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語り合おうじゃないか

 こんにちは23舞台セクション員です。 今回のテーマは「語ること」だそうですね。 作業場日誌書きます!って言い出したにも関わらずあまりにもテーマが難しく、困り果てています。 自分1人では無理だ!と思ったので横にいた舞台セクション員に助けを求めました。そしたら語り合えばテーマに反しないのでは?となったので舞台は異例の対談型日誌をしようと思います。お付き合い下さい(?)、、。 2人とも演劇初心者じゃないということで演劇との出会い、原点について語り合うことにします。 H:演劇との出会いはなに? H':俺は小5の秋だったかな。俺は中学受験をした人なんだけど、志望校の文化祭で偶然暇だったから見たのが初めてだったと思う。 そっちはいつなの? H:中学の部活で仮入部からの流れで入部した感じ H':俺も自分が演劇に初めて関わったのも、中学の部活だったな 俺は中1の9月ぐらいから仮入部した人だったわ H:9月??仮入部にしては遅くない? H':そうなんよ。最初は帰宅部だったんだけど、9月の文化祭でまた偶然演劇部の公演をみてさ ずっと帰宅部でもよかったんだけど、暇だったから入ったって感じ H:そうなんだ、こっちの仮入部さ、演劇部なのに基礎練とダンスだけしてたからダンス好きホイホイ状態だったよ。1種の詐欺だね H':演劇部とはって感じだな… てことはその演劇部を名乗る謎集団に入ったってことよね H:そうだね。別にダンスに釣られたわけじゃないんだけど流れだね H':なるほど。そういう意味ではうちは案外、純粋な演劇部だったわけだ 仮入部の時から発声とかエチュードとかやらせてもらえたわけだし H:エチュードって何?って思って調べたけど即興劇なんだ。やってないな、大丈夫かな我らの演劇部、、。ちゃんと演劇部っぽいことやってていいね H':うちの部活褒められてるの嬉しいわ 俺は中高一貫校だったから結局、惰性で高校まで演劇部にいたんだよなあ H:中学で演劇が嫌になっちゃって、高校は全く演劇関係ないとこ入ったんだよね。そう考えると今ここにいるの奇跡みたいな気がするよね H':確かにそれは奇跡かもしれんね ただ、その時の中学の演劇はなんかミュージカル寄りな印象だけど、プリは会話劇が多いからまた違うものな気もするけど、そこはどうなの? H:いや、違うね

語り、語られ

23照明でございます。 何分初めての作業場日誌ですから、気合が入ってかたっ苦しくなるのもご容赦いただきたいです。 締め切りに追われて遅刻ギリギリのラインで格闘するのは久しぶりのことで作業場日誌を書くと名乗りを上げた当時の自分をぶん殴ってやりたいとさえ思いながらもハイになって書いております。(死に際に呪力の核心をつかんだのかもしれません) さて、しょうもない冗談はさておき本題です。 ちょっとずるいかもしれませんが、僕は他人の「語り」について考えてみたいのです。 SNSが普及しまくった現代では「語り」がそこら中にあふれかえっています。 Twitterを開けば人の語りに触れられますし、極まれば「語り」は文学という芸術にまで昇華します。 しかし、それと同時に世に「語り」が広まるほど誤解もそこらじゅうで見られるようになったと思います。 人が何か語る際にはまず、何か語りたい事柄があって多くの場合は細部を省いて、場合によっては物の順序を入れ替えたりして、わかりやすく、おもしろく工夫します。 そして、これを他人が読み解けばいとも簡単に誤った解釈が生まれます。同じ「語り」から様々な解釈が生まれます。これを当たり前のことと捨て置いても不思議だと取り立ててもどちらでもよいのですが。 ここで言いたいのは「語ること」は一見語り手による一方向的な表現に見えてその実、圧倒的に受け手依存なものなのではないかということです。 僕は大学に入って初めて(といっていいでしょう)演劇に触れました。 仰々しく言えば他人の語りに対して正面から向き合ってこなかったのです。演劇は世にあふれるほどある表現の中でも数少ない一度しか体験できないという特異性を持つ「語り」でした。 そんな僕が演劇を見て得たものは複雑すぎる心の動きと降って湧いては消えていく一過性の思考、そしてこれらを語るのがとても難しいという事実でした。 どれだけ言葉にしても足りない、僕が受けた興奮、感動、衝撃、困惑はこんなものじゃない。 そんな時に言葉が止まるタイプの人間である僕は特に受けた語りが僕の中にとどまり続けていることに驚き、悔しく思うと同時に、こんな何処にもやれない感情の渋滞こそが演劇の良さなのかな、なんて素人ながらに感じました。 よりよい締め方と睡眠時間を天秤にかけると、僕の意思に反して睡眠時間が重く沈み始めたのでこのあたりで。 おやすみなさい

私の鞄に吊るされしきりたんぽが可愛い

皆様初めまして。先輩方や同期の文才溢れるブログに非常に焦りを覚える、23の音響セクション員です。 今回のテーマは「語る」ということで、このテーマについて感じるところを徒然なるままに、そこはかとなく綴ってみます。     私は今まで他人や友達の語りを聞いてきて自分もこれほど夢中になれる何かがあったらなあと幾度となく思いました。 それに一番近いものは何かと聞かれれば女性アイドルですが、何せ熱しやすく冷めやすいタイプなのでグループにしろ推しにしろひとつに定まらない。 「推しを語って」「好きなグループを語って」と言われても次の日にはその人、グループから心が離れていそうでこんな私に今ぱっと思いついた推しを語る資格などあるのか、と思います。   実は9月末に私が周囲に推しだと言ってきた人が参加するライブがあって少しでも自分の「語り」に箔をつけられるよう配信だけでも見てみようかな…という次第です。 短い上にまさに自分語りに終始してしまい申し訳ありません。   あ、9月末と言えば…(無理矢理感)   劇工舎プリズム秋公演「氷星かく語りき」がございます。駒場小空間まで是非足を運んでいただければと思います。 私は当日音響卓を操作します。とにかく本番に弱い私ですが、公演に花を添えられるよう精一杯頑張ります。   発熱10時間後の音響セクション員でした。 最後まで拙文をお読みいただきありがとうございました。

