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演劇用アカウントです。

初めまして、19照明の立石です。 照明は仕事が一段落し心に余裕が生まれたものの現在も寝不足の状態が続いているので文章が読みにくかったらごめんなさい。 さて、今回のテーマは「大切な景色」らしいですが、僕がこれを聞いて思い浮かべたものは昔はとても仲が良かったものの今はもう会えなくなってしまった友達やもう引退した部活の風景だったりします。 これらの共通点はもう失われたものだということです。 中高の一般的な部活とは異なりプリズムは年3回の公演に基づいたコミュニティです。公演の日程から逆算してスタ会が組まれ小屋入り期間中は忙しくなりますが、公演が終われば暇になり座組とも会わなくなるという感じです。プロデュースに呼ばれまくるという事がなければ演劇とは一定の距離を保つことになるでしょう。さらに、夏公演では3学年、秋公演では2学年、新人公演では1学年のみで構成されており、見える光景も毎回変わります。 そのため、プリズム自体は引退していなくても公演が終わる度に今あったものが失われる感覚を味わうのでしょう(夏公演でもそんな感じでした)。 一方で、引退した後も自分がある程度主体的に行動すれば演劇にはコミットし続けることができます。 そのため、演劇という存在はたくさんの始まりと終わりを繰り返しその度に大切な景色を自分の中に残すのです。 言うなれば、公演期間の始まりと終わりはツイッターのアカウントを切り替えるようなものです。 今回の公演で見たものも小屋入りが終われば大切な景色となっていくのでしょう。素晴らしいことですね。 なんて言うわけねえだろバーカ。 小屋入り早く終われ。 早く彼女とデートさせろ。 19照明 立石陸

二徹明けはとっても眠い

こんにちは、18小道具の丸野です。作業場日誌には初登場です。照明のイメージが強いかとは思いますが実は小道具の人でもあります。以後お見知り置きを…。 さて、今回のテーマが「大切な景色」ということで私も大切な景色について考えてみました。 1番最初に思い浮かんだのは地元の大きなホールにある調光室からの景色です。当時高校生だった私は今で言うところの照明チーフ・プラン・オペを全て兼ねた状態でした。セクション員は私。それと本番中にピンスポットを動かしてくれるお手伝いの後輩が1人。それだけです。小道具はセクションとして確立されていた訳ではなく、私が勝手に集めて提供していたことも覚えています。その異常な仕事量の結果、そのホールでの1回きりの公演の日、私は二徹明けでした。プランを組み直し、納得がいかず白紙に戻し、また1からプランを組み、きっかけ表を作り、小道具を作り、修理し…そんなことをしていたら公演当日の朝になっていました。変わらない追い込み体質。変わらない社畜気質。正直もう演劇はいいかなぁ、辞めようかなぁ、と思っていました。これだけ働いたんだもの、もう悔いの残りようがない。そんな気持ちでホールに向かいました。 公演の前後も調光室から指示出しをしていたはずなのに、その部分はほとんど覚えていません。でも公演中のことはなぜだかとてもはっきりと覚えています。最初は暗転。開演のアナウンスがあってインカムが来て、客電を落としたら緞帳が上がる。緞帳が上がりきるまで既定の秒数を数えてから明転。そこで同期の役者が最初の一言を言う。その瞬間、まさに文字通りはっと目が覚めました(二徹明けは眠い)。 自分で集めた小道具を使う役者を、自分で作ったプランの照明で照らす。純粋に楽しい、と思いました。このあとしばらくは演劇を辞めないだろう、とも。そしてその予感は見事的中して今も社畜だのなんだのと言われながら演劇を続けています。 小道具はなんとなくおまけみたいな扱いをされがちです。それは自分でも分かっています。数十分程度の公演に、なぜそこまで労力を注ぎ込んでいるのだろう。なぜずっと小道具セクションにいるのだろう。なぜ演劇を続けているのだろう。でも、あの場面で使ってたアレかわいかったよね。アレってこういう意味だったのかな。それくらいでいいから、そんなものでいいから、少しは来てくれた皆さんに影響したっ

