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12月, 2020の投稿を表示しています

自己紹介ってネタ探しが一番大変ですよね

こんにちは。20Webの雉間です。 今回のテーマは「自己紹介」だそうです。コミュ障を拗らせているせいで自己紹介、というより知らない人と話すこと自体がとても苦手なのですが、今回のように不特定多数を相手に自分語りをするのはなおのこと難しいものがありますね。 たとえば、同じ学部の学生と自己紹介をする、というのは多少気が楽です。自身の学部を紹介してから、授業やゼミなど共通の話題に広げやすいですし。あの授業が難しいとか、あの先生は面白いとか、適当に話をしていればある程度は場が持ちます。同じ学部でなくとも、東大生同士であれば「進振りの愚痴」という東大生の共通言語(ですよね?)がありますし、他大生でもサークルやアルバイトの話でもしておけば大抵は切り抜けられます。なにが言いたいかというと、相手がいて、共通の話題になりそうなことがあれば、自ずと紹介すべき自分の「属性」も分かりやすくなります。 ところが、ひとたび目の前から相手がいなくなると、こうはいかなくなります。「教養学部前期課程文科二類所属」という肩書きから話を広げることができたのは、(初対面であるからこそ)興味を持って聞いてくれて、ときに話を膨らませてくれる相手がいてくれるからこそであって、自分ひとりでこんな無味乾燥な文字の羅列から話を広げていくのはちょっと無謀に思えます。所属しているサークルとか勤めているアルバイト先とかの話なら多少はマシかも知れませんが、頭の中に面白おかしく語れそうな経験が見当たらないのでやっぱり難しそうです。駒場で有名な某ゼミではお互いを深く知り合うために「所属を明かさない自己紹介」をするらしいですが、実際「学部」「サークル」「アルバイト」はいつも自分の最も表面的な部分のひとつで、だからこそ関係の浅い相手との様子見の会話には向いていても、「自分語り」には向いていないように思います。 すると、もう少しばかり自身の内面に踏み込んだことを語るべきなのでしょうか。たとえば「趣味」とか「好きなもの」とか。この手の話題は自己紹介の鉄板中の鉄板のような気がしますし、「好きなことが話題に上ると自分語りが止まらない」なんていかにもな感じがしますが、思えば自分から自己紹介でこうした話題を振ったことはあまりないような。理由はわりと明快で、「自分が趣味や好きなものと呼ぶに足りうるものを持っていない」と感じているからでしょう。飽きっ

締切ぎりぎりでごめんなさい・・・・・・。

タイトルミスじゃないです。 照明枠?で作業場日誌を書くことになったと昨日知り、締切2時間前に思い出して今回のテーマを確認して把握しました。言い訳にならないですね。ごめんなさい。 ええと、テーマなんでしたっけ。なになに。自己紹介。自分語り。自己紹介。んー、自己紹介ですか。自己紹介。誰の。え、自分っすか。自己紹介か。 はい、自己紹介します。19の小島です。音響、照明、映像をやっているのですが、これらがいつも一括りにされるので毎回チラシに3つぐらい名前を連ねています。周囲からはおにくさんと呼ばれたりします。呼ばれ始めたのは中高ぐらいのときかな。えーと、他何言ったらいいですか。え?うん。もういいかな。自己紹介、おわり。 ・・・・・・。 ええっと、これ作業場日誌ですよね。こんなに短くて良いのかな。まあ、もう締め切り直前だし。これでいっか。出しちゃおうかな。 ・・・・・・。 他の方々は皆さんあんなに書いているのに、自分だけ数行って、なんだか薄っぺらい人間みたいで嫌だけど。まあいいや。 ・・・・・・。 いつも初対面の人にするようなこういう短い自己紹介。あんまり好きじゃないですね。自分について話すこと自体は好きなのですが、一通り話した後にまるでこれが自分のすべてであったかのような気がして、なんとなくこころがどんよりしてしまいます。 そもそも自己紹介って自分のことを知らない人に自分のことを知ってもらうために自分について語るというものですが、それって自分が自分についてよく知っているという自信があって初めてきちんと成立するものですよね。あの自信ってどこから来るのでしょう。少なくとも、今自分はそういった自信がもてていません。 自分のことを知るためには、自分の内面と向き合う必要がありますね。いやあ、苦手だなあ。自分なんかは数時間ぐらいじゃ済まなくて、2日~3日ぐらい何もしないでひたすら考え続けて初めてしっくりきます。ここまでして初めて、満足の行く「自己紹介」ができるようになります。自己紹介を練ろうとすればいくらでも練られるタイプの人間です。 それなのに、自己紹介はいつだって締切ぎりぎり。いきなり「自己紹介してください」とか言われる。ぎりぎりだから、中途半端な自己紹介しかできない。そうなってしまうと、ごめんなさい・・・・・・というきもちになります。みんなにごめんなさい、自分にごめんなさい。ぼく