言葉にするのは難しいから

 見た光も、闇も、感じた風や匂いも 伝えるためなら同じものを作ろうとします。22映像チーフです。 今回のテーマは「語ること」 ものにはよるが私の一番苦手なことですね。何故苦手なのか?本心がひとつでは無いからだ。 わけわかんねえよって声が聞こえますので説明しますと、私の場合一度に平均4つぐらいの事を感じたり考えたりするのですがその中から伝えるものの選別を間違えてしまうのです。難儀ですね。 そのため私に同じ質問をすると違う答え又は全く同じ答えが返ってきます。(これは私が矛盾をなくそうと頑張って記憶通りの回答をするため) 最初の質問への返答が誤解されていればそのあとも誤解させたまま、返答が聞く度違えば混乱させ続ける。不審すぎる。厄介ですね。 このような理由から語るのは苦手です。言語化も苦手です……。 まーぁこれでは困ると!いうことでですね、私はひたすらに技術を求めるわけです。言葉にできないのなら映像に、光に、音に変えて伝えたいと強く思うわけです。 時には誰かの言葉を借ります。歌とかにしちゃいます。説明しなさいとか言われたら突然言葉に詰まっちゃいますね。 だから私にとって、語ることは作ることなのかなーと思いつつ。表現者である以上語ることとお友達であり続けたいですね。 さてここからは映像チーフらしいことを語りますね、実は今公演で交代なので! 私技術的なことを調べるの結構好きなんですが、つい最近プロジェクターや錯視についてとある教授に教えてもらいまして。 映像投影を強化したくて何か購入できないかと5000lm(ルーメンと読みます。輝度の単位です。)以上で探してみたところとんでもないお値段で卒倒!桁を見間違えたレベルですね。調べ進めるとなんですか?業務用プロジェクターなるものが現れましたがレンズが別売りだったり大きすぎたり重すぎたりする。教授所有の業務用プロジェクターを触らせてもらいましたがやはり大きかったですね。10kgのお米は袋に入って柔らかいから運ぶのもそこまで苦ではないのに、プロジェクターが10kgともなれば硬くて歪な鉄の塊(大)、運ぶのが大変すぎるぞと。さすがに業務用の購入は断念しました。 ……と、このように。日常での出来事を語るのは好きです。うるさいぐらい喋ります。見たものを共有するのが好きなんですね、きっと。 では語ることが苦手な姿と好きな姿の両方を語ったところでこ

本当に会話できてる?

遅れてすみません22宣伝美術です…泣 「語ること」ってなんだろう…どうしよう…と思いながら既に投稿されている他セクションの作業場日誌に目を通し、23の文章力に涙を流しています。ゴーストライターになってほしかった。頑張って書きます。 うーん、語ること、なんとなく一方的なものであるように感じてしまいます。「語り合う」という言葉が別に存在するのであれば「語る」ことは片側向きの矢印なのかな〜と。ただ、小道具担当さんが書いていたように相手を意識するものではあるし矢印を受け止める相手がいるからこそ成り立つことだと思います。 自分が伝えたと思っていたことが相手には伝わっていなかったってこと、往々にしてありますよね。たまに、人と会話が成り立っている、意思疎通ができていると思い込んでいるのは自分だけで本当は周りから見たら自分だけ楽しそうな意思疎通できないモンスターなんじゃないかって不安になりませんか?私は今ばっちり不安になっています。泣きそうです。締めます。 私の言葉が相手に届いていて、私も相手の言葉を正しく受け取れていますように…

題名の考案が大の苦手です。

 22小道具です。 今まで何度か書いてきた稽古場日誌ですが、どうにも未だに何を書くのが正解なのかわからずにいます。今回のテーマは「語ること」だそうですね。 「語る」という言葉は相手を意識した言葉であるような気がします。自分がいて、相手がいて、その相手に何かを伝えること、といったイメージです。これは私の解釈ですから間違っている可能性もあるかと思います。叩かないで! 私は外の世界に出力するまで自分のアイデアがまとまらないタイプで、よく紙に書いたりスマートフォンやタブレットに打ち込んだりして整理しています。 アイデアの出力はひとりでも飽きるまで行えるのですが、自分のアイデンティティについての思考や自己の反省となるとなかなかうまく行きません。自分自身が自分について価値のあるものと認識できていないからか、どうにも馬鹿馬鹿しく感じてしまうのです。 ここで登場するのが「語り」ですね。どうにも価値が感じられない私の話でも誰かにきいてもらいながらなら出力する価値のあるもののように思えるのです。 幸いなことに私は日常の中で「語る」機会を多く与えられています。とても有り難いことです。 聞き手として存在してくれる相手を得たおかげで私はなんとか自己理解を深めることができています。自己理解などあってもなくても良さそうなものですが、日頃何かにつけて熟考しているふりをするのが好きな私にはもってこいのお楽しみなのです。 また、相手に「語ってもらう」ことによって自分には見えていなかった別の世界を見ることや、自分では思いつかない全く違った視点を得ることも可能です。これもまた、新たな面からの自己理解に繋がったり。 相手の「語り」をきいて、相手のことを理解したような気持ちになることもありますね。私が相手の世界を理解していることなどあり得ないのですが、それはそれとして理解したような気持ちになれるのはなんだか嬉しいのです。  ときには「語り」「語られる」ことによって共通点のようなものが見えてくる瞬間も存在します。もちろんすれ違いにすれ違いを重ねた結果の勘違いだったりもするのですが、別々の人生を歩んだ相手の片鱗に自分のもつそれと同じようなものを見つけるとちょっとした驚喜を感じることができます。 当然「語り」によって発見される事物は楽しいものや面白いものでない場合も多々あるのですが、それでもやはり私は「語り」が好き