ちょっと覚えているだけの話

こんにちは。音響19の佐藤理子です。 今回の作業場日誌のテーマが、「大切な景色」ということで、色々と考えました。皆様の日誌も読ませていただきまして、皆様の語彙力と文章能力に圧倒されて本当に色々考えました。何を書いてやろうか、何をどう書いてやろうか・・・・ 諦めました。頭に浮かんだことをそのまま書きます。どうか皆様が理解してくださいますように!   さて、私の「大切な景色」についてですが、正直なところありません。 これで終わりますと言いたいところですが、せっかくなので少し考えを書いてみます。   私が考える「大切な景色」は、何か家族と良い思い出がある場所だとか、自分にとって思い入れのある場所、友達と何か必死に頑張った場所・・・。そんな、心にずっと引っかかっているような場所だと思っています。   でも、そもそも私にとっては、「大切」とは、なんです。「大切」にしていたモノが消えてしまった場合、時間が経てば「大切」にしていた気持ちもなくなっていませんか??例えばそれが人間に対する気持ちだったなら、もう考えないようにしたり、二度と同じ過ちを犯さないようにと思考を巡らせたり。それが本当に物体なら、いつの間にか忘れていたり。   人間が永遠のものではないから、人間が思う気持ちも永遠ではない。だから、「大切」とは、って考えてしまうんです。 だから、この日誌で書くような「大切な景色」がないんです。 あの時、こんなことがあったなーと思うことはいくつかあるんですけどね、大切かと聞かれたら何か違うんです。   さて、そろそろ私絶対この作業場日誌書くのに向いてねえなと皆様も私も気づき始めたことでしょう。慌てて軌道修正いたします。そして尺的にまとめたい。   あくまで演劇に噛んだ話をしたいので、中3の頃一年間だけ入った演劇部の「景色」を書こうかなと思います。   私が中高の演劇部でひたすら印象に残っている景色は、発声練習です。   私の学校は、幼稚園からある学院で、学院の形としては、手前から幼稚園があり、小学校があり、奥の小高い丘の上に中高(一貫校)がある、という形でした。中高から学院が一望できる程度には、こじんまりとしています。   役者は特に、朝の発声練習をしていました。小学校から中高にいくため

ぼくのさんぽ

こんにちは、映像19の平田と申します。 テーマ「大切な景色」について少し考えてみました、演劇とは少し無縁ですが、よかったら読んでいってください。 僕は週に最低一回は散歩をすることにしています。自分の時間をとるためです。散歩中はスマホを極力見ないようにして、自分の行きたい道を進みます。通ったことがある道だけでなく、通ったことのない道も、冒険したい気分の日は通ります。散歩は僕にとってとても重要な習慣です。なぜ散歩をするのかというと、理由は二つあります。 一つ目は、先ほどの述べた通り、自分の時間をとるためです。大学で忙しかったりすると、ずっと何かをしていて、じっくりと自分の状況を見つめる時間が無くなります。それが長い時間続いてしまうと、いつの間にかストレスがたまっていて、毎日が苦しくなって、でもそれを当たり前のように感じてしまうようになります。そうならないよう、散歩して、今の自分を見つめて、自分が今何をしたいのか、何をすべきなのかを考えます。 これを「自分の時間」と呼ぶのには理由があります。例えば、僕は娯楽としてゲームなどをやりますが、それは「自分の時間」には入りません。一般的には、娯楽など楽しいことを「自分の時間」と呼びますが、僕が考えるに、娯楽の時間は単に娯楽の時間で自分のためにはないものだと思います。ゲームをやっている最中の僕は何も考えずに、ただただ画面に向かっているだけです。それは自分のための時間ではないと思います(しかし必要な時間ではある)。だから散歩を「自分の時間」と呼ぶのです、本当に自分のための時間だからです。 二つ目の理由は、そしてここが「大切な景色」と関係してくるのですが、散歩は僕の思考を刺激するからです。散歩しているとき、特に自分について考えることのないときは周りの景色を眺めています。街を歩いて周りを眺めるだけでも、いろんなことが頭をめぐります。例えば前町を歩いているとき、こう思いました:「このマンションも、この病院も、全部人の手で作られたんだなー。」我々を包む構造物はすべて人間と人間が作り上げた機械によってできています。その構造物ができるまで何人の手が加わったことでしょう。その人たちの仕事によってその構造物ができたわけです。当たり前のことなのですが、実際にそれを実感することは皆さんあまりないと思います、とて

