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成長を急かされている……?

 皆様ご機嫌麗しゅう。お久しぶりです。 夏公演『人と成りては』の宣伝物各種ご覧いただけておりますでしょうか……?! 力作揃いですので「そういや見逃してるな」という方は是非ご覧くださいませ……!! といういつも通りの宣伝を挟んで今回のテーマ"おとな"についてお話をしましょう。 おとな、ね、なるつもりはなかったんです。 なかった。本当に。 おとなになるということの意味をよく考えていた高校時代、「私が大人になってしまったその時は、演劇なんてしてないだろうな」なんて考えていました。 私にとって大人になるということは自我を手放すこと、草臥れる事だと思っているので20歳すぎたらどうやって生きていこうかな……なんて思う日々でした。実際めちゃめちゃ衰えてます。 生活がままならなくなったり、誰かを支える必要があったり、自分のことで精一杯なんて言ってられないことが沢山沢山ありました。それでもまだ私がここにいるのは、演劇を手放せないのは、私がまだ私であるのは、おとなになりきれていないからかなって そう思うと安堵できますわねとそう思う所存。 本当の大人の皆様から見たら「年端もいかぬ若造が何を抜かすか」という気持ちになるかもなんですが、学生の一年一年の流れが過ぎ行く焦燥感ってえぐいので大目に見ていただけると、さいわい。。。 私達22は今公演で引退になります。高校時代の戦友のいるサークルならやっていけるだろうと他大から飛び込んではや2年とちょっと……??? えっマジ???????  何故かね、すごくすごく濃い記憶ばかりなのに1年ぐらいしか経っていないような感覚なんです。なんでだ。 プリ22、本当に色々なことがあって、いろんな人がいて、素敵で素晴らしい仲間達との出来事はどれも忘れ得ない経験ばかりです。沢山成長できたし、本当にいろいろあったけど、ね……!! 思いの外私は同期のみんなが大好きみたいです。きっと引退ってなっても我々同士でこんなことを言い合うこともないだろうからここに書いちゃいます。ゆるしてね。  そんな22の引退公演にもなる『人と成りては』、7月の5日、6日、7日の金土日で上演いたしますので!! 是非!!!!! ご都合あいましたら足を運んでいただけますと幸いです……キャスティング本当に美味しいので是非……!!!!!! っって感じで最後まで宣伝を忘れない22映像でした

多分幼稚園のころが一番おとなだった

この文章が公開されるときには、自分は21歳になっている。18歳で入ったプリズムにやっと終わりが来る。21歳は立派な「おとな」だと思う。お酒だって飲める、公営ギャンブルもできる。高卒や短大卒の同級生は社会人だ。でも、自分が立派な大人かと言われたら、全くそんな気はしない。 この原因の一つには、サークル活動で楽しかった瞬間というものが、常に幼い行動と共にあったからではなかろうか。思い返してみよう。サークルで楽しかった思い出。 ・叩き場で食べるアイス ・舞台屋で食べるご飯 ・小屋で食べる差し入れ ・総務部と食べる仕込みバラシ中のご飯 すごく健啖家みたいだ。あ、夜のお喋りとか残作も楽しかった。 ただ、やはり思い返してみても、舞監ムーブメントはすれこそ、大人ムーブメントはしてないのではないか。持ち芸が「親の金でドヤ顔奢り」な時点で、私のサークル内立ち位置は明らかだ。というか、私のことを大人という括りで見ているサークルメンバー並びに他劇の友人たちがいるだろうか。 銀髪の大人、碌なもんじゃないと思う。10月になれば、地毛の色に戻す予定だ。そしたら少し、大人になれるだろうか。 上京して、演劇をして、駒場以外の繋がりもできた。そして初めて、生計を立てている職で週に5,6日働く大人、ではない大人の姿を見た。 社会人演劇団体に携わり、演劇で生計を立てるだけではなく、ライフワークとして関わりつづける大人の在り方も知った。 まだ社会人になるまで時間がある。予定では、今年を含めてあと4年。何かしらあれば、5年とかになるかもしれないけども。とにかく、まだ時間がある。駒場小空間を本当に離れるとき、そのときは、この文章を読んで、過去の自分を子どもだと思えるだろうか。少しは思いたい。 22照明チーフは、23代や24代の子たちの未来を灯体で照らしてくれるらしい。じゃあ僕はどうしよう。 ……階段を作ります。壁にぶつかったときに上れる用に。螺旋は嫌だけど。普通の階段なら。あと、叩きの進捗とかヤバいときは呼んでくれたら行きます。と、ここで宣言しておきます。

