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作品への目線

こんにちは。 18 舞台(協力)の中西です。 プリズムは、今のところ私の一代記の大きな部分を占めています。プリズムでの活動を経て変わったことはいくつかあるのですが、そのうちのひとつは世間の「作品」たちへの目線です。 演劇サークルで裏方として微力を尽くしたことで、「作品」の裏側には表からは見えない作り手の思いが蠢いているのだな、と思うようになりました。 たとえば、私は安西水丸先生のイラストレーションが昔から好きなのですが、この一見シンプルで「すぐに描けそう」な作品も、頭と、手と、こころと、時間を費やして生み出しているのだろうな、などと想像するようになったんです。 今回の公演『一代記』にも裏側があって、その裏側は結構深いと思っています。少し、というかだいぶ特殊な状況の中で、メンバーそれぞれが試行錯誤しながら準備してきたと思うので。 私が協力として参加した舞台セクションでは、短い準備期間にもかかわらず後輩たちが楽しい舞台を作ってくれました。 おつかれさまの気持ちでいっぱいです。 いつか予想していた引退公演とは違いますが、やっぱり公演はわくわくします。 プリズム、今までありがとう。 ———————— おまけ 今回舞台にいなかった、舞台の同期3人に感謝を込めて。 五十音順ひとりめ 叩き場に鞄を置きたがらないほどきれい好きで、作業が終わると速攻で帰る帰宅セクションプランナー。でもなんだかんだ一番一緒に作業したんじゃないかな。すぐ帰っちゃうので、一緒に帰るために必死に追いかけたこともありました。人と違うところにこだわりがある人なので、彼女のこだわりを見つけた瞬間が最高に楽しいです。趣味とか全然共有してませんが、あなたの話を聞いているだけで楽しいよ。黒い服を着ていることが多い気がします。まじめなところがあって、いい子だなと思っています。いつもありがとう。 ふたりめ 私が初めて接触したタイプの人間さん。いつか道を歩いていた時、 17 の先輩と町の素敵な階段を見つけあっていたのを覚えています。家に動くふわふわ(かわいい)を飼っています。去年あたり、緑色のざくあみカーディガンを着ていてよく似合っていました。言葉のチョイスにセンスを感じます。相手をよく見ているので、話しているとなんでも見透かされてる気分になります。でも未知のものを受け入れる能力が太平洋くらい大きいので、私の至らない部分も許

捨てる神も拾う神も

稽古場日記だけじゃなく作業場日誌も書いて引退しよう、せっかく役者とスタッフを反復横跳びしてたんだし!と思い立った宣伝美術の影山と申します。 「一代記」と聞くと何となく小難しい文章がいっぱいの分厚い本を連想してしまうのですが、イラストや写真なんかも形に残る立派な記録だと思います。特に宣伝物は、作演出をする人や他の宣伝美術の人と相談を重ねて、自分が当初持っていた理想をどこまで実現できるか格闘した末に出来上がるので、内に秘めているストーリーも膨大に感じます。 小さい頃から絵を描くことが好きで、「デザインを考える=絵を描く」という短絡的な方程式が頭の中にあった私は、学校等においてデザインできる機会があれば積極的に手を挙げていました。なので、今までの成果物を辿ればそれが私にとっての一代記と言えそうです。 私はちゃらんぽらんかつ心が弱い故、苦い思い出があって見返したくない成果物もいくつかあります。でも、大体のデザインには目的があり受け取り手が存在するので、自分だけ見ないようにしても意味が無いように思います。残念! プリズムで作ったチラシや看板は待ち受け画面やTwitterのヘッダーにするほどの自信作ばかりなので、後悔が募る過去の作品もひっくるめて、私の成長を示していると捉えたいものです。 基本的に怠け者であり、締切が設けられないと動かない私にとって公演のために宣伝物を作るという場はとても貴重でした。引退したら、一代記が一代記とならないまま途絶えそうで心配です。 まあ取り越し苦労かもしれないので、劇作に関して(?)ちょっと失望していた2年前の私に、役者や本チラシの作成とやりたいことをやらせてくれた当サークルへ感謝だけ述べて締めます。あざ! 18 宣伝美術 影山