僕が演劇をする理由

演劇をする理由?なんと なくですね。 こんにちは、制作 19 の池松です。 僕は他のセクション(照明)と兼任もしていて制作の仕事に専念してるっていうわけでもないんですが、一応積極的な理由で制作をやっています。 お客さんが、芝居の中身じゃなくて、会場運営とかそういうのに気が取られてしまう、とか、そもそもお客さんが来ないとか、そういうのがあると折角芝居の質が良かったって芝居は評価されない。アンケートにもその関係のことばかり書かれたりとか、ツイッターで叩かれたりとか。芝居は面白いのにそんなことになったら悲しいでしょ? だからです。 芝居を守るような役割なんしゃないかな。 知らんけど。 さて、テーマ、「大切な景色」でしたっけ? 僕の父は転勤が多かったので、今まで住まいを転々としてきました。どの場所も思い出深い場所です。とりわけ小学生〜中学生で住んでいた中国上海は、今ではなかなか行くことができないということもあって、かなり頻繁にその風景を思い出します。 この前の 3 月に旅行で上海に行きました。 住んでいたマンション、行きつけだったスーパー、通っていた学校。 変わっていました。住んでいたマンションの前の道では地下鉄の建設工事が進んでいました。スーパーではキャッシュレス化が進んでいました。(さすが中国ですね変化が激しい)でももっと根本的(?)に、あの頃見ていた風景とは何かが違う気がするんですよねぇ。なんででしょ? なんか住んでいたマンションを見ても、やたらと奇抜な形だなぁとしか思わないし、スーパーに行っても、日本へのお土産くらいにしか目がいかないんですよね。通ってた学校なんてそもそも入れないし。いやそもそも、思い出す景色って、そういうところってよりも、道端の看板とか通学バスから毎日見ていた車窓とかなんですけど、そういう何気ない景色ってもう何気なくないんだなぁというか。僕の中から、住人としての視点が既に失われていたんでしょうね。 結局、大切な景色ってその場所にあるんじゃなくて、もう心の中にしかないんだなぁと思って、寂しくなりました。 あ、演劇とは一切関係ないです。 19制作 池松

マクミランわこの認定書

おはようございます!全国の朝に元気と幸福を。 19 宣美の岡本飛鳥です。 この夏は大看板製作の仕事を進めつつ、母方の祖父母宅、父方の祖父母宅への帰省も果たすことが出来ました。去年は受験で行くことが難しかったので、久々に大好きな故郷の景色を堪能することが出来て嬉しかったです。 ところで、皆さんの故郷はどこにありますか?いくつありますか? 故郷というものは必ずしも1つや2つだけではない、と私は思うのです。 … 故郷認定、なるものをしておりまして。 私が。個人的に。 まあ簡単に言うと、生まれ育った土地の他にも、年を経て馴染み深い土地となった場所を第ニ、第三の故郷として迎え入れようという取組みです。 出身地である西宮が第一故郷。第ニ、三故郷が、祖父母宅がある吹田と札幌(順不同)。そして今住んでいる町は第四故郷に当たります。 他にも、よく遊びに行く隣町は第五故郷だし、最近だと母校(高校)の周辺も第九故郷として認められました。判定は結構ガバガバです。大切なのは私の心に馴染むかどうかなのでね。 だからこそ、一度しか行ったことがない場所でも認可が下りるパターンがあります。 奈良県は明日香村。 自分の名前と同じ村だ!という親近感から、いつかの正月に訪れたことがありました。そしたら … 、初めて来たはずなのにまるで自分が長年過ごした土地の景色を眺めているような、そんな感覚を覚えたのです。それはもう故郷といって差し支えないのではないのではないでしょうか? 飛鳥寺も岡本寺もありましたよ。(すごくね?)なんなら舒明天皇がその地で営んだ宮廷は飛鳥岡本宮ですよ。(マジですごくね?) 今では私の第十五故郷です。いつかもう一度行けたらいいなぁ。 若干話が逸れた気がしないでもないがまあ何、故郷が沢山あるのは幸せなことだと思います。 心を寄せる場所が沢山あるということだからです。 行く度にその景色を懐かしんだり。昔と変わったところを見つけたり。親しい人と会えたり。また行きたいと思ったり。そんな事を考えてる時間は幸せ以外の何者でもありません。 私の心の中にある、十や二十の故郷に、何百、何千もの景色。そのすべてが私にとって大切な景色であり、今此処にいる私を私たらしめているのだなあと思います。 これは