けど時代はLED

  十代初めの頃まで住んでいた生家は、鬱蒼とした森に建つ、築三百年あまりの小さな古城でした。 城の周辺には家族以外にもいろいろなものが住んでいました。森にはシカやイノシシが、城の地下にはネズミやコウモリ、天井裏では外壁にあいた穴から侵入したアライグマの一家が日夜運動会を開催していました。 そして自分のとなりにも、家族ではない存在がいました。そのひとを仮にAと呼びます。 子供の頃はよくひとりで夜遅くまで留守番をしていましたが、生家での留守番はあまり愉快なものではありませんでした。 昼でも薄暗く陰った森は、夜になると完全に闇に包まれます。目をこらしても何も見えない暗闇が壁をひとつふたつ隔てた先に横たわっている中でひとり家にいるのは、心細いものでした。 また、夜の森ではよく何かが動き回っていて、そのガサゴソという音は壁を通して城の中までよく聞こえてきました。そういった音を聞くたび、何かが城に侵入してきたのかもしれない、と嫌な想像が脳裏をよぎりました。 古い建物なので、ギシギシという家鳴りも頻繁に聞こえてきました。木がきしむ音が聞こえるたび、何者かが部屋に近づいてくる気がして身を固くしていたのを覚えています。 あらゆる音が恐怖に変換される留守番は気が滅入るものでした。そこには得体の知れないものがすぐ近くで息をひそめているような感覚が、いつも静かに横たわっていました。 そのため留守番の時はいつも小さな部屋に閉じこもって、テレビをつけっぱなしにしていました。テレビをつけていれば城や森からの音は聞こえないし、テレビから流れる人の声を聞くと恐怖が少し拭われる気がしたのだと思います。 Aは、そんなふうにひとりで留守番中、テレビを見ている時によく現れました。 現れたとはいっても、Aと自分は特段会話をするわけではなかったし、視線さえ交わることはありませんでした。 テレビを見る自分の傍らで、Aはただ立ったり、座ったり、誰かと話したり、魔法学校で二重スパイとして働いたり、脱税を調査したり、何度も時間を巻き戻して魔女と戦ったりしていました。 Aは姿も考え方も不定形でしたが、変わらなかったのは、Aがいつも自分に元気を与えてくれたことでした。Aは目の前で輝きながらも決して関わることのできない、手の届かない星のような存在であると同時

こども

  こんばんは。おそらく3回目の、最後の日誌を書いている22元音響チーフです。今回のテーマは「おとな」だそうです。  私が最近「大人だなぁ」「大人になったなぁ」としみじみ感じたのは、現音響チーフがチーフ業をこなしているところ、23の音響民が、私たちの代が教えていたことを今度は24に教えているところなどを見たときです。  ところで、「おとなになる」って、どういうことなんでしょう。酒が飲める年になった、選挙権を得る年になった、身体が大きくなった、物事を冷静に捉え考えられるようになった、、人によって定義は違うと思います。でも、「おとなになった」と言うとき、そこには「こどもである」ことと対比して、「良くなった」という意味が含まれていることが多い気がします。  でも、子ども(年齢的に)は、大人(同左)が思うよりも、色々なことを考え感じているのではないかと最近思うようになったんです。それは、授業で子どもと大人の関係について考えた時、昔の自分を思い出して、あの時子どもなりに大人に忖度したり、様々な感情を抱いていたりしたなぁと思い出したからかもしれません。またパレスチナのガザでは、大人だけでなく子どももジャーナリストになって、ガザの現状や、侵攻前より数も量も少ないご飯の作り方などを伝えています(パレスチナ解放)。逆に、おとなでも、立派な行動をする人ばかりではない。そこには様々な背景があるとは思いますが。  こどもって、そんなにバカにする存在じゃないよねとも思うんです。  今作のタイトルは、『人と成りては』です(今まで語ってきた「こどももいいよね」みたいに、「人じゃなくてもいいよね」とは書いてません)。個人的にすごく楽しみにしています。いつの間にか、引退公演ですって。今書いていてびっくりしました。時間経つの早すぎません?  これまで大勢の人に出会えたし、お世話になりました。私にとってプリズムは居場所だったと思います。たぶん。非常に感謝しています。  これまで関わってくださった方々、ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました!