「制作さーん」

こんばんは。 18 制作の大野です。 今回の作業場日誌のテーマは「一代記」です。制作で一代記…?と思ったのですが、ひとつ心当たりがあったのでそのお話をしたいと思います。 2 年前の秋、お茶大の部室で見つけた古い一冊のファイルについてです。   そのファイルは当時、お茶大の部室の棚の中にありました。背表紙に「劇工舎プリズム 制作部」と書かれていた分厚いねずみ色のファイルです。 そのファイルには沢山の古い紙が綴じられており、手に持つとずっしりとした重みを感じさせるものでした。当時私は制作チーフになったばかりだったので、緊張と好奇心から恐る恐るそのファイルを開いたことを覚えています。   「第〇回公演 総動員数 〇〇〇人」 ファイルの一枚目に綴じられていた紙は数十年前の公演の動員数を記したものでした。 「公演回数が一桁なんて!今、 71 回公演が終わったばかりなのに。」そう驚いて、私は次々にファイルをめくっていきました。 そこにあったのは、ボールペンで記したような予算案から、ワープロで一文字ずつ打たれたような動員記録。はたまた、公演の感想として劇工舎プリズムに寄せられた手書きのはがきなど。様々なかたちで記録された数十年前の公演の記録達がそのファイルには綴じられていました。   今やデジタル化が進み、公演のデータはクラウド上にデジタルファイルとして保管されるようになりました。郵送で出していた DM が電子メールに変わったり、映像配信という形を使ったり、制作が公演の記録を紙のファイルで綴じていた時代からはずいぶん遠くまで来たように思います。   時代は遠く離れましたが、代々引き継がれたその分厚いねずみ色のファイルは、当時の私にとってプリズムという存在の重みを伝えてくれ、前を向く勇気をくれた存在でした。自分もプリズムを構成する歴史の一つになりたい!なんて無鉄砲なことを思うくらいには。   過去を振り返るものが、過去の栄光に縋るものにならないように。未来へむかう足取りを鈍らせるものではなく、前を向く原動力となるものにできるように。そう思うと、一代記って華々しい主役だけが残せる物ではないのかもしれません。たとえば、あのファイルを綴じまとめ、引き継いできた歴代のスタッフ達だとか。   プリズム 18 制

Prizoom

一代記、それが何なのかはよく知らない。多分ある人の過去について後から本人なり誰かしらが振り返っているものだと思う。 そこには少なからず捨象される部分がある。 大抵過去を振り返る際に暗い部分はひた隠しにされてしまう。 みんな昔は良かったと言う。 昔は「貧しいけど温かい時代」、今は「モノはあるが冷たい時代」なんて比較される。 でも女性の地位は今より低かった。マイノリティへの目は厳しかった。  そういうことを乗り越えて ( 今も克服しながら ) 人類はなんだかんだ進化してきたと僕は信じている。 みんな「高校の頃は楽しかった」と盲目的に言う。 でも辛かったことも多かったはずだ。大小の差はあれどもそれぞれ悩みを抱えながら頑張ってたんじゃないの? 多くの演劇サークルにとって今は暗黒期である。 暗黒期ではないのかも知れないが、確かに暗闇の中にいる。 この状況下において、僕たちスタッフにもセクションにもよるが一応引き継ぎ書に書かれたタスクを潰していくことは可能だ。 でも、ただ脳死して仕事をこなすだけならバイトでもすればいい。 ノルマもいらないしむしろお金がもらえる。   「じゃあどうする?」   「まあもがいて、足掻いて、進んでいくしかないんじゃね?」   「でもそしたら大変だし辛いこともあるよね?」   「大丈夫っしょ。辛いことがあってもいつか忘れて、   学生時代は良かったー   なんて言うんだから。」 19照明 立石 おまけ 僕の好きな言葉 ・「やらずに満足するのとやって満足するのとでは断然後者を選ぶべきだ」 ( 黒神めだか ) ・「暗い場所で見る光も悪くねえ」 ( 多分アドレナリンの輪入道のウイニングラップ )  