すいかあまいかしらぬいきざま

こんにちは、19宣伝美術です。 宣伝美術というものに関わってもうすぐ丸2年になりますか、早いもので。 特段腕がいいわけでも管理能力に長けているわけでもありませんがチーフをやっています。 この間作ったチラシがけっこう好評みたいで、嬉しいです。もうしばらくのお付き合いよろしくお願いします。 こんにちは、日文コース2年の学生です。 名の通りそこでは日本語だったり日本の古典文学だったりを勉強しているわけですが。 日本語、否、言葉というものは非常に面倒くさいもので、伝えるためのものなのに、百伝えるには技術も努力も必要です。子供の頃から当たり前のように使っている言語を、実は万分の一も使いこなせていないことをこんな年になって実感する。空恐ろしいことです。言葉を使うのが巧みだったり、言葉を尽くそうとしてくれる人には心底憧れます。ある種のコンプレックスみたいなものが勉強のモチベーションになっていたりするんでしょうか。 こんにちは、変な子です。 実際はそうでもないのに、どこに行っても相対的にちょっと変な子という立ち位置につきがちです。正直、変な子と扱われることは得だと思います。まあコイツだからな、というふわっとした理由で色々なことが許されている気がするし、そのおかげでありのまま自由に振る舞うことができています。周りの人が常に優しかったからか、自分の普通じゃない部分を嫌になったことはないし、逆に自分の平平凡凡なところはあまり好きではないです、朝起きれないところとか。人見知りが激しいところとか。 こんにちは、すいかの一番甘いてっぺんの三角だけかじって底まで味わわない人生を送っている人です。 中高で吹奏楽をやっていましたが、大学からは演劇をやっています。漫画をたまに読み、アニメをたまに観て、ゲームもたまにして、時々ラジオをかけたりもして、気分次第で絵を描いて、定期的にニコニコ動画にハマり、定期的にがっつりとアイドルを追っています。一つのものに傾倒するのは性に合わないなとつくづく思います。それだけ世界には素敵なものが溢れているということだと思うことにしているのですが。いつか底まで、味がなくなるまで食べられるものに出会いたいし、もう出会っていたとしたら嬉しいです。 こんにちは、岡本飛鳥です。 9月生まれの乙女座です。頑なに兵庫県出身を名乗っていますが、大阪

