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自己紹介ってネタ探しが一番大変ですよね

こんにちは。20Webの雉間です。 今回のテーマは「自己紹介」だそうです。コミュ障を拗らせているせいで自己紹介、というより知らない人と話すこと自体がとても苦手なのですが、今回のように不特定多数を相手に自分語りをするのはなおのこと難しいものがありますね。 たとえば、同じ学部の学生と自己紹介をする、というのは多少気が楽です。自身の学部を紹介してから、授業やゼミなど共通の話題に広げやすいですし。あの授業が難しいとか、あの先生は面白いとか、適当に話をしていればある程度は場が持ちます。同じ学部でなくとも、東大生同士であれば「進振りの愚痴」という東大生の共通言語(ですよね?)がありますし、他大生でもサークルやアルバイトの話でもしておけば大抵は切り抜けられます。なにが言いたいかというと、相手がいて、共通の話題になりそうなことがあれば、自ずと紹介すべき自分の「属性」も分かりやすくなります。 ところが、ひとたび目の前から相手がいなくなると、こうはいかなくなります。「教養学部前期課程文科二類所属」という肩書きから話を広げることができたのは、(初対面であるからこそ)興味を持って聞いてくれて、ときに話を膨らませてくれる相手がいてくれるからこそであって、自分ひとりでこんな無味乾燥な文字の羅列から話を広げていくのはちょっと無謀に思えます。所属しているサークルとか勤めているアルバイト先とかの話なら多少はマシかも知れませんが、頭の中に面白おかしく語れそうな経験が見当たらないのでやっぱり難しそうです。駒場で有名な某ゼミではお互いを深く知り合うために「所属を明かさない自己紹介」をするらしいですが、実際「学部」「サークル」「アルバイト」はいつも自分の最も表面的な部分のひとつで、だからこそ関係の浅い相手との様子見の会話には向いていても、「自分語り」には向いていないように思います。 すると、もう少しばかり自身の内面に踏み込んだことを語るべきなのでしょうか。たとえば「趣味」とか「好きなもの」とか。この手の話題は自己紹介の鉄板中の鉄板のような気がしますし、「好きなことが話題に上ると自分語りが止まらない」なんていかにもな感じがしますが、思えば自分から自己紹介でこうした話題を振ったことはあまりないような。理由はわりと明快で、「自分が趣味や好きなものと呼ぶに足りうるものを持っていない」と感じているからでしょう。飽きっ

締切ぎりぎりでごめんなさい・・・・・・。

タイトルミスじゃないです。 照明枠?で作業場日誌を書くことになったと昨日知り、締切2時間前に思い出して今回のテーマを確認して把握しました。言い訳にならないですね。ごめんなさい。 ええと、テーマなんでしたっけ。なになに。自己紹介。自分語り。自己紹介。んー、自己紹介ですか。自己紹介。誰の。え、自分っすか。自己紹介か。 はい、自己紹介します。19の小島です。音響、照明、映像をやっているのですが、これらがいつも一括りにされるので毎回チラシに3つぐらい名前を連ねています。周囲からはおにくさんと呼ばれたりします。呼ばれ始めたのは中高ぐらいのときかな。えーと、他何言ったらいいですか。え?うん。もういいかな。自己紹介、おわり。 ・・・・・・。 ええっと、これ作業場日誌ですよね。こんなに短くて良いのかな。まあ、もう締め切り直前だし。これでいっか。出しちゃおうかな。 ・・・・・・。 他の方々は皆さんあんなに書いているのに、自分だけ数行って、なんだか薄っぺらい人間みたいで嫌だけど。まあいいや。 ・・・・・・。 いつも初対面の人にするようなこういう短い自己紹介。あんまり好きじゃないですね。自分について話すこと自体は好きなのですが、一通り話した後にまるでこれが自分のすべてであったかのような気がして、なんとなくこころがどんよりしてしまいます。 そもそも自己紹介って自分のことを知らない人に自分のことを知ってもらうために自分について語るというものですが、それって自分が自分についてよく知っているという自信があって初めてきちんと成立するものですよね。あの自信ってどこから来るのでしょう。少なくとも、今自分はそういった自信がもてていません。 自分のことを知るためには、自分の内面と向き合う必要がありますね。いやあ、苦手だなあ。自分なんかは数時間ぐらいじゃ済まなくて、2日~3日ぐらい何もしないでひたすら考え続けて初めてしっくりきます。ここまでして初めて、満足の行く「自己紹介」ができるようになります。自己紹介を練ろうとすればいくらでも練られるタイプの人間です。 それなのに、自己紹介はいつだって締切ぎりぎり。いきなり「自己紹介してください」とか言われる。ぎりぎりだから、中途半端な自己紹介しかできない。そうなってしまうと、ごめんなさい・・・・・・というきもちになります。みんなにごめんなさい、自分にごめんなさい。ぼく

すいかあまいかしらぬいきざま

こんにちは、19宣伝美術です。 宣伝美術というものに関わってもうすぐ丸2年になりますか、早いもので。 特段腕がいいわけでも管理能力に長けているわけでもありませんがチーフをやっています。 この間作ったチラシがけっこう好評みたいで、嬉しいです。もうしばらくのお付き合いよろしくお願いします。 こんにちは、日文コース2年の学生です。 名の通りそこでは日本語だったり日本の古典文学だったりを勉強しているわけですが。 日本語、否、言葉というものは非常に面倒くさいもので、伝えるためのものなのに、百伝えるには技術も努力も必要です。子供の頃から当たり前のように使っている言語を、実は万分の一も使いこなせていないことをこんな年になって実感する。空恐ろしいことです。言葉を使うのが巧みだったり、言葉を尽くそうとしてくれる人には心底憧れます。ある種のコンプレックスみたいなものが勉強のモチベーションになっていたりするんでしょうか。 こんにちは、変な子です。 実際はそうでもないのに、どこに行っても相対的にちょっと変な子という立ち位置につきがちです。正直、変な子と扱われることは得だと思います。まあコイツだからな、というふわっとした理由で色々なことが許されている気がするし、そのおかげでありのまま自由に振る舞うことができています。周りの人が常に優しかったからか、自分の普通じゃない部分を嫌になったことはないし、逆に自分の平平凡凡なところはあまり好きではないです、朝起きれないところとか。人見知りが激しいところとか。 こんにちは、すいかの一番甘いてっぺんの三角だけかじって底まで味わわない人生を送っている人です。 中高で吹奏楽をやっていましたが、大学からは演劇をやっています。漫画をたまに読み、アニメをたまに観て、ゲームもたまにして、時々ラジオをかけたりもして、気分次第で絵を描いて、定期的にニコニコ動画にハマり、定期的にがっつりとアイドルを追っています。一つのものに傾倒するのは性に合わないなとつくづく思います。それだけ世界には素敵なものが溢れているということだと思うことにしているのですが。いつか底まで、味がなくなるまで食べられるものに出会いたいし、もう出会っていたとしたら嬉しいです。 こんにちは、岡本飛鳥です。 9月生まれの乙女座です。頑なに兵庫県出身を名乗っていますが、大阪

