか。と不安であった。今まで、長年続いてきた、プリズムの「流れ」を。でも、後輩の新人公演を見て安心した。18だけで公演が打てるほどみんな成長したって。プリズムの「流れ」が後輩にも、続いていくって思った。    今、振り返るとプリズムは、やさしい「家」のようなものであったと思う。楽しいことも苦しいことも分かち合う。一緒に笑ったり、相談したり、時には意見が合わず対立したり。本当に沢山の思い出がある。その家族のような仲間と力を合わせてひとつの大きな作品を作る。こんな体験は私が成長するために必要な「過程」であったと思う。  そして、今、わたしは、プリズムの引退という「出口」の前にいる。いや、次のステップに進む「入り口」でもあるかな。プリズムからの引退という「門」を気持ちよく通り抜けるよう、あと2週間弱、頑張っていこ

毛玉

18小道具です。 門を考えます。 門って空間を2つに分けます。内と外。 しいていえばもう1つ、うちと外の間 … (無理やり話を進めるのがコツ…) … ちそ? (内外、う「ちそ」と、地租じゃないです) ちそは内と外のどちらにも属さずにひっそり門と一緒にあります。かわいいな。どこでもない場所がこんなに近くにあっただなんて。大発見ですよひーちゃん だからといってぐいぐい来ることもなく、ちそはこっちを見てます。ちろり。なんと慎ましいことよ。お茶飲んでる暇はないぜひーちゃん、ちそをなでなでしよう さあさあところで! どこにいるのか分からなくなったときには、どこだか分かるところと、また別の名前のある場所の間にいるのかもと思いました。 私は今大きな門の下にいます。 名前のある場所に行きたいです。 でも段々門の下から出たくなくなったりしたりしなかったり。1マス戻る。 一人ひとりの門で出来た小屋です。ぜひお越しくださいませ。ちそのふかふか毛玉ご用意してお待ちしております故。 プリ18小道具 野口

衣装部より

こんにちは。 劇工舎プリズムの衣装部です。 今回のテーマは「門」 ちょっと。あの、無視します。 2年前、なんとなく足を踏み入れた劇工舎プリズムという世界。 そこは思い描いた場所とはちょっと違くて、おっとぉ..?これは間違えたかしら?と少し思ってしまうような、そんな不思議なとこ でした() webチーフが、プリズムは家族のようだと言っていましたが、私も本当にそう思います。なんせ、申し訳のないくらい微々たる協力しかできない私(放浪癖のある姉くらいな感じ?迷惑だけかけるやつ的なね)に対し、顔を出せば「あ!ののすけ〜!」と声をかけてくれる人がいて、ちょっと衣装を持っていくと、「すごい!天才!!」と褒めてくれる人がいるんですよ。なんて優しい世界... 正直何度も心が折れそうになったけれど、優しい先輩や愛情あふれる同期にたくさん甘やかしてもらって、心強い後輩たちを見ていたら、今ここにきて、やっぱり間違いでなかったと、本当にそう思っています。 と、エモに浸るのはまだ早いのでこの辺りで、支え続けてくれたあーみんへ、パス!! ののちゃんからバトンをもらいました、あーみんです。 そういえば初めての作業場日誌もののちゃんと2人で書きました。懐かしいです。 衣装セクションは役者の皆さんと関わることが多いです。役者さんはとにかくキャラが濃くて(いい意味で笑)色んな人がいますが、ファッションやメイクに関心がある人もない人もいます。そんな中で、抜群の?センスを活かして役者さんに合う服やメイクをチョイスしていきます。衣装を褒められたときはもちろん嬉しいですが、その衣装をきっかけに役者の人が服やオシャレに興味を持ってくれるのも嬉しいです。私は可愛いものもかっこいいものも大好きなので、それらを共有できる人が増えるのはとてもワクワクします。某役者さんと衣装の引き取りをかけてじゃんけんしたのもいい思い出です。残念ながら負けたので可愛いラルフのシャツは彼のものとなりました。多分私の方が似合ってたと思います。嘘です、たくさん着てあげてください。 服やメイクで沢山の人と仲良くなれることがわかったプリズム生活でした◎7割くらいは楽しかったかな!というわけで「門」の衣装にも注目してみてください! そうだ、「門」をかいたのは、あーみんとじゃんけんし