振袖は赤にしました

 24宣伝美術セクション員です。新人で恐縮なのですが、せっかく担当させていただくのでなんとか書いてみます。  さて、この春大学生となったわけですが、大学生という立場は思っていた以上に、おとな、としての振る舞いが求められることが多いです。たとえば教授へのメール、バイトでの接客態度、各種の書類作成。(教授と関わるとき、わたしは学生という立場だからおとなとは少し違うのかな)  わたしはその度にどこか背伸びをしている感覚になります。おとなになりきれていないと反省する日々です。等身大の自分はまだまだこどもで、そこにギャップを感じています。  宣伝美術セクションに所属したいと思ったのは、デザインを仕事にしている母の影響です。母の作品はやわらかくて、それでいてしっかり芯が通っていて、伝えたいことがすっと心に馴染みます。わたしは、そんな母の作品はもちろん、真心をもって表現と向き合う母のことをとても尊敬しています。まさしく母は憧れのおとなです。この4月から上京したわたしに向けて描いてくれたポスターがあるんです。それはあまりにもやさしくって、わたしに寄り添ってくれていました。何度見ても泣きそうになります。  ところで、演劇もデザインも、それを媒介としてなにかを伝える、という目的を持つ点では共通していると考えています。なにを伝えたいか、どう伝えたいか、その方法を考えるのがいちばん苦しくていちばん楽しいから、わたしは表現することを続けているのかな。思えば幼いころから表現することが好きでした。絵を描いてみたり、ごっこ遊びをしてみたり、踊ってみたり、ピアノを弾いてみたり。決定的に夢中になったのは中学生で出会った演劇でした。さまざまな方法で、自分の考えていることをどうにか伝えることに喜びを感じていました。おとなになりかけている今も、その気持ちは変わりません。  そうそう、おとなになりかけている、といえば。わたしは来月には20歳です。まったく実感がわきませんがどうやら法律上はお酒が飲めるようになってしまうらしい。18歳で成人したときはおとなの自覚のようなものは1ミリも芽生えなかったので、20歳こそは、と思っているけどおそらく生まれ変わったような心地になることはないでしょう。地続きです。おとなになりたい。  締め方が全然思いつかないので声に出して言いたい化合物を発表して終わります。ε-カプロラクタム

遅れちゃいましたね

どうも、22小道具セクション員です。最初で最後の作業場日誌になります。引退ですよ。あっという間ですね。振り返れば執行代以降、なんか妙な立場にいたおかげでいろんな経験ができて、関わらんだろうと思っていた分野の知識もいっぱいつけてもらいました。最近は大学の授業の方でも自分に強制する形で学び始めて、知るうちに初めて面白さに気付いて、ああ、私って無知だったんだな、となる感覚が癖になってきた人間です。  さて、「おとな」についてですね…高校を卒業して、大学生になって、それまでとは質の違う経験を色々するにつれ、おとなになっていく過程では、他の人に大きな影響を与えられるような力がつくもので、その力で誰かを幸せにすることもできるようになるんだけど、それと同時に誰かを傷つけられる力もついてきてしまうものだと分かってきて。しかも自分視点では普通に振舞っているつもりでも、意図なんて無関係に嫌な方向に事が進んでしまうなんていうのは現実的に存在しまくる話で、しかもそれが自分一人では抱えきれないものになってしまって目を逸らしたくなることの方が多くて、だからといってその力を失うことなんてできなくて。だからこそ、(自分のことも他の人のことも守るために、)不本意に他人を抑圧してしまいかねない自分を知ってそれを考慮しながら行動する責任を持つ術を手に入れることがおとなになることなんだなあと思っていたら、(教職取るつもりは全くないのに興味本位で取っている)教職科目で、教師になるにあたってということでそういう類のお話をちょうどされました、ちゃんちゃん。  おとなになるってそういう意味では「演じる」みたいだなと思うのだけれど、子どもが演じるのと違うのは、それをするのが自分だけのためなのではなく、場合によっては自分の欲求まで削って他の人のためにそうし続けるものなんだろうなということで。  そういう観点で見ると、うちの父親がおとなとしてはすごくよくできた人なんですよね。悪いことは見逃さずに叱り、しかも行動改善に至ることを第一に画策しているため仮に見た目では激昂していたとしても奥底には冷静さを残しているし、中立役となるべき時は冷静に中立役に回ることに徹底できる。帰省のたびに車で丸二日かかる行程を一切文句を言わず一人でずっと運転している、仕事その他の愚痴を家族に一切溢さずに、心身ともに健康でいられるために趣味を楽しむ

もちもちもちもちも

  大人になってもぬいぐるみを手放せていない22衣装です。今も一緒に寝ながらこの文章を書いています。20歳越えさすがに…という目があるのは分かっていますが、私が大きくなるにつれて買うぬいぐるみも大きくなっているので共に成長しているということで許してもらえるそうです。やったね 歳を重ねても趣味嗜好は変わらないなと思います。ぬいぐるみも絵も音楽もお洋服も、小さい頃から大好きなままです。食べ物くらいですかね。以前食べられなかったワサビは、味蕾が死んだので大好きになりました!成長!! 「おしごと調査」の授業でファッションデザイナーについて発表した小学生の私。まだ学生をしていますが、紆余曲折あり、サークルで夢を齧ることが出来ています。 衣装セクションに所属して2年が経ち、ようやく満足のいく製作が出来るようになってきました。夏公演を最後に引退になりますが、細々とでも創作活動を続けていけたらと思います。 ぬいぐるみを目の前に並べて限界作業する夜が続いていますが、見守ってくれるぬい達可愛いすぎるので頑張ります。 ちなみに、最近は推し活の一環でぬいぐるみを持つことが浸透してきたのでぬいぐるみと外出しても変な目で見られなくなりました。嬉し〜