三つ子の魂いくつまで

20制作の今井です。はじめまして。 今回のテーマは「自己紹介」ということで、自分の趣味や好きなことを改めて考えてみたのですが、本当に小さい頃から変わっていないなぁと思いました。なかでも変わっていないのは芸術が好きということです。芸術関係の仕事をする両親の影響もあって音楽・美術・文芸など何でも好きなのですが、特に美術は見るのも作るのもずっと大好きです。三歳で初めて美術館に行った時のひたすらに楽しかった記憶は、大学で美術史を専攻するきっかけにもなっています。今年は残念ながらあまり美術館に行けなかったので、来年は気軽に行けるような世界になっていてほしいです。 そしてもちろん演劇も好きです。演劇経験は無いのですが、母が劇場で働いていたせいか劇場という空間には何となく親しみがあります。初めて演劇を観たのも3歳の頃でした。テレーサ・ルドヴィコの『雪の女王』という作品で、今でもその幻想的な美しさを鮮明に覚えています。他にも博物館や動物園、図鑑、小説…などずっと好きなものは沢山あります。そんな三歳から変わらない私の好きなものたちを、この先も、ことわざのように百歳になっても好きでいられたら素敵だなと思います。 唯一私が変わったことは、自分を出せるようになった(気がする)ことです。ずっとかなりの引っ込み思案で、意見を言うことや人前に立つことはもちろん、自己紹介も大の苦手でした。今まで演劇をやらなかったのもこの性格のせいです。それが今ではプリズムに入ってこんなふうに自己紹介を書いているなんて、我ながらかなり成長したのでは…と思います。AO入試的なもので大学に入ったことが荒療治になったのかもしれません。それでも客観的に見たらまだまだおとなしいと思うので、やっぱり根は変わらないというか「三つ子の魂百まで」なのかな、なんてちょっと開き直ったりしています。 散漫な文章になってしまいましたが、一言でいうと小さい頃から変わっていないなぁという話でした。 『不識』素敵な作品ですのでぜひご覧ください! 20 今井花

人間やめたい

19音響佐藤です。 そういえば久しぶりに作業場日誌書くし、ちょっとワクワクしていましたがテーマは『自己紹介』ということで。少なくともプリズムの中で自分語ったらいけない人間第一位だと思っています。 それでも、最近は色々自分の中でも変わった事があったので。 みなさん語っていらしたので、私はあえて基本情報から入りたいと思います。そしてそこで筆を止めたいです(願望) 誕生日は2000年6月12日です(覚えてくれてもいいんだぜ⭐︎) 弟が一人います。 よくA型って言われるけどやっぱりO型でした(献血で調べてもらった) 広島出身です。 ディズニーが好きです。これは永遠に変わりません。 でも最近はディズニーに行けていません。コロナで都内にも頻繁に行く事はなくなり、ディズニーストアにも行けず、そろそろディズニーレス末期を迎えます。 幼稚園から高校までの学園に通っていました。2歳から行っていたのでかれこれ16年間は同じカゴの中にいたことになります。 受験は推薦でした。 身内の死にも直面した事がありません。 だから実は、案外人生における典型的な分岐点の苦労を経験した事がないんです。 だから多分、いろんなことに対して弱いです。 我ながら信じられないくらい箱入り娘だと思います(ついこの前人生で初めてまともに寿司を食べました。何のネタかわからず食べました。) だからこそバイトとか色々経験値上げていきたいなって思うけど、多分そのやり方も極端なんだろうなと。そのせいで、スケジュールどうにかしろってバイト先のお友達にも言われるんじゃ、、 最近髪を染めました。バイトで髪色の縛りがなくなったからです。 実は鼻の横にあったほくろも取りました。今まだ、跡が赤いです、隠してるけど。 要するに、自分磨きをやっとこさ始めました。これで自分のこと好きになれたらいいなって。 じゃあ自分のこと嫌いなんかって 自分に限らず人間不信です。そんなこと人の目につくように言うもんじゃないってよくわかってます。最近ましになったからです。それでもまだ治さないといけないところがあるので頑張ってるって感じです。 自己紹介って人間にしかできないんですよ(突然どうした) だから、そういう。ね。 自己紹介っぽい事はしたからな!!!これ以上文章長くしない事お許

湿度30%前後の部屋のエアコンの真下で寝ると喉がすごい

隙自語という言葉が生まれるくらい、聞かれてもいない自分の話をペラペラと喋る習性が人間にはあるわけですが、なんでか、「じゃ、自分語りして」って言われても何にも自分について語ろうと思うことが出てこないんですよね。なんでかっていうか、個人的に隙自語というのは、既に提供されている話題についてさらに自身の所感をわざわざ述べようとする際付随する身の上話だと私は思っているんですが。自分から自分語りしろと言われると、自身で語る話題を自分の中から見つけなきゃいけないから難易度も上がってくるわけですね。自己紹介ってそういうもんだけど。それが上手い人間が就活とかで成功すんのかな〜〜〜〜〜〜〜〜〜 〜思いの外長くなったので一番大事な話をここで書いておくと、とても優秀な後輩たちに恵まれいい感じに次回公演を迎えられそうです。冬公演「不識」よろしくお願いします。〜 自分語りかあ。私、この場で日記あるいは日誌を書くのが今年の春の新人公演以来なんですが、前回のが更新された時思ったんですよ、「『ジキル博士とハイド氏』の布教し忘れたな」って。 好きを語ることは自分を語ることに通ずる。パクリじゃないです。 「ジキル博士とハイド氏」、みなさん読んだことありますか?それなりに著名なタイトルですが、割とちゃんと読んだことがあるって人は少ないみたいです。最近だとそもそもタイトル自体知らない人も一定数いるみたいですね。「ジキルとハイド」は日本語でも英語でも「————」の代名詞して辞書なんかに出てくるんですが、それも伝わらなかったりするんでしょう。 なぜ今「————」ってぼかしたのかですか?ネタバレだからです。 そう!!!!!!!!!「ジキルとハイド」が「————」であることはネタバレなんですよ!!!!!!!!!!!!!!!!!! だというのに文庫本の裏表紙とか帯にはよく「————」ものの最高傑作だとか書いてたり、さっき言った通り辞書にネタバレがしっかり載ってたりするわけです。許せない。遺憾の意。私がこの本を読んだのは既にその代名詞としての役割を知ってしまった後だったんですが、この小説はそもそも一種のミステリーものなんです。殺人事件の小説の背表紙に犯人の名前書く奴がどこにいるんだ?しかも昨今ではその代名詞としての役割もこのタイトル自体知らない若者が増えているという事実を鑑みるに、早急にこういうネタバレは排除してほしい