いつも言葉は嘘を孕んでいる

  椎名林檎が歌った「ありあまる富」は、私にとってあまりにも優しい曲だった。 そのはずなのに、この矛盾したワンフレーズだけは鈍い痛みを寄越してくる。 今回は、23衣装セクションの望月がお届けします。 お題である「語ること」を語ろうと考えて、先鋒のwebセクション員さんが「吾」に着目していたので言偏(ごんべん)に目を向けることにしました。補いあって生きていきたい。 さて、「言偏」「言葉」と連想して浮かんだのが、冒頭の「いつも言葉は嘘を孕んでいる」というフレーズだったのですが、言葉が好きな人間としてはとても切なくて、なんだかここだけ耳を塞ぎたくなります。 私は、嘘を悪者だと思っているんでしょうね。 単純な嘘については、弟・アベルを殺した兄・カインを思えばわかりやすいでしょう。旧約聖書で知ることのできる、人類で初めて嘘をついたとされる存在です。では、「言葉が嘘を孕んでいる」とは一体。言葉や語りが嘘そのものではないとは、どういうことなのでしょうか。 語りにおいては「相手に伝える」というステップがあると、webセクション員さんが書いてしました。それから、嘘が「事実ではないこと」「正しくないこと」、そして「望ましくないこと」という側面を持つことを知ったなら、その語りに耳を傾ける存在が見えてきます。 伝える側にとっては、事実で、正しくて、望ましい。 受け取る側はそうではないことが、この世界には多々あり得るのでしょう。 演劇を含むあらゆる表現は、そうした薄氷の上を歩むような不確実性に囚われているように思います。 そう思うと、「嘘を孕む」ってそう悪くないかもしれない。孕むだけならね。カインにはなりたくないからね。 演劇における「語ること」といえば台詞でしょうし、秋公演の登場人物も嘘を孕んだ語りを紡ぐかもしれません。あなたは、作中のどんな語りに嘘の匂いを感じ取るでしょうか。 その「解釈」の手がかりとなるのは、おそらく非言語情報。真っ先に思いつくのは役者の身体だったりするわけですが、我らが衣装セクションによる登場人物の外見だって、ひと役もふた役も買っているという自負を抱きつつあります。もちろん、政治家のネクタイが赤か青とか、そんなわかりやすいものではないかもしれないけれど。 衣装セクションとしての私は、近頃ずっと画像検索をして、ネットショッピングをしています。たまに古着屋さんに行きます。

ちくわ

 こんにちは!22制作です! 今回のテーマは「語ること」だそうです。なんか今回テーマ難しくないですか!?汗 普段作業場日誌ではなるべく難しいことを考えずにサラッと書こうと思っているのですが今のところサラッと書けるほど書くことが思い浮かんでこないです汗汗汗 とりあえず「語る」の意味をインターネットで検索してみました。 「話す。特に、まとまった内容を順序だてて話して聞かせる。」 だそうです。 順序だてて話して聞かせるなんて言われると今の私には真っ先に就活の面接が思い浮かんでしまいます。嫌な傾向です。 あと語ることというと……?なんでしょう? 結局オタク語りしてる時は楽しいですよね。多分。ちなみに私はだいたい2年周期で推しが変わります。 実家の犬が可愛すぎるのでここまでにさせていただきます! それでは!

語るのが上手くなりたい

 はじめまして、23のWebセクション員です。 チーフの先輩の「作業場日誌書いてくれる人いませんか?」の声に意気揚々と挙手したもののあまり勝手が分かっていません。とりあえずテーマについて思うことを書いていきたいのですが、何分初めての執筆なのでお手柔らかにお願いします。 劇工舎プリズム秋公演まで1ヶ月を切りました。 毎公演恒例(と聞きました)の作業場日誌、今回のテーマは『語ること』でお送りします。 「語る」と「話す」の違いってなんだろう、そう思って傍らにあった電子辞書を引いてみました。 語る・・・・・・事柄や考えを言葉で順序立てて相手に伝える、筋のある一連の話をする 話す・・・・・・言葉に出してつたえる、口で述べる、互いに会話をする (広辞苑より) なるほど、それぞれの意味は理解できるけど、違いについては分かるようで分からないような感じです。 ところで、「語」という字には「吾」が含まれています。これと広辞苑の意味を組み合わせると、「語る」とは「自分のことについて、事柄や考えを言葉で順序立てて、筋のある一連の話として相手に伝える」とも解釈できる気がします。要は「語る」は「話す」に比べて、自分のことについて相手に伝えるというニュアンスが強いんじゃないかな、ということです。 日本語に詳しい方に言わせれば間違っているのかもしれませんが、今回はこれでいきたいと思います。 4月に大学生になって、高校までと比べ関わる人の人数は増え、タイプも多様になりました。同じ大学で共に学ぶ同級生、プリズム含めサークルの先輩や同期、バイト先の人。 その中で、「この人話上手いな」って思う人って、程よく自分の話をするのが上手い人な気がします。先程の解釈を使えば、語るのが上手い人。 単に相手の話にリアクションするだけじゃなくて、自分の話をして、それを話題にできる。または、既にある話題に関連した経験や考えを話して、話題をもっと深められる。それも、他の人が嫌にならない程度に。 そう考えると、私は語るのが苦手なタイプだと思います。話すのは好きだけど。 自分の話をしようと思ってもできる話がないし、自分の内面の話をするのってなんか恥ずかしいし。 以前大学の授業で「人と仲良くなるにはある程度自己開示(自分から自分の内面を明らかにすること)が必要」と言われましたが、なかなか難しいことだと思います。 じゃあ、そんな私が