三つ子の魂いくつまで

20制作の今井です。はじめまして。 今回のテーマは「自己紹介」ということで、自分の趣味や好きなことを改めて考えてみたのですが、本当に小さい頃から変わっていないなぁと思いました。なかでも変わっていないのは芸術が好きということです。芸術関係の仕事をする両親の影響もあって音楽・美術・文芸など何でも好きなのですが、特に美術は見るのも作るのもずっと大好きです。三歳で初めて美術館に行った時のひたすらに楽しかった記憶は、大学で美術史を専攻するきっかけにもなっています。今年は残念ながらあまり美術館に行けなかったので、来年は気軽に行けるような世界になっていてほしいです。 そしてもちろん演劇も好きです。演劇経験は無いのですが、母が劇場で働いていたせいか劇場という空間には何となく親しみがあります。初めて演劇を観たのも3歳の頃でした。テレーサ・ルドヴィコの『雪の女王』という作品で、今でもその幻想的な美しさを鮮明に覚えています。他にも博物館や動物園、図鑑、小説…などずっと好きなものは沢山あります。そんな三歳から変わらない私の好きなものたちを、この先も、ことわざのように百歳になっても好きでいられたら素敵だなと思います。 唯一私が変わったことは、自分を出せるようになった(気がする)ことです。ずっとかなりの引っ込み思案で、意見を言うことや人前に立つことはもちろん、自己紹介も大の苦手でした。今まで演劇をやらなかったのもこの性格のせいです。それが今ではプリズムに入ってこんなふうに自己紹介を書いているなんて、我ながらかなり成長したのでは…と思います。AO入試的なもので大学に入ったことが荒療治になったのかもしれません。それでも客観的に見たらまだまだおとなしいと思うので、やっぱり根は変わらないというか「三つ子の魂百まで」なのかな、なんてちょっと開き直ったりしています。 散漫な文章になってしまいましたが、一言でいうと小さい頃から変わっていないなぁという話でした。 『不識』素敵な作品ですのでぜひご覧ください! 20 今井花

人間やめたい

19音響佐藤です。 そういえば久しぶりに作業場日誌書くし、ちょっとワクワクしていましたがテーマは『自己紹介』ということで。少なくともプリズムの中で自分語ったらいけない人間第一位だと思っています。 それでも、最近は色々自分の中でも変わった事があったので。 みなさん語っていらしたので、私はあえて基本情報から入りたいと思います。そしてそこで筆を止めたいです(願望) 誕生日は2000年6月12日です(覚えてくれてもいいんだぜ⭐︎) 弟が一人います。 よくA型って言われるけどやっぱりO型でした(献血で調べてもらった) 広島出身です。 ディズニーが好きです。これは永遠に変わりません。 でも最近はディズニーに行けていません。コロナで都内にも頻繁に行く事はなくなり、ディズニーストアにも行けず、そろそろディズニーレス末期を迎えます。 幼稚園から高校までの学園に通っていました。2歳から行っていたのでかれこれ16年間は同じカゴの中にいたことになります。 受験は推薦でした。 身内の死にも直面した事がありません。 だから実は、案外人生における典型的な分岐点の苦労を経験した事がないんです。 だから多分、いろんなことに対して弱いです。 我ながら信じられないくらい箱入り娘だと思います(ついこの前人生で初めてまともに寿司を食べました。何のネタかわからず食べました。) だからこそバイトとか色々経験値上げていきたいなって思うけど、多分そのやり方も極端なんだろうなと。そのせいで、スケジュールどうにかしろってバイト先のお友達にも言われるんじゃ、、 最近髪を染めました。バイトで髪色の縛りがなくなったからです。 実は鼻の横にあったほくろも取りました。今まだ、跡が赤いです、隠してるけど。 要するに、自分磨きをやっとこさ始めました。これで自分のこと好きになれたらいいなって。 じゃあ自分のこと嫌いなんかって 自分に限らず人間不信です。そんなこと人の目につくように言うもんじゃないってよくわかってます。最近ましになったからです。それでもまだ治さないといけないところがあるので頑張ってるって感じです。 自己紹介って人間にしかできないんですよ(突然どうした) だから、そういう。ね。 自己紹介っぽい事はしたからな!!!これ以上文章長くしない事お許