ただの自己紹介

おはようございます。 20 衣装です。テーマが『自己紹介』ということで何を書こうかと悩んでいるわけですが、よくよく考えてみると私たちは『自己紹介』というものを長文で書いたり、長時間人前で語ったりということを経験してこなかったように思います。正直私の好きなものについて長々と話したところで人はあまり興味がないような気がしますが、逆に人が好きなものについて話すのを聞くのは個人的にかなり好きなので、今回は人目を気にせず自分の好きを語ります。ずばり映画に決めました。     基本的に洋画オタクなのですが、ダークな邦画は結構好きで『ヒミズ』や『冷たい熱帯魚』が代表作であるエログロホラーで有名な園子温監督が推しです。洋画ですとやはり『インセプション』や『インターステラー』で名を上げたクリストファー・ノーラン監督しか勝たんです。もちろんティム・バートンが創り出すおとぎ話のような世界観もデル・トロの良い意味で居心地の悪いきもさもタランティーノの自由さと猟奇的な映像美(『ワンハリ』参照)も大変魅力的ですが、やはりノーランこそ生きる才能、至高です。伏線の張り方が綿密かつ複雑な点で彼を支持していたのですが、秋に公開された『 TENET 』を観て「お?こいつもしやフィーリングで映画つくってる?」というここまできて新たな発見をしてしまいました。とにかく最新作は彼の『時間』というテーマを魅せる演出が臨界点まできていたし、イマジネーションが理性を超越した胸熱かつハイクオリティなものでした。脱帽です。ストーリーの綿密さを欠き始めたことは寂しいですが、一ファンとして彼が最後に行きつく映画監督としての答えをこの目で見届けることが私の望みです。皆さんもぜひ奇才クリストファー・ノーランの作品を観てみてください。私が言いたいのはそれだけです。     『不識』とても素敵な脚本・作品だと思うので、よろしくお願いします!  

自己紹介と第1印象

はじめまして、映像20の飯田です。(今回の公演では宣美と照明もやってます)プリズムに入舎して初めて書かせていただく作業場日誌、テーマが「自己紹介(自分語り)」ということだそうです。 人見知り&コミュ障なので自己紹介にはあまりいい思い出がないです…4月に「今年こそは友だちちゃんと作ろう」と思って力みまくって自己紹介をし、GW頃には案の定五月病になるというようなことをほぼ毎年繰り返しています。 そもそも自己紹介ってそこまで意味がないような気がします()最低限初対面の人の顔と名前くらいは覚えなきゃいけないとは思うのですが、そこで趣味とか聞いても絶対に忘れていますし(私だけ?)その人がどんな人かっていうのは結局一緒に何かしてみないと分からないですし… 昔読んだ本に「人間の第1印象は、その人を見た瞬間に『この人のこの要素は好きだけど、この要素は嫌い』というようなものが瞬時に判断されて、好きな要素が少しでも多ければその人に良い印象を抱く。そして逆も然り」というようなことが書いてありました。そうなると自己紹介で何を言ってもあまり関係ないのではと思ってしまいます…と言うとこの作業場日誌をなんで書いているのか分からなくなってくるのでやめますが、こんな感じで私はいまだに自己紹介がうまくいったためしがありません。 でも、まあ当たり前のことではありますが第1印象がすべてではないと思っているので、プリズムの方々ともこれから一緒に活動させていただく中でお互い印象を塗りかえながらやっていけたらな、と思っています。そのためにももっと対面の活動がしたいなあとも思います… 今読み返して文章のまとまらなさに愕然としていますが、これ以上書いてもさらにとっ散らかるだけだと思うのでこの辺で終わりにさせてください…ここまで我慢して読んでくださった方、駄文のお手本のような文章にお付き合いいただきありがとうございました。 『不識』ぜひご覧ください。 20映像・宣美・照明 飯田菜未

自己紹介なんて

こんにちは。20舞台です。今回のお題は「自己紹介」だそうです。 私は自己紹介なんて嫌いです(好きな人なんているんか?)。集団の構成要員が変化した際に執り行われる儀式の一種だと思っています。もちろん、自己紹介をする事にメリットが無いとは言いません。とりあえず場は持つし、その後の話の種になることもある。しかし私には自己紹介を上手く活用できた試しが無いのです。 自分の番が回ってくるまでは、場の雰囲気を掴み、その場にあった自己紹介を構成することに専念しなければなりません。自己紹介は儀式でありながら、臨機応変な対応が求められるイベントなのです。そして自分の番が終わる頃には集中力は切れ、急速に他人の自己紹介への興味を失っていきます。全員の自己紹介が終わった後、私は他人の趣味など何一つ覚えておらず、ただ自分の自己紹介がどのように映ったかについてぼんやりと考えているに過ぎません。 世の人がどのように自己紹介を捉えているのか、私にはよく分からないことです。しかし、人が自己紹介をする際に最も関心を寄せていることは、他人の自己紹介の内容ではなく、自分の自己紹介が他人にどのように映るのか、ということなのではないかと思っています。 自己紹介を非難してばかりいないで、少し自己紹介をしましょう。とはいえ、せっかく文章で綴る機会をいただいたので、普段の自己紹介では話さないような事を書きましょう。 私はどうやら第一印象が極端に悪い人間のようなのです。私とある程度仲良くなった人は「怖い人だと思った」「こいつとは絶対に友達になれないと思った」などと私の第一印象を評価します。彼らが言うには、この印象は表情の悪さに起因するのだそうです。私が普通の気分で過ごしてる時、彼らの目には不機嫌であるように見えて近寄り難いと。 こんなことを多くの人に言われるものですから、私も改善しようと試みたことはありますが、無意識の表情を変化させるのは難しいことでした。幸い(?)今はマスク文化が定着し、顔の大半は隠れているので、しばらくこの課題は保留しています。 20 山中 iPhoneから送信

作品への目線

こんにちは。 18 舞台(協力)の中西です。 プリズムは、今のところ私の一代記の大きな部分を占めています。プリズムでの活動を経て変わったことはいくつかあるのですが、そのうちのひとつは世間の「作品」たちへの目線です。 演劇サークルで裏方として微力を尽くしたことで、「作品」の裏側には表からは見えない作り手の思いが蠢いているのだな、と思うようになりました。 たとえば、私は安西水丸先生のイラストレーションが昔から好きなのですが、この一見シンプルで「すぐに描けそう」な作品も、頭と、手と、こころと、時間を費やして生み出しているのだろうな、などと想像するようになったんです。 今回の公演『一代記』にも裏側があって、その裏側は結構深いと思っています。少し、というかだいぶ特殊な状況の中で、メンバーそれぞれが試行錯誤しながら準備してきたと思うので。 私が協力として参加した舞台セクションでは、短い準備期間にもかかわらず後輩たちが楽しい舞台を作ってくれました。 おつかれさまの気持ちでいっぱいです。 いつか予想していた引退公演とは違いますが、やっぱり公演はわくわくします。 プリズム、今までありがとう。 ———————— おまけ 今回舞台にいなかった、舞台の同期3人に感謝を込めて。 五十音順ひとりめ 叩き場に鞄を置きたがらないほどきれい好きで、作業が終わると速攻で帰る帰宅セクションプランナー。でもなんだかんだ一番一緒に作業したんじゃないかな。すぐ帰っちゃうので、一緒に帰るために必死に追いかけたこともありました。人と違うところにこだわりがある人なので、彼女のこだわりを見つけた瞬間が最高に楽しいです。趣味とか全然共有してませんが、あなたの話を聞いているだけで楽しいよ。黒い服を着ていることが多い気がします。まじめなところがあって、いい子だなと思っています。いつもありがとう。 ふたりめ 私が初めて接触したタイプの人間さん。いつか道を歩いていた時、 17 の先輩と町の素敵な階段を見つけあっていたのを覚えています。家に動くふわふわ(かわいい)を飼っています。去年あたり、緑色のざくあみカーディガンを着ていてよく似合っていました。言葉のチョイスにセンスを感じます。相手をよく見ているので、話しているとなんでも見透かされてる気分になります。でも未知のものを受け入れる能力が太平洋くらい大きいので、私の至らない部分も許