遅刻してごめんなさい

  作業場日誌大遅刻かましました衣装です。すみません😭 長いような短いような、旅が終わりました。脚本を読むところから始まって、イメージを膨らませ、ネットをみたり古着屋をみたりと、衣装探しの旅の道のりは長いです。その分、良いコーデが思い付いた時や良いものを見つけた時は相当な快感が味わえます。今回の衣装は個人的にとても気に入っています。生地の質感を大切にできた回なので、ご来場いただいた皆様には間近でお見せできて良かったなと思います。これから映像公開をみてくださる方々も、お楽しみに。 次回も衣装にご期待ください。 最後に 21の皆様。引退おめでとうございます。敬愛する先輩方が引退されるということで私の心中は大変荒れております。しかし、一年程の関わりでここまで想えるような先輩方であったことに暖かみと喜びを感じます。21のいるプリズムに入って良かったです。本当にありがとうございました。 22 衣装

旅でも演劇でも

長期休みは旅と演劇で終えてしまった21の照明担当です 旅も演劇も非日常として楽しめる その過程に手間ひまかけると、 日常になりそれはもっと楽しいものになる 目的がぼやっとしてるところもどこか似ているような気がします 目の前の公演が終わったら引退らしいんです。 9人で小屋入りしてたころが懐かしい プリズムって船みたいだなぁと私思うんです 劇工舎プリズムとして公演を打っているけれど、作演という船頭がいて進む方向が決まってく どんな作品でも演劇として上演するためにエンジンとなる舞台監督、照明チーフ、制作がいます お客さんに作品を味わってもらうのも一緒です 今回でコロナ禍真っ只中に入舎した21は船を降り、それぞれの旅に出るでしょう たまにはお便りくれよ。そう思います。 21照明

テーマに沿って書いてみようと思う。最後なので。

今回のテーマ「旅」らしい。 今までテーマを無視してなんとなく書いてきたので今回ばかりはちゃんと書こうと思う。 ・・・書きづらいですね。でも編集志望で後々テーマに沿って書かなきゃいけないので頑張ります。 「旅」って「旅行」とは違うらしいです。隣の人が言ってました。「インスパイア」ってやつでしょうか。どう違うんでしょう。 「旅行」:行き先が決まってる、行楽目的。 「旅」:行き先が決まってないと、とりあえず定義しておきましょう。 サトシの旅ってそうですよね。 そんなわけで今日はその目的の決まってない「旅」について書こうと思います。 目的を決めないって、何をしても良いわけで、何かに縛られていない度合いにおいては最上級ですよね。楽です。 しかしながら、大抵の人生においては部活動やら、勉強やら、家事やら、遊びに行く場面においても必ず何らかの目的が存在しますよね。 さらに言えば、「目的を決めない旅」においても「旅をする」という目的が暗にあるわけで、「目的がない」状態なんて果たして存在するんでしょうかね。 あれ、定義が間違っているような気がしてきました。お大学でやる学問ではここで「仮定が間違っている!」なんて興奮するんでしょうが、ここではそのまま突っ切ります。 アイ・ラブ・フリーダム と、いうわけで目的もなく書き続けてしまったので早くも書くことがなくなりそうです。困りました。別に文字数のノルマがあるわけではないのですが、せっかく最後なのでもう少し中身のあることを書こうと思います。 うーんと、こういう場合はプリズムについて書けば良いのでしょうか。そうですよね、就活とか昨日見た「紅の豚」について書いてもしょうがないですもんね。 プリズムでは役者をやる目的で入りました。役者なんて社会人になって新しく始めることは難しいですもんね。 フェンシングとスカッシュという対抗馬もありましたが、運動経験が乏しいので無難な選択ですね。 気付いたら音響チーフになってました。機材はいじれないですがなんとかなりました。 作演出もやりました。なんとなくでできました。人様に迷惑をかけることは多かったですがそんなに恨まれずに済みました。 意外とあっという間に2年半です。大学生活は早い。もっと有意義な大学生活ができたのかもしれない。 もっと、もっと何かた

旅適性がなさすぎる

 引きこもりです。土日は惰眠を貪りつつYouTubeとアマプラを見て終えるタイプです。テーマ【旅】を一文目から勢いよくぶち壊してしまいましたが、21映像担当です。よろしくお願いします。  旅と言えば、小学生の頃は年に一度の家族旅行が夏休みの楽しみでした。駅弁を買って新幹線に乗り込み、発車数十分で食べ尽くすのが私の特技です。瞼を閉じれば、目的地までの残りの数時間をペットボトルのお茶だけで過ごしたあの日が昨日のことのように浮かんできます。一時の欲望に弱い人間の典型的な例ですね。最近も新幹線に乗りましたが、全く同じ過ちを繰り返しました。もう二十歳も超えているというのに、全く成長が見られません。なんだかなぁ。  といった具合でよく言えば刹那的、悪く言えば危なっかしい性格なので、一人旅というものをしたことがありません。家族旅行だったり、修学旅行だったり、友人との旅行だったり、どこか離れた土地に行くには常にだれかと一緒でした。私自身が引きこもり気質なので、誘われないと家の外に出ようとしないのが最大の原因かもしれません。誰かと一緒じゃないと知らない土地で生きていけません。何なら初めてのお店に一人で入る時も超緊張します。(ちなみに父親もそうらしいです。遺伝?)「旅は道連れ世は情け」なんて言いますが、旅は道連れ特権を最大限に振りかざして生きています。旅行は計画性のある友人と一緒に行くに限りますね。誘う側はたまったもんじゃないのかもしれません。いつもごめんね。  さて、散々「一人では生きていけない」だの何だの甘えていた私も、ついに一人旅をしなければならない時がやってきたようです。そうです、引退です。なんだかあまり実感がありません。私の大学生活はプリズムが約8割を占めていたので、引退後の私は大学生活の8割を失うことになります。どんな気分なんだろう。経験したことがないので全く何もわかりません。そして、私は経験したことのない世界に一人で飛び込むのが苦手です。つまり引退にめちゃくちゃビビり散らかしています。社会と向き合うの、怖すぎ。モラトリアム最高。一生大学生がいいな。  ……そんなことを言っても引退はやってきます。時の流れは無常ですね。私が今こうしてビビり散らかし、あろうことか作業場日誌とか言う場でそれを全世界に公開している間にも、同期たちは就活に学問に励んでいるわけです。置いてかないで皆。