主題歌

中高の頃、僕はものすごくテレビっ子で。 受験勉強をサボって布団の中で、ワンセグでドラマを見るのが好きだったんです。 一つのクールが終わると、次のクールのドラマについてあれこれ語ったりして。 このドラマは視聴率が高そうだとか、あのドラマはキャストが豪華だよねだとか、 興味ないけど1話だけ見てみようかななんて言って、結局最終話まで見ちゃったりするのもお決まりでした。 ドラマを好きな理由のひとつは、主題歌です。 主題歌とドラマの内容がちょっとだけリンクしているのってなんか、よくないですか? ひとつひとつの話とは直接関係ないけれど、 ドラマを見る前に主題歌を聴くのと、 ドラマを見ながら主題歌を聴くのと、 ドラマを最後まで見てから主題歌を聴くのとでは、 受ける印象が全く違います。それも、面白い。 主題歌をつくるアーティストはいったい何を考えているのか、時々気になったりします。 ドラマ自体がまだ全然できていない中で、内容とゆるくつながっているような曲を作ることは、 いつもの創作とは違う気持ちで取り組むことなのかなあ、と思います。 自分にはメロディを考えることも、 歌詞を考えることも難しいです。 でも、チラシを作ることならできる。 だから僕は、主題歌を書くようにチラシを作りたいなと思っているんです。 まだ見ぬ素晴らしい芝居に思いを馳せながら、 観に行くきっかけとなるよう試行錯誤を繰り返して、 芝居を観てからでないと気づけないちょっとした仕掛けも入れつつ、 観てくれた人の心に残るチラシであることを夢見て、そうしてチラシを作っています。 とはいっても、 今回の『一代記』では、自分がチラシをつくるわけではありません。なによりまだ制作途中です。 けれどいまの世の中でいまのプリズムでしかできない一世一代の演劇のことが記された、とてもいいチラシになると確信しています。 聴くだけでドラマのワンシーンが浮かぶような、素敵な主題歌のように。 SIRUP『LOOP』を聴きながら 18 宣伝美術 おいだ

感傷に唾を吐き捨て足蹴にし高らかに嗤う

高校三年生はクラス演劇をする。これが我が母校の伝統で、例に漏れず私もキャストとして出演したのだが、当時の私はクラスメイトとの折り合いが悪く「クラス演劇に出演することはかねてからの願いだったがお前らとはやりたくない」という状態で稽古期間を過ごした。あまりにも居心地が悪く、昼休みなんかには2つ隣のクラスに遊びに行き小道具や宣伝物の作成を手伝っていたほどだ。そんな居心地の悪かったクラスでも、一年間かけて作り上げた演劇の幕が下りるとなれば涙腺が崩壊しクラス一同達成感に包まれもうこの仲間たちと乗り切る行事がないことに寂しさを覚える……ことができれば良かったのだけれど、私の中にあったのは解放感だけで、これが終わればもう本当に終わりだからと舞台上で感傷に浸った未熟な役者を傍目にセリフを練習となんら変わらず紡いでいた。結果演出助手を務めた友人に「お前が上手くやれてたか知らんけど他は残念なことになっていて面白かった」なんて言われたのだが。 私は問いたい。こんな人間が演劇サークルになど入ってしまって良かったのかと。 いや、ダメだよな〜〜〜 例えクラスメイトと仲良くやってたとしても自分は感傷に浸ることなく与えられた仕事を全うしようとしてただろうしな〜〜〜 なんで終わってもないのにあいつら勝手に感傷に浸ってたんだよ頭おかしいんじゃねえかそういうのは全部キッチリ終わってから感じろよアホか〜〜〜(社会不適合者のぼやき) いやね、座組みのみんなも好きだし演劇も好きなんですけど、どうしても「この座組みでやる演劇が好きだ」っていう気持ちになれないんですよね。高三に関してはクラスとの折り合いが悪かったことを言い訳にできるんですけど、プリズムそういうわけじゃないはず(だよね?陰で嫌われてたりしないよね?)なのにやっぱりあくまで「作品」に対する評価が先行してしまう。極論全然知らない人と公演をしたとしても同じ感情を抱いていそうで。なんなら引退公演だから、とかこれが終わるともうプリズムで芝居ができなくて寂しいよね、とかそんな言葉口が裂けても言えない。あれ、もしかして自分サイコパスなんですかね?ニンゲンのココロむっず。あー、人付き合いが面倒臭くて適当にしてきたツケが回ってきたなこれ。 ま、いいんですよ。高校時代「クラスなんて所詮機械的に振り分けられた人間の集合体でしかなくそこに無条件