ここまできたなら仕方ない。

タイトルは本チラシの煽り文からお借りしました。あの文、妙に好きです。 17 の某音響民です。 今回の作業場日誌のテーマは「門」ということで。難しいですね。あまり気にせず書いちゃおうと思います。 演劇について右も左も分からないまま、声をかけてくださった先輩にホイホイとついていって、劇工舎プリズムの門を叩いてから早 2 年だそうです。ゆるーく生きてきた自分がまあよく続けられたものだなと思います。 先輩に後輩に、仲間に恵まれた日々でした。やめときゃよかったと思ったことは何度かありましたが、やめたいと思ったことは 1 度もありませんでした。演劇そのものが好きという以上に、劇工舎プリズムが好きで今までやってきました。勇気を出して入舎連絡の送信ボタンを押した 2 年前の自分をほめてあげたいと思います。まだ早いかもしれないけれど。 笑う門には福来たる。笑顔で門出を迎えるためにあと 3 週間、真剣に音と向き合っていきたいです。心から信頼する同期、頼もしい後輩と一緒なら、きっと良いプランができます。乞うご期待です! なんだか妙にしんみりした、かっこつけたような文章になってしまいました。私らしくないです。というわけでここからは私の令和の初夢の話をします。 我が家にはカメが 4 匹います(これは本当です)。しかしある日、その中にいつの間にかウミガメの赤ちゃんが混ざっているのです。かわいい。これを見つけた私たちは大慌て。とりあえず近所の川に放しに行こうとするのですが、「いや普通に考えて川じゃダメだろ」となります。そして海を目指す、というところで夢は終わってしまいました。 あの赤ちゃんウミガメが無事に海へ旅立てたのか、気がかりでなりません。

門で書くのは厳しいです…

今日は制作が書きます~ 今回のテーマは「門」! 制作と「門」で思いつくことは正直ありませんでした。ごめんなさい。 無理に結びつけるなら、制作にとって一番身近な門は炊事門かなぁという感じです… 意外と知られていない仕込みの時間の制作の動き。舞台仕込み中は昼休みの準備をしたり、照明仕込みの準備をしたりしています。お弁当を受け取りに行ったり、足りないものの買い出しに渋谷に走ったりするときに炊事門を通っていきます。個人的に私は駒小から炊事門までの道のりの森感が好きです!台風の次の日に駒小に来たときは、倒木で通れなくなっているということもありましたが… (そもそも駒小の行き帰りに正門を通るので、一番身近な門って制作も正門なのでは?…と書いてから気がつきました。) 門で話を広げるのに限界がきたので、まとめに入ります。 今回の夏公演は17から19まで、制作セクションに沢山の人が入ってくれました!引退公演で一緒に仕事をしてくれる人が沢山いることがすごくすごく嬉しいです。 制作の仕事はみんなでした方が絶対楽しいですからね! 最後に、 今回はたまたま同期制作が全員、生物選択ということで、この作業場日誌に動物界脊索動物門哺乳綱霊長目ヒト科ヒト属ヒトというのを使うという約束でしたが、できませんでした。すみません。これについては、このあと作業場日誌を書くであろう17照明チーフと舞美に託そうと思います。頑張ってください。 ぜひ公演を見に来てくださいー!