ただただおすすめするだけの人

皆様こんにちは。 21 小道具の人です。     今回の作業場日誌のテーマは「旅」だそうです。私は旅行にはあまり行かないです。完。     これだけだと少し寂しいので絞り出しました。皆様は仮面ライダーディケイドという作品を御存じでしょうか。 2009 年の作品なのですが私はばっちり観ていた世代なのでディケイド大好きです。どんな作品かというと,主人公が他の仮面ライダーが戦う並行世界を旅する話です。そう,「旅」です。詳しいあらすじはググれ。そんな仮面ライダーディケイドにはかっこいい主題歌があります。 GACKT さんが歌う「 Journey through the Decade 」という曲です。かっこいいです。かっこいいので今これを読んでいる皆さんは今すぐこの曲を聴いた後3日以内に7人に広めないと不幸が降りかかります。仮面ライダーディケイドが「旅」をする作品である以上,主題歌でも「旅」について触れています。皆さんはもうこれを読むのをやめて聴いてきたはずですが一応サビの部分の歌詞を紹介させていただきます。     On the road  誰も旅の途中   本当の自分自身出逢うため   歩き続けるのさ今を  We're all travelers   ボクの目の前に広がる   9つの道はいつか重なって   新しい夜明けへと続く 道に変わるのだろう   目撃せよ  Journey through the Decade     かっこいい〜。これが GACKT ボイスで歌われているんですって。え?奇跡?   人生は旅とはよく言いますが,旅にはいろいろな道があります。別々の道がいずれ重なる,というのが私にはとても沁みました。これが化粧水だったら美肌になっているというほど沁みこみました。まあ文字だけでこの曲を魅力を語っても伝わりにくいと思いますので是非聞いてください。そして仮面ライダーディケイドを観てください。     さて,仮面ライダーと同じくらい皆様に観てほしいといえば劇工舎プリズム第 80 回公演『 AND NOW 』。 80 回というキリの良さが素晴らしいですね。でも中身はもっと素晴らしいです。あんまりここでべた褒めす

高いお酒呑みたい

ずっと作業場日誌を避けてきました。 文章を書くのが好きではないからです。 幸いにも2セクションのチーフを兼任しておったので、チーフの権限を正当に行使して同期や後輩に任せてきました。「稽古場日誌も書くんだけど…」という返しには「無理じゃなかったら書いて欲しいな…!!!!!!」という圧力をかけて聞かなかったことにしてきました。最悪ですね。 私のSlackの文章を正しく読み取り気を遣ってくれた約4名の方々、大変ありがとうございました。 ただ今回は引退目前のただのヒラですし、宣美同期とお話をして書くことにしました。 閑話休題 宣伝美術が大好きです。辞めたくないです。今後、安定した宣美のお仕事がないと思うと大変悲しいです。やりきれなかったことが沢山あって、悔しいことばかりです。 プリズムに入って初めてデザインに触れました。 1夏の宣伝物は迷走しまくっていて本当に思い出したくないです。当時の作演さんに申し訳ない気持ちで一杯です。 1秋もなんだかなぁって感じだし、新公はあぁ......って感じでした。 2夏は割と突飛な事をした自覚はあります。お陰様で温かいお言葉を沢山いただきました。1年後期から新公にかけて自信喪失していたので、大変に救われました。 でも2秋は上手くできなくて、こちらもあまり思い出したくないです。 新歓公演では新公のリベンジを果たした気になりました。自分が作るものの質が、ずっと停滞している気もしました。 五月祭の某集団で宣伝美術を担当させてもらいました。でかいって良いですね。デザインよりそのでかさに救われました。やっぱり成長してなかったです。 そして3夏。相変わらず成長できなかったのかなぁって思います。勿論思い出したくもない1夏よりは格段に上手くなりましたけれど、もう一歩踏み出したかったなぁ。 こういう訳で、悔しい気持ちとまだまだ宣美をしたい気持ちが収まりません。 この2年間でやっと準備を済ませた気分です。いやもしかするとそれもちゃんと終わっていないかもです。家も出てないし、失敗してまずいご飯も食べてないし、綺麗な朝日も見てないです。 今後どのような形で創作に関わっていくかは未定ですが、旅はこれからだと嬉しいです。 「AND NOW」、まずタイトルが本当にかっこよくて好きです。そして作演さんの表したい雰囲気や宣伝物の方向性もとても好きです。引退前にこんな素敵な雰囲