捨てる神も拾う神も

稽古場日記だけじゃなく作業場日誌も書いて引退しよう、せっかく役者とスタッフを反復横跳びしてたんだし!と思い立った宣伝美術の影山と申します。 「一代記」と聞くと何となく小難しい文章がいっぱいの分厚い本を連想してしまうのですが、イラストや写真なんかも形に残る立派な記録だと思います。特に宣伝物は、作演出をする人や他の宣伝美術の人と相談を重ねて、自分が当初持っていた理想をどこまで実現できるか格闘した末に出来上がるので、内に秘めているストーリーも膨大に感じます。 小さい頃から絵を描くことが好きで、「デザインを考える=絵を描く」という短絡的な方程式が頭の中にあった私は、学校等においてデザインできる機会があれば積極的に手を挙げていました。なので、今までの成果物を辿ればそれが私にとっての一代記と言えそうです。 私はちゃらんぽらんかつ心が弱い故、苦い思い出があって見返したくない成果物もいくつかあります。でも、大体のデザインには目的があり受け取り手が存在するので、自分だけ見ないようにしても意味が無いように思います。残念! プリズムで作ったチラシや看板は待ち受け画面やTwitterのヘッダーにするほどの自信作ばかりなので、後悔が募る過去の作品もひっくるめて、私の成長を示していると捉えたいものです。 基本的に怠け者であり、締切が設けられないと動かない私にとって公演のために宣伝物を作るという場はとても貴重でした。引退したら、一代記が一代記とならないまま途絶えそうで心配です。 まあ取り越し苦労かもしれないので、劇作に関して(?)ちょっと失望していた2年前の私に、役者や本チラシの作成とやりたいことをやらせてくれた当サークルへ感謝だけ述べて締めます。あざ! 18 宣伝美術 影山

「制作さーん」

こんばんは。 18 制作の大野です。 今回の作業場日誌のテーマは「一代記」です。制作で一代記…?と思ったのですが、ひとつ心当たりがあったのでそのお話をしたいと思います。 2 年前の秋、お茶大の部室で見つけた古い一冊のファイルについてです。   そのファイルは当時、お茶大の部室の棚の中にありました。背表紙に「劇工舎プリズム 制作部」と書かれていた分厚いねずみ色のファイルです。 そのファイルには沢山の古い紙が綴じられており、手に持つとずっしりとした重みを感じさせるものでした。当時私は制作チーフになったばかりだったので、緊張と好奇心から恐る恐るそのファイルを開いたことを覚えています。   「第〇回公演 総動員数 〇〇〇人」 ファイルの一枚目に綴じられていた紙は数十年前の公演の動員数を記したものでした。 「公演回数が一桁なんて!今、 71 回公演が終わったばかりなのに。」そう驚いて、私は次々にファイルをめくっていきました。 そこにあったのは、ボールペンで記したような予算案から、ワープロで一文字ずつ打たれたような動員記録。はたまた、公演の感想として劇工舎プリズムに寄せられた手書きのはがきなど。様々なかたちで記録された数十年前の公演の記録達がそのファイルには綴じられていました。   今やデジタル化が進み、公演のデータはクラウド上にデジタルファイルとして保管されるようになりました。郵送で出していた DM が電子メールに変わったり、映像配信という形を使ったり、制作が公演の記録を紙のファイルで綴じていた時代からはずいぶん遠くまで来たように思います。   時代は遠く離れましたが、代々引き継がれたその分厚いねずみ色のファイルは、当時の私にとってプリズムという存在の重みを伝えてくれ、前を向く勇気をくれた存在でした。自分もプリズムを構成する歴史の一つになりたい!なんて無鉄砲なことを思うくらいには。   過去を振り返るものが、過去の栄光に縋るものにならないように。未来へむかう足取りを鈍らせるものではなく、前を向く原動力となるものにできるように。そう思うと、一代記って華々しい主役だけが残せる物ではないのかもしれません。たとえば、あのファイルを綴じまとめ、引き継いできた歴代のスタッフ達だとか。   プリズム 18 制

Prizoom

一代記、それが何なのかはよく知らない。多分ある人の過去について後から本人なり誰かしらが振り返っているものだと思う。 そこには少なからず捨象される部分がある。 大抵過去を振り返る際に暗い部分はひた隠しにされてしまう。 みんな昔は良かったと言う。 昔は「貧しいけど温かい時代」、今は「モノはあるが冷たい時代」なんて比較される。 でも女性の地位は今より低かった。マイノリティへの目は厳しかった。  そういうことを乗り越えて ( 今も克服しながら ) 人類はなんだかんだ進化してきたと僕は信じている。 みんな「高校の頃は楽しかった」と盲目的に言う。 でも辛かったことも多かったはずだ。大小の差はあれどもそれぞれ悩みを抱えながら頑張ってたんじゃないの? 多くの演劇サークルにとって今は暗黒期である。 暗黒期ではないのかも知れないが、確かに暗闇の中にいる。 この状況下において、僕たちスタッフにもセクションにもよるが一応引き継ぎ書に書かれたタスクを潰していくことは可能だ。 でも、ただ脳死して仕事をこなすだけならバイトでもすればいい。 ノルマもいらないしむしろお金がもらえる。   「じゃあどうする?」   「まあもがいて、足掻いて、進んでいくしかないんじゃね?」   「でもそしたら大変だし辛いこともあるよね?」   「大丈夫っしょ。辛いことがあってもいつか忘れて、   学生時代は良かったー   なんて言うんだから。」 19照明 立石 おまけ 僕の好きな言葉 ・「やらずに満足するのとやって満足するのとでは断然後者を選ぶべきだ」 ( 黒神めだか ) ・「暗い場所で見る光も悪くねえ」 ( 多分アドレナリンの輪入道のウイニングラップ )  