長文なので前半だけでも

テーマは「門」だときいて、いくつかのことばが思い浮かびました。「狭き門より入れ」、「門前の小僧習わぬ経を読む」、「登竜門」、「前門の虎、後門の狼」、「忍の一字は衆妙の門」、「門外不出」、「門出」などなど。まじめに高校までの国語の授業を受けていてよかった。これらにあくまでも個人的に、宣伝美術的な解釈を施してみました。解釈違いをしているかも知れないけれど。 ・「狭き門より入れ」 インフォメ(公演の文字情報)とどうせそのうち汚れる背景なら、インフォメにこだわれ ※インフォメの鬼と化してもなお、修正の手は休まらぬ。 ・「門前の小僧習わぬ経を読む」  舞台がやっているのを見ていたから、看板に脚を付けたり、ベニヤ板をカッターで切ったりするくらいなら出来る  ※舞台さんいつもありがとう。 ・「登竜門」   2 年生の夏公演で大看板プランナー ※これは正直あまりいい例が思い浮かばなかった。 ・「前門の虎、後門の狼」  大看板ができあがってもまだコタテ(道案内看板)とヒサシ(ホール入口用看板)の塗りが待ち受けている  ※自分の担当のものだけ作れば終わりというわけではない。 ・「忍の一字は衆妙の門」  つらくてもがんばって塗ってりゃ、ゆーていつかは完成する  ※たとえ火(日差し)の中、水(雨)の中。くじけることなかれ。 ・「門外不出」  本当は他劇団の人がいる叩き場で塗りの進捗の愚痴を言ってはだめなのかもしれない…  ※愚痴を聞いてくれた各方面に感謝と謝罪の気持ち。 ・「門出」  引退後、プロデュースでも宣伝美術。 ※私の場合、現在予定なし。たぶんこの先も、なし。 もう引退するというのにふざけてばかりもいられないので少しまじめなことも書きます。ここまで読んでくださった方ならおわかりいただけたと思いますが、私は基本看板しか作ってきませんでした。自分のデザインはもちろん他の人のデザインでも、なんだか知らないが気づけば塗ってばかり。公演の仮チラシは作ったことがありますが、当日パンフレットや本チラシなどは作ったことがありません。ひどいときにはそれらの大変さが微塵もわからずに、「デザイン作るだけ作って、印刷して実際に形にしてこの世に生みだすのは業者に丸投げじゃねえか」と内心毒づいたこともありました

離れ離れになるってことは 一度は一つになれたかな

そろそろ作業場日誌の季節がやってきました! こういう時に見本になるよう切り込み隊長を務めるのは当然webセクションで……とは言え引退に及んでwebらしいことなんて何を書けば良いのやら。というのも何か貢献できたなどと慢心する余地もなく全てひとえに周囲の尽力あってこそだからです。天才先輩方、本当に本当にお世話になりました。優秀な後輩たち、たっぷりの期待と信頼を寄せています。一緒に頑張ってくれたあーみん、心から感謝を。 ところで今回のタイトル『門』というんですけれど、門って出入りを許す口であるくせに内と外の空間を明確に区切るよという強い意志がある面白い構造物ですよね。神社の鳥居なんてあんなデーンと佇んでるだけなのに門としての役割はきっちり果たしてるなんて痺れますね。カッコいいですね。こうなってくると門ってテーマだけでレポート書けちゃいそう!とまぁそこでレポートじゃなくて脚本を書いて上演するのが劇工舎プリズム一門です。なんちゃって。 プリズム以外のサークルを経験してないので正確なところは分からないんですけど、演劇サークルって同期先輩後輩問わず人と人の距離が近いというか、親密度が高い気がします。友達ってより家族に近い感じ?と言うのが個人的にはしっくりくるんですけれど。衣食住を共にしてるのだから実質家族みたいなところありますしね。だからやっぱりプリズム一門って名乗るのは良い具合だなぁと思います。私がそのぐらいプリズムが好きって、ただそれだけのお話でした。ちなみにタイトルは好きなアーティストの比較的新しい曲の歌詞からです。 劇工舎プリズム第72回公演『門』 良いものになります、確実に。 紅茶