大きな水まで

作業場日誌ですね。今期のテーマは「旅」だそうです。琵琶湖を一人で見に行ったときの話でも書こうかと思ったのですが、大きくて海の匂いがしなくてトイレに寄れる場所がなかなか見つからなかったことくらいしか思い出せないですね。京都から電車に乗って山を抜けるとでっっかい湖が見えるの本当に最高でした。 誰かと一緒だったら超絶ハイテンションではしゃいでいたと思います。琵琶湖デッッッッッカ!!!!あっち向こう岸見えないじゃん!!!!!!!!えっあれ扇状地じゃね!?!?!?!?!?!?リアル扇状地じゃね!!!!!!!えっ駅のトイレトイレットペーパーご持参くださいって書いてある自分で持ってないやばいやばいやばいやばい(湖そばの国道を歩いてお手洗いをお借りできるお店に辿り着き事なきをgetできました)(そこで買ったアイライナーをまだ重宝していますというか今日も使ってます) 今も琵琶湖があのサイズで存在し続けていると想像するだけで不思議な気持ちです。あの湖が抱えてきた時間の長さに比べれば私の人生なんてほんのわずかで、面白くて仕方ないです。長大で広大な歴史の中で何ができるんでしょうね。でもきっと私たちが通ってきた道そのものが歴史の一部になるわけで、地球は確実に私たち以後の時間を重ねていくわけです。やっぱり面白くて仕方がない。歴史を大河にたとえるのはよくあることですがかなり的を射た表現だと思います。水の一滴一滴が集まって大流になるわけなので……………………。 今公演で引退です。演劇に対して、団体に対して、助けてくださった多くの方々に対して何かを通して応えることができたのでしょうか。わかりません。わかりませんが、公演が打たれる過程に携われるのは本当にワクワクする経験でした。プリズムで活動できてよかったです。演劇を通して出会えた(出会い直せた)皆さまに心から感謝です。ラブアンドピース。 引退したところで私たちの人生は続いていくわけですし、プリズムの活動もきっと続いていきますし、私たちの表現への憧憬は終わらないわけです。寂しくてでも嬉しいことですね。またどこかで一緒に何かできたらいいですね。ラブアンドピース。 愛と平和を歌いながら、大海へと旅する一滴としてジタバタ生きていこうと思います。いつかどこかの海でまたお会いできたら一緒に踊りましょう。ラブアンドピース。 プリズム21 ピヨピヨの制作セクション員

いつか、どこか遠くへ

こんにちは。 Web チーフです。 今年も夏公演の季節がやってまいりました。   毎公演続けております作業場日誌、 2023 年夏公演のテーマは「旅」です。   ありがたいことに、アクティブで子どもにいろんな体験をさせてやりたいという親元に生まれて 20 年弱を過ごしてきたので、幼少のころから北海道から沖縄まで様々なところに遠出をさせてもらってきました。両親の実家も居住地からは遠く、旅行と呼べるかはおいておいて毎年必ず数回の遠出を経験する家庭でしたので、遠出へのあこがれもないまま育ちました。   大学に入ると、友人と予定を立てて遠出をしたり、一人で外国に遊びに行ったりするひとを見かけることが増えてきます。 そうした方々を見ていると、いつのころからか胸に抱いていた考えがふと頭の中によみがえってくるのです。   「ひとりで知らない街に行ってみたい」   今春、親戚の家を訪ねて普段なら家族とともに行く場所にひとりで行くことになりました。その際ふと思い立って、その地を通っている路面電車に乗ってみようという気になったのです。 幸運なことに行先は終着駅。私は始発駅から電車に乗りました。 先頭車両に座ると、東京にはない和やかな街並みが次々と眼前に現れます。電車は低い屋根が立ち並び、ときどき昔ながらの庇に守られた小売店が見える道を進み、ぽつりぽつりと走っている自転車をのんびりと追い越していきます。 遠くに視線を移すと、私の瞳に美しい大自然が反射します。きらきら艶めく波の上には鳥が飛び、大きな山は木々を揺らしてこちらを見下ろします。快晴という言葉にぴったりな空からやわらかな陽光が落とされます。 その光が、私の目に映る風景をよりいっそう煌めかせるのです。 幾度も訪れたことのある街でしたが路面電車から見るその街はどうやらどこかいつもとは違う様子で、ほんのりと華やいで見えました。 長い旅のはずでしたが、気が付けばいつの間にか終着駅に降り立っていました。   終着駅に降り立った時、私は強く、「一人旅をしてみたい」と思ったのです。 何か大きな目的を据えることなく、なにも心配することなく、自分の今日明日だけをかんがえた、自分のためだけの一人旅。 知っている街をほんの少し遠回りして進んだだけでこれほど美しい

こんなことしてるなんて想像してなかったな

舞台チーフのじぇるです。 今回のテーマは「冬」 舞台屋が生息している槌音広場オープンクラフト、通称叩き場では、夏は蚊が大量発生します。夏公演の後に、叩き場でパンチカーペットを巻いていたら、片脚に蚊が6匹止まってたのは忘れられません。 ですが、今は冬です。 蚊どもと遭遇することもなく、小春日和の中で作業をすることができます。 木を切り、ビスを打ち、木を切り、釘を打つ。 同じ作業を何度も何度も繰り返し、同じものをいくつもいくつも作る。 そうして、舞台ができていく。 自分は、歴代の舞監のように、舞台に専念していない。 前の舞監のようにサッと工具を使えない。 前の前の舞監のように凝った舞台美術もできない。 それでも、叩き場の工具の音を愛しく感じる。 『雪の降る街』仕込み作業、終わりました。 後は開演を待つのみです。

⋆。:゚・*:゚・⋆。⋆。:゚・*:゚・⋆(←照明のつもり)