湿度30%前後の部屋のエアコンの真下で寝ると喉がすごい

隙自語という言葉が生まれるくらい、聞かれてもいない自分の話をペラペラと喋る習性が人間にはあるわけですが、なんでか、「じゃ、自分語りして」って言われても何にも自分について語ろうと思うことが出てこないんですよね。なんでかっていうか、個人的に隙自語というのは、既に提供されている話題についてさらに自身の所感をわざわざ述べようとする際付随する身の上話だと私は思っているんですが。自分から自分語りしろと言われると、自身で語る話題を自分の中から見つけなきゃいけないから難易度も上がってくるわけですね。自己紹介ってそういうもんだけど。それが上手い人間が就活とかで成功すんのかな〜〜〜〜〜〜〜〜〜 〜思いの外長くなったので一番大事な話をここで書いておくと、とても優秀な後輩たちに恵まれいい感じに次回公演を迎えられそうです。冬公演「不識」よろしくお願いします。〜 自分語りかあ。私、この場で日記あるいは日誌を書くのが今年の春の新人公演以来なんですが、前回のが更新された時思ったんですよ、「『ジキル博士とハイド氏』の布教し忘れたな」って。 好きを語ることは自分を語ることに通ずる。パクリじゃないです。 「ジキル博士とハイド氏」、みなさん読んだことありますか?それなりに著名なタイトルですが、割とちゃんと読んだことがあるって人は少ないみたいです。最近だとそもそもタイトル自体知らない人も一定数いるみたいですね。「ジキルとハイド」は日本語でも英語でも「————」の代名詞して辞書なんかに出てくるんですが、それも伝わらなかったりするんでしょう。 なぜ今「————」ってぼかしたのかですか?ネタバレだからです。 そう!!!!!!!!!「ジキルとハイド」が「————」であることはネタバレなんですよ!!!!!!!!!!!!!!!!!! だというのに文庫本の裏表紙とか帯にはよく「————」ものの最高傑作だとか書いてたり、さっき言った通り辞書にネタバレがしっかり載ってたりするわけです。許せない。遺憾の意。私がこの本を読んだのは既にその代名詞としての役割を知ってしまった後だったんですが、この小説はそもそも一種のミステリーものなんです。殺人事件の小説の背表紙に犯人の名前書く奴がどこにいるんだ?しかも昨今ではその代名詞としての役割もこのタイトル自体知らない若者が増えているという事実を鑑みるに、早急にこういうネタバレは排除してほしい

ただの自己紹介

おはようございます。 20 衣装です。テーマが『自己紹介』ということで何を書こうかと悩んでいるわけですが、よくよく考えてみると私たちは『自己紹介』というものを長文で書いたり、長時間人前で語ったりということを経験してこなかったように思います。正直私の好きなものについて長々と話したところで人はあまり興味がないような気がしますが、逆に人が好きなものについて話すのを聞くのは個人的にかなり好きなので、今回は人目を気にせず自分の好きを語ります。ずばり映画に決めました。     基本的に洋画オタクなのですが、ダークな邦画は結構好きで『ヒミズ』や『冷たい熱帯魚』が代表作であるエログロホラーで有名な園子温監督が推しです。洋画ですとやはり『インセプション』や『インターステラー』で名を上げたクリストファー・ノーラン監督しか勝たんです。もちろんティム・バートンが創り出すおとぎ話のような世界観もデル・トロの良い意味で居心地の悪いきもさもタランティーノの自由さと猟奇的な映像美(『ワンハリ』参照)も大変魅力的ですが、やはりノーランこそ生きる才能、至高です。伏線の張り方が綿密かつ複雑な点で彼を支持していたのですが、秋に公開された『 TENET 』を観て「お?こいつもしやフィーリングで映画つくってる?」というここまできて新たな発見をしてしまいました。とにかく最新作は彼の『時間』というテーマを魅せる演出が臨界点まできていたし、イマジネーションが理性を超越した胸熱かつハイクオリティなものでした。脱帽です。ストーリーの綿密さを欠き始めたことは寂しいですが、一ファンとして彼が最後に行きつく映画監督としての答えをこの目で見届けることが私の望みです。皆さんもぜひ奇才クリストファー・ノーランの作品を観てみてください。私が言いたいのはそれだけです。     『不識』とても素敵な脚本・作品だと思うので、よろしくお願いします!  