よくわかんなくなった。

こんにちは。照明です。 照明に求められることって何だろうな、と考えることがごくごく偶にあります。演劇と縁のない人生を送ってきた自分にとって、このサークルに入ったのも、このセクションに入ったのも、なんとなく、以外のなにものでもありません。 そもそもサークルというものへの接し方から、わかっていない気がします。食欲、睡眠欲、帰宅欲でできているわたしは、家で伸びているのがなによりもすき、かつ向いていると思います。利害の一致。好きこそ物の上手なれ。あ~~小屋入りヤダよ~~と泣きつきながら家を出て、駒場にきた瞬間から帰りたいマシーンと化す。いつもごめんネ … とは思いつつ、だって帰りたいじゃん。目指せ終電切り。目指せ残作業ゼロ。こんなスタンスで生きているのに、なぜ安くもないノルマを払い、なぜ交通費をかけて駒場に足を運び(泊まっていればよいもののわざわざ交通費を都度かけて帰宅と来校を繰り返す日々)、なぜ健康で文化的な最低限度の生活の最低限度を探求するのか。 なぜ。 なんでここで数十分の公演を作ろうとしてるんだろう。 なんで。なんで。 どういう気持ちで生きていたいんだろう。それを知りたくてまだここにいたいのかなあとも思います。よくわかんないけど。たぶんそんな綺麗な感情でもないけど。たぶん惰性。よくわかんない。 そんな中で、照明セクションに求められることって、なんでしょう。一セクションとして、しゃしゃり出るべきじゃない。それでもなんとなく、照明なんか今のよかった~って公演中頭をよぎってほしい。公演終わるまで残っていてほしいとは言わないから。でも一瞬でいいからお客さんの頭の片隅をお借りしたい。アンケートにわざわざ書かれたいとは思わない。でも、でも、あ照明って思われたら、それだけで報われるんじゃないかと思います。演劇という文化はゴールも正解もないし、わたしたちは得点や一番になることを目指すのでもない。受け取り方はそれぞれで、何がどう響くかはその人、状況、心理状態によって変わるのだと思います。そういうものを提供するにあたり、ココ照明!!ミテ!!コレ!!ガンバッタ!!というのは自分は違うとおもうのです。だから会場に足を運んでくださった方々のたったひとりの、 1 秒に満たない時間でいいから、もしも照明が心をひとつまみ掴めたなら、わたしたちは存在してきた価値があ

楕円的叩き

こんにちは。舞台1年の中西です。 先日、発酵と経済をテーマにした雑誌を読みました。真円のような潔白な世界ではなく、焦点が2つある楕円的な世界を提唱するアクロバティックな内容でした。楕円の二焦点が、菌と資本主義だというわけです。 世界が発酵と経済から成り立っているかは知りませんが、軸を2つ据えるという考え方はしっくり来ます。 一見相反するようなものも、両方大切にし両方叶えることができるし、そうするべきだと思うことが多々あるからです。 舞台は、楽しいけど大変、大変だけど楽しいセクションです。 ひと月叩きを続けていると、ちゃんと・地道に・まじめに作業をするということと、楽しむということが、全く相容れないもののように感じることも(時に)ありました。だけど、作業をすればその分進捗が生まれるし、丁寧に脚を叩けばその分直とりも早くなる。気持ちに余裕ができ、叩きを楽しむことができるようになる。この一か月を振り返ると、楽しいと大変がちゃんと両立していたように思います。 楽しさと大変さが両立するって、貴重なことではないでしょうか。

※この映像はイメージです

こんにちは、映像18の船曳です! 私はほぼ毎日叩き場にいるのですが、そこで他劇の方に「18舞台屋はプリズムっぽいね」と言われることがあります。 はて、『プリズムっぽい』とは? 聞いてみると、『家族』『のんびり』『優しい世界』など、皆さん色々とイメージを持っているようですよ。一体どこからそんなイメージがやって来たんでしょうね~ でも、イメージってそんな言葉一つで伝わるものではないですよね。言葉だけだと、相手の頭の中にあるものに置き換えられてしまいますから。例えば『家族』という一言だけでは、『絵に描いたような仲良し家族』かもしれないし、『血は繋がっていないけど、盃を交わすと兄弟になれるんだ!な家族』かもしれないし、『親の再婚で出来た弟は同じクラスの気になるアイツで—!?な家族』かもしれないですよね。 言葉だけでは伝えきれない、そんなときに一番適しているのは我がセクション映像ですね!!!視覚は人間の情報入力の8割を占めるといいますし! 作演の思い浮かべる情景を、役者たちの背景を投影する映像セクションのお仕事はとても好きです。でも、なかなか思ったように映像を作れません。まだまだですね。作演のイメージに沿った映像を作れるよう、これからも精進していきます! それでは、3/3,4駒場小空間にてお待ちしております。 映像18    船曳