冬というと、極寒の雪山で熱源を探して彷徨っていた時のことを思い出します。 雪が吹き荒れる山中では、数分熱源から離れて歩いただけで凍死してしまいました。下がっていく体温に悲鳴を上げながら必死に熱源を探し、なんとか熱源装置を探しあてたり、装置がなければ篝火をたいて一命をとりとめたことが何度もあります。今思い出しても、あれは過酷な道程でした。命からがら熱源を確保したあと、食糧を摂取すべきなのに、それすらできないほど疲れ果てていることはしょっちゅうでした。 そうして体力も気力も枯れ果てて、ただ目の前で燃え盛る火を見ることしかできなくなった時、炎が織りなす不可思議なダンスに魅入られました。ちらちらと形を変えながら雪を飲み込み踊り続ける炎は、目を離せなくなるほど美しく、神秘的なものに思えました。数奇者として名高いある骨董収集家が、晩年ライターの炎を見つめては綺麗だろうと言って魅入っていたという逸話がありますが、なるほどその境地に達するのも少しわかるような気がします。さながら灯に群がる蛾のように、フラフラと炎に惹かれて近づき、そのまま目を離せなくなってしまうことは、確かにありました。時として生物の命や住処を脅かす炎は、その苛烈さや恐ろしさと同時に、言葉にし難い魅力も持ち合わせているように感じます。 劇場で、舞台を彩る照明の光を見る時も、少し似た心地になります。暗闇に包まれた劇場で、灯体が放つ光は劇の支配者の一人となります。暗転の後、光が差しこんできて劇の始まりを知らせ、舞台上の何かに光が当たって、観客の視線は誘導されます。ふっと光が消えて、観客は物語に何か変化が起きたことを感じとり、極彩色や点滅する光は物語に刺激を添え、眩しいほどに強い光はその光景を鮮烈に人々の目に焼き付けます。照明はあくまで演劇の一装置であってそれ自体が主役となることはほとんどありませんが、照明に着目して舞台を見てみると、その装置としての演出力に思わず身震いする時もあります。それはなんだか不思議で、神秘的で、炎の持つ不可思議な魅力に通じるものがあると感じます。灯体の光は炎のように人の営みの片隅、劇場でひっそりと存在しながら、時には人間を飲み込むかのように存在感を放ち、人々を圧倒します。 冬、というテーマからずいぶん離れて奔放に書き連ねてしまいました。元は雪山の話をしていたはずです。ちなみにこの雪山、あるゲームを

星空

テーマが「冬」ということで。 私の冬の楽しみのひとつは星空です。 上を向いてずーっと眺めていると、だんだん星や空との距離感が分からなくなっていくあの感覚、伝わりますかね、あれが大好き。 九州の田舎県出身である私の実家は、高台にあって街の明かりからほんの少し離れられるため、家の周りは星がよく見えるんです。 特に、近所にあるテニスコートの大きなライトが消える夜10時以降は、もうほんとにとっても綺麗。 もちろん東京でも星は見えるけれど、やはり田舎には敵いません。 …書いていたら帰りたくなってきました。 今は東京の星空スポットを探し中です。 どこかいい場所ないかなぁ、満天の星空の下で時間を気にせずぼーっとしてたい。 長文を作るのが得意ではないので、ここら辺にしておきます。『雪の降る街』どうぞお楽しみに。 以上、22音響でした。

季節の感じ方……?

皆様ご機嫌麗しゅう。新たに22代の映像チーフになりし者です。 日本語を練るのがあまり得意ではありませんので映像編集なら任せろ!などと定期的に大口を叩いております。よしなにやってまいりましょう。 さて、今回映像セクションお仕事沢山あるみたいですね。がんばっていきまっしょい。 タスク管理はチーフのお仕事っ!!!(おしごとっ…(オシゴトッ……((エコー という素振り(コレ、"すぶり"ですよ?"そぶり"になると意味がとっても変わっちゃう。日本語こわい。)をしながら迎えますは新人公演。テーマは「冬」。いざ、作業場日誌っ! と意気込みはよろしいのですがきっと既に怪文書ですね。これでも真面目に書いているんです。 ・・・ 冬。 冬って、長い気がする。冬の思い出が多すぎるせいかなんとなくそんな気がします。 でもなんとなく短い気もする。気がついたら春が来ているね。 冬の空気、 特に雪が降る前日の空気って美味しいですよね。突き刺すような澄んだ空気、大好き。 定期的にそんな空気に刺してもらいたくなるのはもやもやした心にトドメを刺したいから。そのまま突き抜けて欲しい…………えっなにそれ急に話が重い。 冬…………。 今は冬で合っているんでしょうか。何をもって冬っていうんだ。立春過ぎたぞ。まだ寒いね。私が冬だと思うならきっとまだ冬だね。むしタイプのpkmnに遭遇しなくて済むこの季節が私はいちばん元気です。この季節のうちに次の春や夏や秋の準備をしてしておくと未来の私が褒めてくれます。 さて、迷走してしまいましたが。 もうすぐ本番が近づいてきました。今公演も映像公開がございます。公演日にご都合つかない方も是非!是非!!映像だけでも観に来てくださいませね。映像を観ての感想もお待ちしております〜。 ではまた! 22 小屋入り前でぺちぺちしている映像チーフ

冬毛のスズメかわいい

ここ数年でインドアを極めに極めた私ですが、冬はいちばん好きな季節です。いつもより多めに外に出ます。一週間に二回ほど。 朝方の澄んだ空気から深夜の星空まで、一日のどこを切り取っても冬が好きです。先日、金沢に行ったのですが、早朝の兼六園は本当に美しかった。無料開放されてるのでオススメです。途中から吹雪きだして宿に着く頃にはびしょ濡れでしたが、全身で日本海側の冬を堪能出来た気がします。 冬はお洋服も可愛くて好きです。いつもより多く着ることが出来ますから、可愛いに可愛いを重ねたら最強可愛いが出来上がるという訳です。 たとえコートで全身隠れるとしても、中に着るシャツやセーターが可愛ければ、その日の私は最強になってしまいます。これ、冬を楽しく生きるライフハック。 今回の舞台のキャラクターも、沢山のアイテムを身につけています。 作演からの「モコモコ」や「キラキラ」の要望になるべく沿えるように、予算くんと喧嘩しながら、仕上げていきました。 舞台の雰囲気やキャラクターのイメージをより最強に可愛く、格好良く、出来ていたら嬉しいです。 是非、注目してください。 最後に、衣装民の皆様。 頼りないチーフに付き合ってくれてありがとう。これからもよろしくお願いします。 22衣装