註程度に思っていてください

 こんばんは。 18 音響・ Web ・制作の佐藤です。と言いつつも、今回の公演ではどのセクションでも(今回枠をいただいている音響でも)まともに仕事ができていません。心苦しいので言い換えます。改めまして、愛情押し売り屋の佐藤です。佐藤が来たということは、今回確実に長いですよ!(書き終えて追記:約 6500 字) 適当に読み飛ばしてくださいね。   『一代記』という言葉、私もとても好きです。収まりが良くて、どっしりとしていて、シンプルだけど重厚、誰にでもあるけど同じものは一つとしてない……研究室や図書館にズラーーーっと並んでいる類の本というイメージがあります。ああいう重たくてシンプルな装丁の伝記や全集は、手に取るのには勇気や覚悟がいるけれど、見ているだけでわくわくしますよね。きっと、一冊一冊、その人や事象を大切に思う人が、何年もかけてこだわり抜いて作り上げてるんです。ふわっと広がる、甘い、古い本の匂い、想像すると図書館に行きたくなってしまうな……。   さて、では「君の一代記は?」と聞かれたとき、私はすぐに「特筆することはありません」と答えてしまいます。謙遜ではなく、今のところ本当にのほほんと順風満帆な人生を送ってきたからです。一般庶民の何の起伏もないハッピーな日常を延々と読み続けたいのは……庶民の研究をしたい歴史学者くらいじゃないかなぁ……。   と、いうわけで、ここからは私ではなく、私の好きな人たちについて書いていきたいと思います。みんなまだまだ生きていくと思うので一代記とは言えないけど、私が見て来た範囲で、簡単に、語らせてください。本当はプリズム全員のことを書きたいけれど、そうなってくると本当に収集つかなくなってしまうから、 18 だけ。   舞台・ Web の彼女は、お話ししていてとても楽しい子です。ぽやぽやした舞台屋ガールズのツッコミかと思ったらボケもこなしたり、舞台屋なのに帰宅セクションで小屋入り中も頑張って帰ったりと、一緒にいて退屈しません。私が Twitter 担当でわたわたしている時にもたくさんサポートしてくれてとても助かりました。ありがとう。実は共通の趣味があることも発覚して嬉しかったりしました。舞台美術について色々考えて、綺麗な舞台をデザインしてくれた人です。彼女に限らずだけど、舞美

これは わたしからわたしへの

おひさしぶりです、映像の船曳です。 今回のテーマはタイトルと同じ『一代記』ですって。 【一代記】 その人の一生涯を記録したもの。伝。行状記。 昔だったら手書き、伝聞しかないですけど、今だったらいろんな形で残せますよね。 わたしも小さい頃の記憶なんてほとんどないけど、カセットテープやアルバムには残ってて、今も親戚で集まるとよく皆で見ます。でも、そういうものって成長するにつれて少なくなってきますよね。小さい頃は公園に遊びに行くだけでも父がビデオカメラやらカメラやら持って行って姉とわたしが遊んでいる様子を撮ってくれましたが、だんだんと学校行事だけになって、今となってはカメラは未だダンボールの中です。スマホでもたまーに、誰かに送りたい時くらいしか動画は撮らないですね〜 その代わり、友達同士でたくさん撮るようになりました。イベントがある時はもちろん、普段の何気ない風景もいっぱい撮ってますね。小屋入り中の写真とか、動画とか、見返すのが本当に楽しい!ついニコニコしちゃう! うーん、でも、わたしのことが一番残されてるのって、そういう動画とか写真とかじゃなくって、わたしが小学生の頃から一人暮らしするまで母が毎日書いてくれてた『ほめノート』だと思います。かわいいノートにかわいいシールを貼って、読みやすい綺麗な字でわたしがやったことを褒めてくれたり怒ってくれたりしていました。自分で日記を書くことはしていなかったので、わたしにとってはそれを読むことが日記のようなものでした。 一人暮らしするようになってからほめノートは途絶えてしまったので、これを機に自分宛のほめノートを書いてみようかなあと思うなどしました。写真や動画もいいけど、やっぱり手書きもいいよね!!! 思いついたものをぐだぐだと書き連ねていたらこんな文章が出来あがってしまいました。映像らしいことも書けなかったし、うーん、文字を書くのって難しいなあ。 ここまでお付き合いいただきありがとうございました。 これからも付き合ってくれる方はどうぞ船曳をよろしくお願いします? ほめノートの書き出しは何にしようかな どんな文章でも作業場日誌を期限までに書けてえらい!って書こうかな プリズム18 映像 船曳