不自然

こんにちは、18小道具野口です。 突然ですが、場所に対して自然なものよりか不自然なものの方が印象に残ること、あると思います。 「自然」は例えば、玄関に靴が置いてあっても特に気にならないなということです。逆に「不自然」は、ディズニーランドから出てきたであろう人が住宅街の夜道でカチューシャをしていたら、見ますよね?ということです。これはどちらかというとカチューシャをしている側の気持ちにぐっと来そうですね。 …恐ろしいですね。気をつけたいものです。 マイベスト不自然は、高校生のとき最寄り駅から家に行く歩道(広めの二車線道路の隣にあり歩行者用と自転車用に分けて線が引いてある)の脇に冬瓜が落ちていたことです。しばらくあったのですが、だんだん朽ちていきました。その時期は学校帰り自転車でその道を走ると何となく土に還っていく冬瓜を眺めたものです。冬瓜であるのがなんとも良かったです。 ちなみにその道には豆腐や葱も落ちていたことがあります。鍋でしょうか。 特にこの作業場日誌に重大な発見はないのですが、印象に残る方法は様々だなという教訓を得ました。得たことにします。印象に残らなきゃいけないということではありませんが、一つの方法として。道に冬瓜が落ちているのが日常である人が大多数だったら先に述べた状況は不自然に写らないでしょうから、「共通の自然」も加えて必要になってきます。何か自然で何が不自然か、いろいろな規模・方向の視点から見ていくのも面白そうです。 …不自然な世界の中で一つだけ自然なものがあったらそれは自然なのでしょうか。場に対しての不自然が勝りそうな気もします。 咲いている草花のような小道具も、 落ちている冬瓜のような小道具も、 かわいがっていきたいと思います。 題名が不自然……少し不自然。 野口

部屋とYシャツと私

こんにちは!衣装の大友です。 1つ前のディズニー風作業場日誌を指示した張本人の音響チーフでもありますが、今回は衣装のターンでこの日誌を書きます。 初めての作業場日誌はどきどきです。 懐メロからタイトル拝借したし、服のことについて書きます。 私はおそらく一般の人より、服のことが好きです。こだわりがあるという意味の好きというよりは、単に服そのものが好きです。 私の今までの思い出は、服と一緒にある気がしています。 小学校の卒業式で着た、当時流行りのアイドルの制服みたいなやつ 中学の部活中に絵の具で汚しまくった学校指定のだっさいジャージ 高校の運動会で激しい闘いの末破れたクラスTシャツ 受験期の追い込み時期の、暖かさ重視の裏起毛のパーカーと120デニールのタイツ 大学受験試験の時の文字が入っていないシンプルな服 大学で初めて友達を作る日の、The 女子大生な花柄のスカート プリズムの顔合わせで着ていた服も覚えています、緑チェックのセットアップとカーディガン それらの服を見れば、思い出がふっと蘇ってきます。その時どんな気持ちだったかとか何を考えてたとか、緊張してたとか悩んでたとか困ってたとか、楽しかったとか悔しかったとかいろいろ。 物を見て思い出を振り返ることは一般的によくあることで、プリクラとかお土産のキーホルダーとかが典型でしょう。 でも私にとっては服が、私の思い出もその時の私のことも知っている1番の存在です。 服は私と一緒に、私にくっついて、様々な出来事を経験しているので、いろいろなことを見透かされているような気がしてしまいます。 そんなに服に興味がなかったり何でもいいだろって思ってたりする人には全く分からない感覚かもしれません。わけわかんねー(笑)って馬鹿にするレベルかも。 だけど私は服が持つパワーを信じているし、 そのパワーをなるべく多くの人に知ってほしいなと思います。 つまづいた時や一歩踏み出せない時、ネガティブな感情を持った時に、部屋にある服を整理するという理由づけをして、あるだけ服をぜーーーんぶ出して並べてみます 「この服はあの時着てたな~」 「テンションあげたい時にはこの服選びがちだな~」 「いつ見てもこの服はやっぱりお気に入りだな~」 とか考えると、私の場合ネガティブな感情やモヤモヤは小さくなります