冬も終わろうとしていますが

 冬といえば山、山といえば冬ですね。 普段の私は限りなくインドア派なのですが、冬だけは暇さえあれば山に繰り出しています。スキー狂いに片足を突っ込んでいます。まだ両足は突っ込んでないと信じたい。 天気がいいとき、山から見下ろす冬景色は本当に綺麗です。山嶺も街も遠いけれどくっきりと青く、見上げると雲が目に見える速さでぐんぐんと流れていきます。時が流れていくみたいに速く。 速く。 はやく。 時の流れ、早っ。 あっという間に2月下旬になってしまいました。 宣伝美術チーフの仕事は、基本的に仕事の割り振りと進捗管理に尽きるのですが、各仕事の締め切りがけっこう違います。宣伝美術の担当のみなさんが優秀なおかげで、気がつくと次の草案や完成品が出来上がっている……ということが多く、有難いばかりでした。 私が作成を担当したのは、ロゴとチラシでした。 特に手こずったのがロゴです。今回の劇では、デジタル風と明朝体風のロゴの2種類があると思います。実はこれ、私がデザインを決めきれずに何種類も草案を提出し、作演出さんに「2種類を使い分けてはどうか」と救済していただいたのが始まりです。寛大・柔軟な作演出さんです。感謝してもしきれない。 どちらのロゴに関しても、いろいろと工夫を重ねて、参考にしたフォントからかなりかけ離れた、オリジナル風のフォントになっています。劇中の2つの世界と見比べながら、楽しんでいただけると幸いです。 22宣伝美術

感情移入って偏ってるよね

こんにちは。レポートは一発書きなのに作業場日誌はもう5回くらい書き直しています。 書き上げて提出しようとする度に気まぐれな自分にボツにされています。今回は提出したいです。 テーマは冬です。つまり今ですね。冬は越えるものなのでしょうか。過ごす、というのもなんだか早く通り過ぎたがってるみたいで寂しいです。いや、これはちょっと過剰反応かも。何が言いたいかというと、春とか朝みたいな明るくてあたたかいものはいろんな生き物から歓迎されるのに、冬とか夜って越える、とか明ける、とかそういう言われ方することが多い気がしませんか?っていう話です。言い回しに特別意味はないのかもしれないけど、私が「冬」だったら(???)絶対めちゃくちゃ気にしちゃう。え、早く終わってほしいと思ってるの?みんな春が好きなの?みんな大好きな春の前の通過点で耐えるべき季節じゃなくて、冬を冬として受け入れて、好きになってくれないの!?!?とか、考えちゃいそう。冬だって好きでいてくれる人はたくさんいるから、落ち着いてほしいですね。 まあ、冬って草木が枯れて虫もいなくて(これはうれしい)いろんな動物が眠って、人間もなんだか憂鬱になったり、寒さを凌ぐために寄り集まっておうちに籠ったりするらしいので、元気に動いていたい人には不都合なのかも。あ、また凌ぐって言った、でも暑さも凌ぐって言うから許してほしい、ごめん…私は好きだよ… 幸か不幸か、まだもう少し冬は続きます。あったかくして、心と体に気をつけて生きてください。22小道具でした。ばいばーい

スンドゥブ食べたい

  冬は寒いし雪が降って電車は止まるし車も動かなくなるし昔からあまり好きではありません。雪で滑って公演の本番 1 か月前に全治 2 週間の捻挫をしたこともあるので本当に好きではありません。夏か冬かと言われたら圧倒的に夏派です。夏になったら冬派って言い出すんだろって思った人もいると思いますが、そんなことは断じてありません。夏派です。四季でいうと春派です。 うちの犬が冬になると毛を伸ばすこととお正月に美味しいものが食べられるという点では冬を評価してもいいかもしれません。お正月に食べる鴨蕎麦が大好きなのです。おもちも好きです。大量に実家から貰ってきたのですが、すぐ無くなってしまいました。砂糖醤油派です。 制作の仕事は思ってた以上に大変です。じわじわタスクに追い詰められていきます。メルティーキッスの箱をパソコンの右側に置いておかないとやってられません。イチゴ味派です。場合によっては柿ピーが左側に追加されます。 8:2 派です。 自分が役者をせず、制作と舞台をする日が来るとは思わなかったです。人生何が起こるかわからないですね。制作チーフ頼りなさすぎて本当に申し訳ないですが、新人公演を走り抜けられるようお酒にほどほどに頼りながら (20 歳です。合法です ) 生きていこうと思います。 味噌ラーメンとチーズインハンバーグとべっこう飴とレモンサブレとカニが食べたいです。 22 制作でした。

冬の空気はなんだか特別だと思うのです。

22Web チーフです。 22年度新人公演の作業場日誌は「冬」だそうですね。この先みんながどんな「冬」のお話を書いてくれるのか楽しみです。 演劇の題名は『雪の降る街』です。私は雪が降っているところを見るのが大好きです。 雪がはらはら空から舞い降りてくる様子をぼんやり見ていると自分がだんだん現実世界から離れていけるような、思考がだんだんすっきりしていく感覚をつかめます。 これと同じで冬の冷たい空気も私のごちゃごちゃした頭を整頓するにはとってもいい薬です。この時期には用事もないのに窓を開けて澄んだ空気を肌に感じながら日が落ちるのを眺めたり、四方から聞こえる物音に耳を傾けたりします。 そうして頭を空っぽにして窓辺に立っていると、辛いことも悲しいことも悩みごとも冷たい空気で透明になっていくのです。あたたかい部屋に戻ると悩みごとの解決方法が見つかったり、やる気のなかったタスクに目が向いたりと心の動きが少し機敏になります。 今日は東京でも雪が降りましたね。みなさんも冬の澄んだ空気の力に触れてみてはいかがでしょうか。 22年度新人公演『雪の降る街』、開演まで残り3 週間となりました。