主題歌

中高の頃、僕はものすごくテレビっ子で。 受験勉強をサボって布団の中で、ワンセグでドラマを見るのが好きだったんです。 一つのクールが終わると、次のクールのドラマについてあれこれ語ったりして。 このドラマは視聴率が高そうだとか、あのドラマはキャストが豪華だよねだとか、 興味ないけど1話だけ見てみようかななんて言って、結局最終話まで見ちゃったりするのもお決まりでした。 ドラマを好きな理由のひとつは、主題歌です。 主題歌とドラマの内容がちょっとだけリンクしているのってなんか、よくないですか? ひとつひとつの話とは直接関係ないけれど、 ドラマを見る前に主題歌を聴くのと、 ドラマを見ながら主題歌を聴くのと、 ドラマを最後まで見てから主題歌を聴くのとでは、 受ける印象が全く違います。それも、面白い。 主題歌をつくるアーティストはいったい何を考えているのか、時々気になったりします。 ドラマ自体がまだ全然できていない中で、内容とゆるくつながっているような曲を作ることは、 いつもの創作とは違う気持ちで取り組むことなのかなあ、と思います。 自分にはメロディを考えることも、 歌詞を考えることも難しいです。 でも、チラシを作ることならできる。 だから僕は、主題歌を書くようにチラシを作りたいなと思っているんです。 まだ見ぬ素晴らしい芝居に思いを馳せながら、 観に行くきっかけとなるよう試行錯誤を繰り返して、 芝居を観てからでないと気づけないちょっとした仕掛けも入れつつ、 観てくれた人の心に残るチラシであることを夢見て、そうしてチラシを作っています。 とはいっても、 今回の『一代記』では、自分がチラシをつくるわけではありません。なによりまだ制作途中です。 けれどいまの世の中でいまのプリズムでしかできない一世一代の演劇のことが記された、とてもいいチラシになると確信しています。 聴くだけでドラマのワンシーンが浮かぶような、素敵な主題歌のように。 SIRUP『LOOP』を聴きながら 18 宣伝美術 おいだ

感傷に唾を吐き捨て足蹴にし高らかに嗤う

高校三年生はクラス演劇をする。これが我が母校の伝統で、例に漏れず私もキャストとして出演したのだが、当時の私はクラスメイトとの折り合いが悪く「クラス演劇に出演することはかねてからの願いだったがお前らとはやりたくない」という状態で稽古期間を過ごした。あまりにも居心地が悪く、昼休みなんかには2つ隣のクラスに遊びに行き小道具や宣伝物の作成を手伝っていたほどだ。そんな居心地の悪かったクラスでも、一年間かけて作り上げた演劇の幕が下りるとなれば涙腺が崩壊しクラス一同達成感に包まれもうこの仲間たちと乗り切る行事がないことに寂しさを覚える……ことができれば良かったのだけれど、私の中にあったのは解放感だけで、これが終わればもう本当に終わりだからと舞台上で感傷に浸った未熟な役者を傍目にセリフを練習となんら変わらず紡いでいた。結果演出助手を務めた友人に「お前が上手くやれてたか知らんけど他は残念なことになっていて面白かった」なんて言われたのだが。 私は問いたい。こんな人間が演劇サークルになど入ってしまって良かったのかと。 いや、ダメだよな〜〜〜 例えクラスメイトと仲良くやってたとしても自分は感傷に浸ることなく与えられた仕事を全うしようとしてただろうしな〜〜〜 なんで終わってもないのにあいつら勝手に感傷に浸ってたんだよ頭おかしいんじゃねえかそういうのは全部キッチリ終わってから感じろよアホか〜〜〜(社会不適合者のぼやき) いやね、座組みのみんなも好きだし演劇も好きなんですけど、どうしても「この座組みでやる演劇が好きだ」っていう気持ちになれないんですよね。高三に関してはクラスとの折り合いが悪かったことを言い訳にできるんですけど、プリズムそういうわけじゃないはず(だよね?陰で嫌われてたりしないよね?)なのにやっぱりあくまで「作品」に対する評価が先行してしまう。極論全然知らない人と公演をしたとしても同じ感情を抱いていそうで。なんなら引退公演だから、とかこれが終わるともうプリズムで芝居ができなくて寂しいよね、とかそんな言葉口が裂けても言えない。あれ、もしかして自分サイコパスなんですかね?ニンゲンのココロむっず。あー、人付き合いが面倒臭くて適当にしてきたツケが回ってきたなこれ。 ま、いいんですよ。高校時代「クラスなんて所詮機械的に振り分けられた人間の集合体でしかなくそこに無条件

註程度に思っていてください

 こんばんは。 18 音響・ Web ・制作の佐藤です。と言いつつも、今回の公演ではどのセクションでも(今回枠をいただいている音響でも)まともに仕事ができていません。心苦しいので言い換えます。改めまして、愛情押し売り屋の佐藤です。佐藤が来たということは、今回確実に長いですよ!(書き終えて追記:約 6500 字) 適当に読み飛ばしてくださいね。   『一代記』という言葉、私もとても好きです。収まりが良くて、どっしりとしていて、シンプルだけど重厚、誰にでもあるけど同じものは一つとしてない……研究室や図書館にズラーーーっと並んでいる類の本というイメージがあります。ああいう重たくてシンプルな装丁の伝記や全集は、手に取るのには勇気や覚悟がいるけれど、見ているだけでわくわくしますよね。きっと、一冊一冊、その人や事象を大切に思う人が、何年もかけてこだわり抜いて作り上げてるんです。ふわっと広がる、甘い、古い本の匂い、想像すると図書館に行きたくなってしまうな……。   さて、では「君の一代記は?」と聞かれたとき、私はすぐに「特筆することはありません」と答えてしまいます。謙遜ではなく、今のところ本当にのほほんと順風満帆な人生を送ってきたからです。一般庶民の何の起伏もないハッピーな日常を延々と読み続けたいのは……庶民の研究をしたい歴史学者くらいじゃないかなぁ……。   と、いうわけで、ここからは私ではなく、私の好きな人たちについて書いていきたいと思います。みんなまだまだ生きていくと思うので一代記とは言えないけど、私が見て来た範囲で、簡単に、語らせてください。本当はプリズム全員のことを書きたいけれど、そうなってくると本当に収集つかなくなってしまうから、 18 だけ。   舞台・ Web の彼女は、お話ししていてとても楽しい子です。ぽやぽやした舞台屋ガールズのツッコミかと思ったらボケもこなしたり、舞台屋なのに帰宅セクションで小屋入り中も頑張って帰ったりと、一緒にいて退屈しません。私が Twitter 担当でわたわたしている時にもたくさんサポートしてくれてとても助かりました。ありがとう。実は共通の趣味があることも発覚して嬉しかったりしました。舞台美術について色々考えて、綺麗な舞台をデザインしてくれた人です。彼女に限らずだけど、舞美