Imagination + Engineer=???

皆さ~ん、こんにちは! 18音響がお送りする、劇工舎プリズム作業場日誌へ~ようこそ! 音響セクションは、可愛いスピーカーの仲間たちと一緒に、プランにそって音楽を探しては流し、流しては探しを繰り返す、大変スリリングなセクションです!  ………………。 改めましてこんにちは、18音響のたけいです。 チーフから、【ディズニーのキャストさん風に作業場日誌を書く】という司令を受け、ちょっと頑張ってみました。出来はまだまだですね…別に音響スリリングじゃないですし……これからも精進するので、温かく見守っていてください。 さてさて、何となく察しはつくと思いますが、私はディズニー映画とか、ディズニーリゾートが好きです。それこそキャストさんはずっと私の憧れの存在だし、小学生の頃の愛読書はパークのガイドブックとか、なぜディズニーは成功したのか的なビジネス書でした。今もだなぁと書いていて思いました。 ディズニー好きと一言で言っても、ディズニーの何が好きなのか、というのは人によって違います。 言葉で説明するのが難しいのですが、私はディズニーリゾートの風景を見るのが好きです。建物の外装・内装とか、ショーウィンドウとか道端のオブジェ(?)とかを見たり写真を撮ったりしながらただパークを歩き回る、というのが私の好きな過ごし方です。 アトラクションやレストラン、ショップなどなど、ディズニーリゾートの建造物 は「イマジニア」と呼ばれる人達が作っています。イマジニアさん達はゲストに楽しんでもらうために、パークのあちこちに工夫を凝らしています。実際に存在する場所を モデルにしてたり、細かいストーリーに基づいた装飾、小物があったり、ちょっとしたジョークが隠されていたり……BGMなども工夫されていたりします。 私はこういうイマジニアさん達のこだわりを見て回るのが大好きなんです。 夢と魔法で出来ているように見えるディズニーリゾートも、莫大なお金と時間と労力を使ってその空間を作り出している人達がいると思うと、見え方が全然違います。風景を通して、イマジニアさん達の努力や遊び心が見えるような気がしてきます。 今回の新人公演において(もしかしたら全ての演劇において)、舞台に立つ役者が文字通りキャストだとしたら、作演はウォルト・ディズニーで、この作業場日

紙フェチ

はじめまして。 18 制作チーフの大野と申します。 さて、早速ですが私は、 500 枚 450 円のコピー用紙のざらつきが好きです。もちろん、つるりとした薄手の紙をなでるのも好きです。マットな光沢のある紙を、親指と人差し指でつまむのだって大好きです。 制作というセクションは、多くの紙に触れるものなのだと思います。 仮チラに本チラ、折り込みで触れる他の劇団様のチラシ。デコラに置く仕込み図や、お手伝いさんに名前を書いていただく紙など、色々な紙に触れます。 この紙はなぜチラシに選ばれたのでしょうか。このデザインがなされる意味は何でしょうか。名前を記してくださった方はどのような方でしょうか。この灯台の印を書き込んだ人はどれだけ悩んだことでしょうか。仕込み図に記す舞台の形を決めるため、どれほど心を砕いたのでしょうか。などなど。 いろいろな紙に触れるたびに、いろいろなことを考えます。 さて、ただいま折り込んでいる本チラシは厚めでいて表面に抑えた艶のある紙が選ばれています。細部までコダワリィが詰まった一品です。 当日パンフレットはどんな紙の、どんな物になっているのでしょうね? 少しでも気になった方はぜひ、新人公演にいらしてください。 3 月 3 日(日) 14 時と 19 時       4 日(月) 13 時と 18 時 駒場小空間にて、お待ちしております。 18 制作チーフ 大野史織