人はそれを黒歴史と呼ぶ

 今回のテーマは「一代記」らしいです。でもこういう機会に自分の人生を振り返ってみると脳裏に出てくる大半が恥ずかしい過去な気がします。恥ずかしい過去:楽しかったことで 6 : 4 くらい?過去のことを回想するたびに床を転げまわりたくなる今日この頃ですが、床を転げまわる分悲しいことを思い出さないで済んでいると考えると逆に恥ずかしい思い出をたくさん持っていた方が人生楽しいのかもしれませんね。枕を濡らすより転げまわった方が運動になるし、転がりまわったのも十年くらい経ったらいい思い出になるだろうし。やったね。本当にそんな上手くいくかどうかは知らんけど。  …なんていい感じにまとめてみましたがあまり一代記と関係ない内容になってしまいました。 Web らしいことも書けてないし。(最初に表記し忘れましたがこれは Web 回です)ごめんなさい。まぁ後続の人達がいい感じの文章を書いてくれると思うのでそれで手打ちにしてもらえるとありがたいです。 Web の仕事は頑張ります。       …あっ引退しますみたいなことも書けば良かった   18 Web 岩瀬

作業場日“誌”だけど

お久しぶりの作業場日誌更新&「一代記」編トップバッターが果たして私で良いのか…。 ド緊張ですが、とりあえず書き始めますのであたたかい目で見て下さい。 今回の作業場日誌のテーマは、タイトルそのまま「一代記」だそうです。 私、このタイトルとっても好きなんですよね~~!さすがです。 一文字一文字が好きです。 「一」は、"何かが始まるワクワク感"があって、習字で書くときに、細くはじまり力強く終わる感じもなんか好きです。 「代」は、「時代」を想起させて人々が生きた期間の重さを感じます。"しろ"って読むのも趣深いです。 「記」は、"しるす"。考えも想いも文字にして"記"録すれば、それをみるだけで当時の気持ちになれたり。時間は戻らないからこそ"しるす"のが楽しいなと思います。 そういえば最近、日記をつけ始めました。 幼い頃は日記を書くのが趣味で、小学2年生までに書いた日記の冊数は確か25冊とかだった気がします。 いつのまにかその習慣もなくなったのですが、「毎日自分が何をしたか・何を思ったか」を言語化しておきたいな~と思って、毎晩ノートに向き合う時間を少し作りました。 衣装セクションらしく、その日どんな服を着たかも書(描)いたりします。 (そういえば衣装セクションの人としてこれを書いているんです) 日記の良さは、やっぱり残しておけることだと思います。 この良さはおばあちゃんから学びました。 私のおばあちゃんは、何十年間も日記を書いています。 おばあちゃんが老眼鏡をつけ、3年分が1冊になっている分厚い日記帳に、(もはや読めないくらいの)達筆な字で書き込んでいる姿を幼い時から見てきました。 おばあちゃんは、今日の出来事を書くとき、前年や一昨年の"今日"の欄を見返しては、私に「去年はいとこみんなで遊んでたねえ」とか「庭でBBQして花火したねえ」とか教えてくれます。 私は出来事自体は覚えていても、日付と出来事が結びついていないことも多く、「あ~今日だったんだなあ」と思うことがほとんどです。 おばあちゃんが思い出を文字として残している姿を見て、いくら大切な思い出でも忘れることはあるから、ちゃんと"変わらないもの"に残しておくことは素敵だなと感じます。 こ