これは わたしからわたしへの

おひさしぶりです、映像の船曳です。 今回のテーマはタイトルと同じ『一代記』ですって。 【一代記】 その人の一生涯を記録したもの。伝。行状記。 昔だったら手書き、伝聞しかないですけど、今だったらいろんな形で残せますよね。 わたしも小さい頃の記憶なんてほとんどないけど、カセットテープやアルバムには残ってて、今も親戚で集まるとよく皆で見ます。でも、そういうものって成長するにつれて少なくなってきますよね。小さい頃は公園に遊びに行くだけでも父がビデオカメラやらカメラやら持って行って姉とわたしが遊んでいる様子を撮ってくれましたが、だんだんと学校行事だけになって、今となってはカメラは未だダンボールの中です。スマホでもたまーに、誰かに送りたい時くらいしか動画は撮らないですね〜 その代わり、友達同士でたくさん撮るようになりました。イベントがある時はもちろん、普段の何気ない風景もいっぱい撮ってますね。小屋入り中の写真とか、動画とか、見返すのが本当に楽しい!ついニコニコしちゃう! うーん、でも、わたしのことが一番残されてるのって、そういう動画とか写真とかじゃなくって、わたしが小学生の頃から一人暮らしするまで母が毎日書いてくれてた『ほめノート』だと思います。かわいいノートにかわいいシールを貼って、読みやすい綺麗な字でわたしがやったことを褒めてくれたり怒ってくれたりしていました。自分で日記を書くことはしていなかったので、わたしにとってはそれを読むことが日記のようなものでした。 一人暮らしするようになってからほめノートは途絶えてしまったので、これを機に自分宛のほめノートを書いてみようかなあと思うなどしました。写真や動画もいいけど、やっぱり手書きもいいよね!!! 思いついたものをぐだぐだと書き連ねていたらこんな文章が出来あがってしまいました。映像らしいことも書けなかったし、うーん、文字を書くのって難しいなあ。 ここまでお付き合いいただきありがとうございました。 これからも付き合ってくれる方はどうぞ船曳をよろしくお願いします? ほめノートの書き出しは何にしようかな どんな文章でも作業場日誌を期限までに書けてえらい!って書こうかな プリズム18 映像 船曳

人はそれを黒歴史と呼ぶ

 今回のテーマは「一代記」らしいです。でもこういう機会に自分の人生を振り返ってみると脳裏に出てくる大半が恥ずかしい過去な気がします。恥ずかしい過去:楽しかったことで 6 : 4 くらい?過去のことを回想するたびに床を転げまわりたくなる今日この頃ですが、床を転げまわる分悲しいことを思い出さないで済んでいると考えると逆に恥ずかしい思い出をたくさん持っていた方が人生楽しいのかもしれませんね。枕を濡らすより転げまわった方が運動になるし、転がりまわったのも十年くらい経ったらいい思い出になるだろうし。やったね。本当にそんな上手くいくかどうかは知らんけど。  …なんていい感じにまとめてみましたがあまり一代記と関係ない内容になってしまいました。 Web らしいことも書けてないし。(最初に表記し忘れましたがこれは Web 回です)ごめんなさい。まぁ後続の人達がいい感じの文章を書いてくれると思うのでそれで手打ちにしてもらえるとありがたいです。 Web の仕事は頑張ります。       …あっ引退しますみたいなことも書けば良かった   18 Web 岩瀬

作業場日“誌”だけど

お久しぶりの作業場日誌更新&「一代記」編トップバッターが果たして私で良いのか…。 ド緊張ですが、とりあえず書き始めますのであたたかい目で見て下さい。 今回の作業場日誌のテーマは、タイトルそのまま「一代記」だそうです。 私、このタイトルとっても好きなんですよね~~!さすがです。 一文字一文字が好きです。 「一」は、"何かが始まるワクワク感"があって、習字で書くときに、細くはじまり力強く終わる感じもなんか好きです。 「代」は、「時代」を想起させて人々が生きた期間の重さを感じます。"しろ"って読むのも趣深いです。 「記」は、"しるす"。考えも想いも文字にして"記"録すれば、それをみるだけで当時の気持ちになれたり。時間は戻らないからこそ"しるす"のが楽しいなと思います。 そういえば最近、日記をつけ始めました。 幼い頃は日記を書くのが趣味で、小学2年生までに書いた日記の冊数は確か25冊とかだった気がします。 いつのまにかその習慣もなくなったのですが、「毎日自分が何をしたか・何を思ったか」を言語化しておきたいな~と思って、毎晩ノートに向き合う時間を少し作りました。 衣装セクションらしく、その日どんな服を着たかも書(描)いたりします。 (そういえば衣装セクションの人としてこれを書いているんです) 日記の良さは、やっぱり残しておけることだと思います。 この良さはおばあちゃんから学びました。 私のおばあちゃんは、何十年間も日記を書いています。 おばあちゃんが老眼鏡をつけ、3年分が1冊になっている分厚い日記帳に、(もはや読めないくらいの)達筆な字で書き込んでいる姿を幼い時から見てきました。 おばあちゃんは、今日の出来事を書くとき、前年や一昨年の"今日"の欄を見返しては、私に「去年はいとこみんなで遊んでたねえ」とか「庭でBBQして花火したねえ」とか教えてくれます。 私は出来事自体は覚えていても、日付と出来事が結びついていないことも多く、「あ~今日だったんだなあ」と思うことがほとんどです。 おばあちゃんが思い出を文字として残している姿を見て、いくら大切な思い出でも忘れることはあるから、ちゃんと"変わらないもの"に残しておくことは素敵だなと感じます。 こ

ばくおんのいんぱくと〜

皆さんはじめまして ではなく2回目ですね。 照明チーフの立石です。 今回のテーマは「自分が貫いていること」らしいので一応それに沿った話をしようと思います。 僕が貫いていることは「自己満足をめちゃくちゃ大事にする」ということです。 自己満足という言葉は良い意味で使われないことが多いです。自己満なんて略された時には特にそう。 じゃあなんで自己満足を是としているかと言ったら明確な理由はありません。基本的人権みたいなもんです。 僕はこの公演の照明のプランを作る際に劇のお話に合うような明かりを作ってはいるつもりです。 でもこういうのって結局分かってるつもり、理解しているつもりなんだと思います。作演の意図やそれを演じる役者の考えを100%理解しているわけではないのだと思います。 「お客様のことを第一に」とか「お前のためを思ってやったのに」とかいう言葉を聞くじゃないですか。それを発している本人は割と本気でそう思ってたりするけど、やっぱり分かった気になってるだけだと思います。 しかし、自己満足と他者満足というのは共存しないものではなく、演劇に関しては自分のやりたいことを貫いた方が見る人にとっても良いものになる気がしています。 僕は照明チーフとしてやりたいことをやりました。多少は見てくれる人にも良いと思ってもらえるような明かりを作れたんじゃないかと思います。 駒場小空間でお待ちしております。 とはいえ、自己満足重視っていうのはそれはそれで開き直りです。あまりカッコ良くないです。 このままだとカッコよくないのでカッコいい曲を貼り付けておきました。ぜひ聞いてください。 https://open.spotify.com/track/5FupoemWKAXhaZOiCq0qc0?si=YMlrkAA6TdSpjP0zY_DLiQ