劇団綺畸にもTheatre MERCURYにも憧れない

こんにちは、宣伝美術チーフのおいだです。 個人的に、作業場日誌は普段おもてに出ない座組の中の人の考えていることを知る良い機会だと思っているので、なるべく真面目に書くようにしています。面白くはないけれど、真摯に書いているということだけは間違いありません。ですから、タイトルでムッとされた方も是非最後まで読んでやってください。 宣伝美術を考えていく中で、自分が思考停止になっていると思う瞬間があります。正確に言うと、思考停止になっている自分を客観視する瞬間があります。 それは、固定観念に縛られているな、と思う時です。 「ふれろみたいなかっこよさがいいな」「ウェィヴラインみたいなアンニュイさがいい」「砂色の夢の大看板みたいな張り出し具合いいよね」「コタテどうしよう」など。そんなときふと思うのです。 そもそも我々は、なんのために宣伝物を作るのだろうか。 究極的には、宣伝物などいらないのかもしれません。少なくとも、なんのために作ったか考えることなく作った宣伝物に価値はなく、ただそこには「とりあえず期限までに何かを作った」という自己満足しかない。ではなぜ我々は、決まりきった形で宣伝物を作ろうとするのでしょう。 それは多分、楽だからでしょう。何も考えなくてよいからでしょう。 「仮チラ・本チラ・大看板・コタテ・ヒサシ・当日パンフレット」 これを、これまで見た芝居の宣伝物を引き合いに出しながらいい感じに作っていく。そうすれば楽なんです。思考停止でプランを切って、思考停止で塗って、思考停止で入稿して。最低限レイアウトを気にしなければならないが、そんなことは大した問題ではない。ただ既存の宣伝物の逆張りをして、作らなければならないものを作っていく。 そんな宣伝物に、なんの価値があるでしょうか。 今まではそれでよかったかもしれません。少なくとも、疑いはしなかった。でも、今回の公演は、新人公演です。当たり前ですが、自分たち新人しか責任を負う人間はいません。自分たちが適当な仕事をしていても先輩はもう助けてくれないし、それが「自分たちの作品」として評価されます。自分たち新人しかスタ会に参加しないし、自分たち新人しかノルマを払わないし、自分たち新人しか公演のために涙を流すことはできません。果たして我々は、駒場演劇の「伝統」に反しないために高いノルマを払って

天才頼りのポンコツ便り

 作業場日誌では初めまして。18Webの佐藤です。  さて、皆様、最近プリズムの公式アカウント、動き方がアホでは?と思っていらっしゃると思います。暴走したり誤情報あったりお詫びしたり連投したり…謎の自動更新を除き、すべて犯人は私です。 新人公演一発目の記念すべき作業場日誌を催促されるまで忘却の彼方に送っていたのも私です。そう、佐藤はポンコツです。今更言われなくても知ってる?ありがとうございます。  佐藤自身はポンコツなのですが、他のWeb民は優秀です。Slackがとても使いやすくなったのが18の体感としては一番大きいかな?私がツイッターで勝手にばたばたしても落ち着いて解決に導いてくれます。天才ばっかりです。ありがたや…  今後、ツイッターの方でちょっと面白いことがあります。楽しみにしていてください。そしてまた佐藤がポンコツしてたら優しく教えて叱ってください。  色んな意味で、プリズムツイッターから目が離せませんね!  それでは、このあたりで失礼いたします。他セクションの作業場日誌や稽古場日記もお楽しみに!