私の中高を捧げた「演劇」

演劇サークルの一員として書く「大切な景色」となると、どうしても演劇関連のこととなってしまいますが、私にとってそれは高校の演劇部を引退した時の景色です。 中高一貫校だったので、 5 年と少しの間所属していた部活でした。部活以外も同輩の演劇部員とばかりつるんでいたので、私の中高時代を象徴するものはまさに演劇部だったと言えます。 しかし、そんな演劇部に入ったきっかけは、見学に行ったときに 演劇部の先輩に顔と名前、最寄りの駅を覚えられてしまったから、というかなり消極的なものでした。 断れなかったんですね。 そんな始まりでも今となっては演劇部に入っておいて本当によかったと思う日々です。 先輩に憧れ、同輩に刺激され、後輩に気づかされ、という環境下で皆と劇をつくっていくうちに、自分はどんどん演劇というものが大好きになりました。何回も公演を重ね、失敗を繰り返して、あっという間に自分の引退公演となり。 今までやりたかったことをたくさん詰めた劇にしたい!と張り切って取り組みました。部長という立場にいたので、本番までは決めなくてはならないことがたくさんあったりして、本当にこれでいいのかと不安になることも多かったけれど、自分が最後のセリフを言って公演を終えたときは、なににもかえられない高揚感と達成感がありました。そのカーテンコールのとき舞台から見えた後輩たちの頼もしい背中とお客さんの笑顔は一生忘れないと思います。 最後だからと言って全てが成功したわけではないし、皆に褒めてもらえたわけではないけれど、引退公演で自分がやりたい劇を部員全体で作り上げられたことを嬉しく思っています。 そのとき受けた駄目出しをばねにして、これからの新しい環境での演劇生活を送っていきたいという気持ちです。がんばるぞ! 19衣装 谷内ななみ

演劇をやる理由はない

 暦の秋涼を突き放すような暑さの中、皆様いかがお過ごしでしょうか?19の舞台&映像&Webの杉原です。今回のテーマは「大切な景色」らしいですが、よく分からないので気にしないことにします。  最近、先輩や同期からよく「なぜプリズムに入ったのか」と聞かれます(経験者でも無い上に、全然観劇行かないので無理ないですが)。その度に適当な理由をでっち上げていますが、実際は「なんとなくやりたかった」が一番近いかな、、、と思います。  ここで急に話を一般化しますが、僕は目標を定め、その到達の為に選択肢を逆算するのが嫌いです。人間最期は皆同じ結末な訳ですから、選択とは、集積すると個性を失うものだと言えます。となると、どんな大層な目標も所詮はその集積の中継地点でしかなく、逆に言えば、集積されていない、離散的な一つ一つの選択そのものにこそ、真の個性や価値が垣間見える訳です。ですから、選択を目的のための手段としか見ないのは悲劇です。  生きる目的が見つからずに悶えるのもいいですが、生きていない状況を経験し得ないのにそんなもの探すのはそもそもナンセンスな気がするので、今この瞬間の自分にとって比較的意味のある選択を行っていれば、まぁそれでいいのかなって思ってます。だから、優柔不断って美徳ですよね。選ぶことを大事にしてるってことだと思います。そうすれば、大切な景色もいずれ出来るのでは???(?)     だらだら書きましたが、要はプリズムの入舎フォームが送られた時、「いいな」って思った、ただそれだけが理由で、その背後に特に目的は定めてない訳です。カエルみたいに単純な理由ですが、劇団が楽しいと今思えているので、それで十分だなと感じます。あ、叩きも楽しいですよ!!(作業場要素) プリ19  杉原