洗濯物を干し忘れた時並みに悄然とした後に見る水溜まりは綺麗

こんにちは、小道具です。 今回のテーマは「自分が貫いていること」ですが、物心ついてから楽な方を選択し続け、気まぐれに生きる私に貫いているものは特にはありません。 強いて言えば「積極的に良いものを見つけていく」ことは気まぐれの割には長年実践している...かもしれません。 良いものを見つけると気分も良いですし、些細でも 良いものに囲まれてると思うと幸せを感じられる気がするので、 私はちょくちょく、 積極的に良さを発見していく姿勢をとっています。 早朝の住宅街に点在する明かりのついた窓や、「ゴールデンキウイ」の語感、集合写真を撮った後の緊張が解ける感じなど、清少納言のごとく森羅万象の「なんか良い」を見つけて「なんか良い」と思うことで、日常のちょっとした瞬間も楽しめるし、普段であれば気付かないような良さを見つけると、路地裏の隠れ家的なとっておきのお店を見つけた時のような気分になれます。 まあ、こうした姿勢をとる人を、紫式部さんは痛々しく思っているようでして、風流ぶっていて見栄を張っている、などと酷評していますが。 別に構いません、なぜなら些細でも背伸びをしていても、良さを100回発見すれば、ミシュランガイドに載っているレストランのディナーチケットに当選したくらいの幸福感に相当しますから。 従って、私はこれからも積極的に良さを発見していって、日々を能天気に過ごすつもりです。 余談ですが、「をかし」の現代語である「エモい」という単語を、「『エモい』は『エロい』と『キモい』を足して2で割った語だと思っていた」という友人の話を聞いて以来、使えなくなりました。言葉って難しい。 19 牧野

自分が全て正しい

19 舞台です。 さて、今回のテーマは「あなたが貫いていること」だそうです。 なるほどなるほど素敵ですね。誰しもご立派な志を貫いて清く正しく美しく生きたいでしょう。 しかし裏を返せば、人は生来汚れた愚かで醜い性質を持っているということになります。だからこそ正そうとする。ご立派なことです。 しかしてそれは正しいのか。 きっと長い長い歴史の中では、正直者や聖人もいたのでしょう。しかし少なくとも今、その数は然程多くはない。要するに淘汰されたということですね、彼らは。 自然は、美しく正直な人間ではなく、醜くうそつきな我々人間を選んだと言うことです。 我々が勝手にネガティブの捉えている性質すら、全ては生きるために身につけたものなのでしょう。 要は、とりあえず今生きている時点で正義。いかなるネガティブな感情、例えば憂鬱、不安、嫉妬などすらも実は生き残るために必要なポジティブな要素ということです。 いやー、生きてるってスバラシ〜 ^_^ 19 杉原

たぶんこれ読んでも何もわからないです

19音響チーフの佐藤理子です。 今回の作業場日誌のテーマが『あなたが貫いていること』ということで私が貫いていることを書くべきなんでしょうけど、(前回のステの作業場日誌書いた時も思ったけどこういうのほんと苦手なんですよね、ばかみたいに極論しか書けない) 私が貫いていることなんかないです。 例えば、◯◯を続けて必ずやっていますって、貫いているかもしれないけどそれは習慣であって、なんか私にはそれっぽい習慣もないからそれが書けないんです。そしたらほんとに『貫いていること』なんてないんですw 私って矛盾だらけなんですよ。てか人間って矛盾なんですよ。だから割と人間不信なんですw (あーほらもうやばいフラグ立ってる。ここで終わる方がいいけどここで終わったら日誌#とは になってしまう。) 1個だけほざいて終わることにしますね。 みなさんご存知の通り私ディズニーが大好きで、ディズニーの大きなテーマでもある「真実の愛」って、確かに二次元のお話の中のことかもしれないけど素敵じゃないですか、貫かれているものじゃないですか、だからディズニーが好きなんです。 でも人間って何を貫けるんですか、いっときの感情があるのが人間だし、無理だと思うんです。あれをしますと言ってもいつの間にか辞めてるし、いろんな要因が重なってできなくなったりするし、そこが矛盾だし、とか考えてるから人間不信なんですけどね。だから例えば政治家だって、毎年毎年選挙したところで公約を実行できないから批判があったりするんだと思います。みんな何を期待してるんだろうとか思っちゃったり。だって彼らも人間だから公約なんか守れないですよ。(政治嫌いかよ) 逆に、公約掲げて実行できてる人は本当に尊敬できます。 うん。何言ってるのかわかんないのでこの辺でやめておきますねw 新公頑張りましょう、、、、ほんとに頑張ります、というか頑張ってます、、、、音響、、、、、はい)) 佐藤理子

勉強の意味

こんにちは、19映像チーフの平田です。 まあ僕が考えていることをつらつら書こうと思います。 今の学歴社会において、「勉強の意味」が失われている気がするんです。 実際、僕も中学校の頃は「なんでこんな将来的には使わないものをやっているんだ」と先生に抗議していました。僕は高校になって勉強し始めたんですが、最初は「勉強の意味」なんて考えずに、とりあえず問題集を解いたり、テストの準備をしているだけでした。本当に「勉強の意味」に気づけたのは高3になってからです。 一回話をそらします。みなさん「頭の良さ」って何だと思いますか?東大生って「頭がいい」みたいなラベル貼られるわけなんですが、それってどういう意味なんでしょう。一般的な例として「難しい問題が解ける」とか思われてるかもしれないんですが、一部の本当にすごい人を除いて、(大学入試において)大半の東大生は「難しい問題を簡単にする」ことをするわけです。あとは「物知り」みたいなイメージもあると思います。確かに、東大生は割といろんなことを知っています。でも、全東大生が全ての分野の知識を持っているわけではなく、僕なら理系の分野の知識が多いというものです。 勉強をして、東大に入った身としての「頭の良さ」は「思考力」だと思います。ひとりでどのくらい深く考えれるかです。やはり東大生と話すと「この人はちゃんと考えてるんだな」と思います。僕は勉強に「思考力を養うためのもの」という意味を見出しました。たとえ数学を将来使わなくても、数学で学んだ証明の根本や数学的理念というものは一生ついてきて、役に立ちます。たとえ現代文で出る硬い文章を金輪際読まなくても、文章の構文の感覚的理解などは一生ついてきて、役に立ちます。このように、高校の時大学受験のため勉強しただけで、僕は多くを得たと思っています。 さて、ここで絶対にかみついてくる人がいます。勉強やってもできない奴はどうするんだと。はっきり言います、大学受験においては向き不向きがあると思います。しかしまた、僕には高校の勉強ができなければいけないみたいな文化がよくわかりません。難関大学の問題の難易度はもう変態の域だと思いますが、例えば文系も単位が必要な数2の二次関数とか本当にできない奴はできなくていいだろって思っちゃいます。一次関数はまだしも。そういう人は高校で無駄

しゃけの皮、おいしい

19 制作チーフです。私が貫いているのは、食べ物を残さないことです。というとえらい!感じがしますが少し違います。私にとってその感覚は掃除に近いです。どれだけ食べられるものを残さないか。そもそもどこまでを食べられる物と見なすのか。難しいところです。 たとえば、魚の皮・エビの尻尾・さつまいもの皮・お刺身の下の大根なますなどは食べ物とみなさないでお皿に置いておく人もいますよね。あと桜餅に巻いてあるしょっぱい葉っぱとか ( 全国和菓子協会なる団体は葉っぱを食べないことを推奨しているそうです ) 。とりあえず私はお皿に乗っていて胃で消化できそうなものはなんでも食べます。お皿をきれいにするのが好きみたいです。作ってくれた人とか携わってる人に対して「おいしかったよ。」のメッセージにもたぶんなると思うし。 もちろん苦手な食べ物はあります。私は炭酸と辛いものが苦手です。口内を刺激されたくないというのが正直な気持ちです。でも目の前に食事として出されたら食べます。皿をきれいにしたい欲が勝つからです。 どうしてかはあまりよくわからないけど、やっぱり食べ物が好きだからですかね。 いいことなのかは謎ですが、これからも私なりの食い意地を貫いていこうと思っています。 あとステップも。 『ステップを貫け』、是非観にいらしてください!

