チーフもいよいよ最後! リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 9月 09, 2018 こんにちは!今日は17制作チーフが書こうと思います。とりあえず秋公の作業場日誌を見返したのですが、18しかいない!!こんなことならフレッシュな制作18にお願いすれば良かったと思いました…笑今回の公演では17から18への引き継ぎをしているのですが、難しい!!自分が新公で躓いたところで18に躓いてほしくなくて、頑張っているつもりなんですが、なかなか上手くいかないです…まだ数週間あるので、先輩としてできることを頑張ろう! リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
けど時代はLED 6月 29, 2024 十代初めの頃まで住んでいた生家は、鬱蒼とした森に建つ、築三百年あまりの小さな古城でした。 城の周辺には家族以外にもいろいろなものが住んでいました。森にはシカやイノシシが、城の地下にはネズミやコウモリ、天井裏では外壁にあいた穴から侵入したアライグマの一家が日夜運動会を開催していました。 そして自分のとなりにも、家族ではない存在がいました。そのひとを仮にAと呼びます。 子供の頃はよくひとりで夜遅くまで留守番をしていましたが、生家での留守番はあまり愉快なものではありませんでした。 昼でも薄暗く陰った森は、夜になると完全に闇に包まれます。目をこらしても何も見えない暗闇が壁をひとつふたつ隔てた先に横たわっている中でひとり家にいるのは、心細いものでした。 また、夜の森ではよく何かが動き回っていて、そのガサゴソという音は壁を通して城の中までよく聞こえてきました。そういった音を聞くたび、何かが城に侵入してきたのかもしれない、と嫌な想像が脳裏をよぎりました。 古い建物なので、ギシギシという家鳴りも頻繁に聞こえてきました。木がきしむ音が聞こえるたび、何者かが部屋に近づいてくる気がして身を固くしていたのを覚えています。 あらゆる音が恐怖に変換される留守番は気が滅入るものでした。そこには得体の知れないものがすぐ近くで息をひそめているような感覚が、いつも静かに横たわっていました。 そのため留守番の時はいつも小さな部屋に閉じこもって、テレビをつけっぱなしにしていました。テレビをつけていれば城や森からの音は聞こえないし、テレビから流れる人の声を聞くと恐怖が少し拭われる気がしたのだと思います。 Aは、そんなふうにひとりで留守番中、テレビを見ている時によく現れました。 現れたとはいっても、Aと自分は特段会話をするわけではなかったし、視線さえ交わることはありませんでした。 テレビを見る自分の傍らで、Aはただ立ったり、座ったり、誰かと話したり、魔法学校で二重スパイとして働いたり、脱税を調査したり、何度も時間を巻き戻して魔女と戦ったりしていました。 Aは姿も考え方も不定形でしたが、変わらなかったのは、Aがいつも自分に元気を与えてくれたことでした。Aは目の前で輝きながらも決して関わることのできない、手の届かない星のような存在であ... 続きを読む
先輩へ、同期へ、後輩へ。 9月 26, 2024 僕の舞台監督としての原風景は、やっぱり新人公演ですね。あの時は舞台監督になったからすごく頑張ろうとしてたけど、舞台監督だからとか、舞台監督なのにとか、そう思い込んで勝手に自分の首を絞めていたらしい。でも終わってみたら、拙いけどなんだかんだ舞台監督をやれていて、あれはあれでいい思い出。 そのあとはすぐに新歓公演。3劇の中で舞台は一番凝っていた。まあ作演が舞台の人だったし。彼のアイデアを実際に形にしていくのは楽しかった。小屋入りには頼もしい先輩方がいて、仲良くなった同期もいて、楽しかったね。 そして夏公演。いやぁしかし大変な公演だった。初っ端から舞台美術を決めるよって時にトラブった。