自己紹介と第1印象

はじめまして、映像20の飯田です。(今回の公演では宣美と照明もやってます)プリズムに入舎して初めて書かせていただく作業場日誌、テーマが「自己紹介(自分語り)」ということだそうです。 人見知り&コミュ障なので自己紹介にはあまりいい思い出がないです…4月に「今年こそは友だちちゃんと作ろう」と思って力みまくって自己紹介をし、GW頃には案の定五月病になるというようなことをほぼ毎年繰り返しています。 そもそも自己紹介ってそこまで意味がないような気がします()最低限初対面の人の顔と名前くらいは覚えなきゃいけないとは思うのですが、そこで趣味とか聞いても絶対に忘れていますし(私だけ?)その人がどんな人かっていうのは結局一緒に何かしてみないと分からないですし… 昔読んだ本に「人間の第1印象は、その人を見た瞬間に『この人のこの要素は好きだけど、この要素は嫌い』というようなものが瞬時に判断されて、好きな要素が少しでも多ければその人に良い印象を抱く。そして逆も然り」というようなことが書いてありました。そうなると自己紹介で何を言ってもあまり関係ないのではと思ってしまいます…と言うとこの作業場日誌をなんで書いているのか分からなくなってくるのでやめますが、こんな感じで私はいまだに自己紹介がうまくいったためしがありません。 でも、まあ当たり前のことではありますが第1印象がすべてではないと思っているので、プリズムの方々ともこれから一緒に活動させていただく中でお互い印象を塗りかえながらやっていけたらな、と思っています。そのためにももっと対面の活動がしたいなあとも思います… 今読み返して文章のまとまらなさに愕然としていますが、これ以上書いてもさらにとっ散らかるだけだと思うのでこの辺で終わりにさせてください…ここまで我慢して読んでくださった方、駄文のお手本のような文章にお付き合いいただきありがとうございました。 『不識』ぜひご覧ください。 20映像・宣美・照明 飯田菜未

自己紹介なんて

こんにちは。20舞台です。今回のお題は「自己紹介」だそうです。 私は自己紹介なんて嫌いです(好きな人なんているんか?)。集団の構成要員が変化した際に執り行われる儀式の一種だと思っています。もちろん、自己紹介をする事にメリットが無いとは言いません。とりあえず場は持つし、その後の話の種になることもある。しかし私には自己紹介を上手く活用できた試しが無いのです。 自分の番が回ってくるまでは、場の雰囲気を掴み、その場にあった自己紹介を構成することに専念しなければなりません。自己紹介は儀式でありながら、臨機応変な対応が求められるイベントなのです。そして自分の番が終わる頃には集中力は切れ、急速に他人の自己紹介への興味を失っていきます。全員の自己紹介が終わった後、私は他人の趣味など何一つ覚えておらず、ただ自分の自己紹介がどのように映ったかについてぼんやりと考えているに過ぎません。 世の人がどのように自己紹介を捉えているのか、私にはよく分からないことです。しかし、人が自己紹介をする際に最も関心を寄せていることは、他人の自己紹介の内容ではなく、自分の自己紹介が他人にどのように映るのか、ということなのではないかと思っています。 自己紹介を非難してばかりいないで、少し自己紹介をしましょう。とはいえ、せっかく文章で綴る機会をいただいたので、普段の自己紹介では話さないような事を書きましょう。 私はどうやら第一印象が極端に悪い人間のようなのです。私とある程度仲良くなった人は「怖い人だと思った」「こいつとは絶対に友達になれないと思った」などと私の第一印象を評価します。彼らが言うには、この印象は表情の悪さに起因するのだそうです。私が普通の気分で過ごしてる時、彼らの目には不機嫌であるように見えて近寄り難いと。 こんなことを多くの人に言われるものですから、私も改善しようと試みたことはありますが、無意識の表情を変化させるのは難しいことでした。幸い(?)今はマスク文化が定着し、顔の大半は隠れているので、しばらくこの課題は保留しています。 20 山中 iPhoneから送信