Ultimate=Watashi(深い意味は無い)

宣伝美術チーフを引き継ぐと決めてから早4ヶ月。順調に…とはいかず失敗してばかりですが、先輩方を大いに頼り、色々な事を学びながら探り探りやっていってます。というか私が何の困難もなくこなせていたら霰が吹き荒れて小屋入りできなくなっちゃうので!これは座組の皆のためです!きっとそう!() さて、2019年度新人公演のタイトルが「ステップを貫け」ということで…今回のテーマは「自分が貫いていること」。 興味深いテーマですね!というのも、自分のスタンスや信念はここ最近になって形成されてきた気がするので。 というわけで色々考えたんですけど、やっぱり今の自分が貫いていることは、自分を好きでいること、だと思います。 大層なようなしょうもないような感じの信条ですけれども、常にそうあることは意外と難しくて。私を含め人間一般は、反省とか後悔とか恥とかが高じて自己否定においちってしまいがちなんですけど。間違えた、おちいってしまいがちなんですけど、そこを踏みとどまって自分を肯定するということを最近は意識しています。 そういうスタンスでいこう、ってなった要因としては大学入学が大きいかもしれません。元々能天気な性格なのもあるんですけど。 "大学やサークルで出会う人は皆私より賢いし真面目だし責任感もあって強くて優しい人ばかりでとにかくすごくて、、、" 少なくとも私にはそう見えていて。 でもそんな人でも些細なことで落ち込んで自分を責めたり自分を嫌いになったりするのを見て。 そういうの見てると、失敗して落ち込むことは本当に誰にでも起こることなんだなあ…そういう世の中なのか…って改めて気づきを得て、 それならば私がポンコツで人に迷惑をかけるのはもはや仕方ないことなのでは???と勝手ながらに思えてきてしまい、 こんな世の中なら、何があっても私は私のこと大事にしてあげようかな…などと思ってしまった次第です。ひでえ顛末だ。 (でも、もっと自分を大事にしてほしいなって思う人、私の周りには沢山います。これも勝手な話ですが…) 成功するように努力することも、反省も後悔も、それを次に活かすことも忘れてはいけないし忘れたくはない。けど、その上で どれだけ失敗しても、霰を降らしても雹を降らしても、私は私を好きでいることをやめないと思います。そこだけは譲りたくない

そんな彼はしょっちゅう転けるドジな人でした笑

 こんにちは!19廣田です。新人公演では衣装、制作、映像、Webに参加しています!日誌テーマ「自分が貫いているもの」を考えたのは私なのですが、いざ考えてみると貫いているものって難しいな〜笑 私はどんな時でも自分を貫けるよう、具体的にいえば周りに流されず自分の気持ちを相手に伝えるようにしています。 小学生の時は本の虫すぎて友達が作れず消極的で、中学に入学してからは友達がたくさんできたもののTHE漫画みたいなスクールカーストのせいで周りの目を気にして自己主張はそんなに出来なかったんです。でも、ある時同級生の一言でそんなの馬鹿らしいな、つまらないなって思えてるようになり変わることが出来ました。 中学の委員会の会議で多数決を採ることになったんですけど、私が前からいいなとおもってたA案には誰も手を挙げなくて、だから私も別のB案に手を挙げようとしていました。私1人がA案に手を挙げてB案に決まるのも、全員がB案に手を挙げてストレートで決まるのも結局結果は変わらないし、目立つのも嫌だなと思ったので。そんな私の横に座っていた1人の同級生は私に「なんで手を挙げないの?A案に賛成している人がいることに誰も気づけないじゃん」って言いました。 結局手を挙げ直すことは出来ず結果ももちろんB案で通った訳ですが、彼のその一言で手を挙げることさえ出来なかった自分に恥ずかしく感じたのと、私がA案に賛成していることに気づいてくれて、そして何よりも周りなんか気にせず自分の意見を伝えろとわざわざ言ってくれる人がいてくれた事がすごくすごく嬉しくて。中々そんな事言ってくれる人いませんよ!彼は先生や先輩、仲良くない同級生にも自分の思うことを素直に伝えられて自分のやりたいことに突き進んでいて、今でも尊敬しています。最近偶然会ったのですが、相変わらずそのままで嬉しかったです。 なんであの頃あんなに人の目を気にしていたんだろうと不思議に感じてしまうくらい、今の自分は自分の気持ちを伝えられるようになったけど、あの言葉がなかったら貫きたい自分なんて持てなかったんだろうな、と思います。感謝感激、雨、アラレ。 今回の日誌は割とまともに書けました!やったね笑 新人公演に向けてプリ19みんなで頑張っております!駒場小空間でお待ちしておりますのでぜひご来場ください!へばな! 兼セク上等19 廣田

TLを貫け

web19 の片山です。 2019 年度新人公演 ver. の作業場日誌が始まります。今回のテーマは「自分が貫いていること」だそうです。タイトルにちなんでいてかっこいいですね! ...... 貫いていること ... パッと思いつくものがありません。捻り出します。(タイトルは完全にノリでつけました) 中学校の入学式で、校長先生が「嫌なところにばかり目が行ってしまいがちだからいいとこ見つけをしなさい」というお話をしていらっしゃいました。当時「いいじゃん」と思った私は、それ以来たびたび「いいとこ見つけ」をしています。つまり、貫いています。 という訳で、私が見つけた web セクションのいいとこを紹介しようと思います。 web の大事な仕事に公演に関する情報の発信があります。作演、タイトル、ステ日、チラシ ... どの情報にせよ、情報公開って、ワクワクしませんか?今までは言わば仲間内だけの秘密の計画だったものが、世の中にお披露目されて現実のものになって、責任が生じて、後戻りできなくなる、そんな瞬間な気がします。この、踏み出すのにちょっとドキドキする一歩みたいな、そのステップを担えるのっていいじゃん、かっこいいじゃんって思います。 また、私は今まで「劇本編をつくる」ことに専ら興味があったのですが、 web セクションに入ってみてお客様が劇場に来る前からお客様の目に触れる仕事というのもいいな、と思いました。 以上、日誌にかこつけた自惚れでした。私は本公演で web に入ったばかりなのでこれから他にもいいとこを見つけて行きたいと思います。 あ、もしかしたら私は、「いいな」という気持ちを大事にするというのを貫いているのかもしれませんね。ちなみにご飯粒は残しません。 そんなこんなで、『ステップを貫け』 3 週間後に迫っております。これから情報も沢山発信して参ります。是非お越し下さい! web19  片山