先代舞台監督の涙を見て、上の代のことをちょっとよく知りすぎちゃって、僕まで苦しくなった。でも先輩にとってはプリズムで最後の公演だし、こんな状況で終わってほしくなかった。僕が舞美をやれば全て解決。1人で叩きまくって周りに心配され、僕自身も色々あって気落ちしててちょっと辛かった。僕は演劇の経験がないし、周りの言うことが全て正しいような気がして1人になりたくなる時もあったし、やりたくて舞美やってるわけじゃねえよって言いたくなる時もあったし、叩き場で1人何もせずにボーっとしたり横になって死んでいたりしたこともあった。 まあ先輩と叩いたのも、後輩に色々教えながら一緒に作っていったのも、楽しかった。最後には僕が尊敬する先輩の綺麗な涙を見て、花を渡して送り出したし、よかったかな。先輩は本当にすごい人だと思う。あの人は1年間逃げずに舞台監督をやり切った。 あなたのような舞台監督の後を継ぐことができて、光栄でした。 秋公演になって、いよいよ僕も舞台監督をやるのは最後になった。今の僕は、いくらかちゃんと舞台監督をやれてるんではなかろうか。まあ及第点かな。僕は1年間頑張った。本当によく頑張ったよ、うん。舞台監督、なんだかんだ楽しかった。 僕が舞台監督を頑張れたのは同期のおかげだと思う。特に同期の舞台屋には大変お世話になりました。今回の作演は舞台屋同期で、もう1人の舞台屋同期も稽古場にいるから、今回は叩き場に僕しか23舞台屋がいなかった。そうなって初めて気づいたけど、舞台屋同期がいるのといないのとでは、僕のやる気が全然違う。やっぱ同期がいると叩きは100倍楽しいよね。 作演は忙しいながらもたまに叩き... 続きを読む
多分幼稚園のころが一番おとなだった 7月 02, 2024 この文章が公開されるときには、自分は21歳になっている。18歳で入ったプリズムにやっと終わりが来る。21歳は立派な「おとな」だと思う。お酒だって飲める、公営ギャンブルもできる。高卒や短大卒の同級生は社会人だ。でも、自分が立派な大人かと言われたら、全くそんな気はしない。 この原因の一つには、サークル活動で楽しかった瞬間というものが、常に幼い行動と共にあったからではなかろうか。思い返してみよう。サークルで楽しかった思い出。 ・叩き場で食べるアイス ・舞台屋で食べるご飯 ・小屋で食べる差し入れ ・総務部と食べる仕込みバラシ中のご飯 すごく健啖家みたいだ。あ、夜のお喋りとか残作も楽しかった。 ただ、やはり思い返してみても、舞監ムーブメントはすれこそ、大人ムーブメントはしてないのではないか。持ち芸が「親の金でドヤ顔奢り」な時点で、私のサークル内立ち位置は明らかだ。というか、私のことを大人という括りで見ているサークルメンバー並びに他劇の友人たちがいるだろうか。 銀髪の大人、碌なもんじゃないと思う。10月になれば、地毛の色に戻す予定だ。そしたら少し、大人になれるだろうか。 上京して、演劇をして、駒場以外の繋がりもできた。そして初めて、生計を立てている職で週に5,6日働く大人、ではない大人の姿を見た。 社会人演劇団体に携わり、演劇で生計を立てるだけではなく、ライフワークとして関わりつづける大人の在り方も知った。 まだ社会人になるまで時間がある。予定では、今年を含めてあと4年。何かしらあれば、5年とかになるかもしれないけども。とにかく、まだ時間がある。駒場小空間を本当に離れるとき、そのときは、この文章を読んで、過去の自分を子どもだと思えるだろうか。少しは思いたい。 22照明チーフは、23代や24代の子たちの未来を灯体で照らしてくれるらしい。じゃあ僕はどうしよう。 ……階段を作ります。壁にぶつかったときに上れる用に。螺旋は嫌だけど。普通の階段なら。あと、叩きの進捗とかヤバいときは呼んでくれたら行きます。と、ここで宣言しておきます。 続きを読む
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