チーフもいよいよ最後! リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 9月 09, 2018 こんにちは!今日は17制作チーフが書こうと思います。とりあえず秋公の作業場日誌を見返したのですが、18しかいない!!こんなことならフレッシュな制作18にお願いすれば良かったと思いました…笑今回の公演では17から18への引き継ぎをしているのですが、難しい!!自分が新公で躓いたところで18に躓いてほしくなくて、頑張っているつもりなんですが、なかなか上手くいかないです…まだ数週間あるので、先輩としてできることを頑張ろう! リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
先輩へ、同期へ、後輩へ。 9月 26, 2024 僕の舞台監督としての原風景は、やっぱり新人公演ですね。あの時は舞台監督になったからすごく頑張ろうとしてたけど、舞台監督だからとか、舞台監督なのにとか、そう思い込んで勝手に自分の首を絞めていたらしい。でも終わってみたら、拙いけどなんだかんだ舞台監督をやれていて、あれはあれでいい思い出。 そのあとはすぐに新歓公演。3劇の中で舞台は一番凝っていた。まあ作演が舞台の人だったし。彼のアイデアを実際に形にしていくのは楽しかった。小屋入りには頼もしい先輩方がいて、仲良くなった同期もいて、楽しかったね。 そして夏公演。いやぁしかし大変な公演だった。初っ端から舞台美術を決めるよって時にトラブった。先代舞台監督の涙を見て、上の代のことをちょっとよく知りすぎちゃって、僕まで苦しくなった。でも先輩にとってはプリズムで最後の公演だし、こんな状況で終わってほしくなかった。僕が舞美をやれば全て解決。1人で叩きまくって周りに心配され、僕自身も色々あって気落ちしててちょっと辛かった。僕は演劇の経験がないし、周りの言うことが全て正しいような気がして1人になりたくなる時もあったし、やりたくて舞美やってるわけじゃねえよって言いたくなる時もあったし、叩き場で1人何もせずにボーっとしたり横になって死んでいたりしたこともあった。 まあ先輩と叩いたのも、後輩に色々教えながら一緒に作っていったのも、楽しかった。最後には僕が尊敬する先輩の綺麗な涙を見て、花を渡して送り出したし、よかったかな。先輩は本当にすごい人だと思う。あの人は1年間逃げずに舞台監督をやり切った。 あなたのような舞台監督の後を継ぐことができて、光栄でした。 秋公演になって、いよいよ僕も舞台監督をやるのは最後になった。今の僕は、いくらかちゃんと舞台監督をやれてるんではなかろうか。まあ及第点かな。僕は1年間頑張った。本当によく頑張ったよ、うん。舞台監督、なんだかんだ楽しかった。 僕が舞台監督を頑張れたのは同期のおかげだと思う。特に同期の舞台屋には大変お世話になりました。今回の作演は舞台屋同期で、もう1人の舞台屋同期も稽古場にいるから、今回は叩き場に僕しか23舞台屋がいなかった。そうなって初めて気づいたけど、舞台屋同期がいるのといないのとでは、僕のやる気が全然違う。やっぱ同期がいると叩きは100倍楽しいよね。 作演は忙しいながらもたまに叩き... 続きを読む
「好き」のスタート地点 9月 09, 2024 みなさんこんにちは、23webチーフです。 劇工舎プリズム第83回公演まで1ヶ月を切りました。 毎回恒例の作業場日誌、今回のテーマは「原風景」です。 原風景、と言われてぱっと思いついたのは、父方の祖父の部屋でした。 スピーカーとアップライトピアノ、レコードやCDとこたつが置いてある、秘密基地のような部屋。 若い頃から音楽好きで、社会人ビッグバンドでギターを弾いていた祖父は、自分の好きな音楽に浸るためにそんな部屋を作ったそうです。 当時2歳か3歳くらいだった私は、度々祖父とこたつに入って、お菓子を食べながら一緒に音楽を聴いていました。 あとは祖父が入っていたバンドのコンサートを見に行ったり、DVDを見たり。 当時は音楽のことなど何も分かっていなかったのですが、祖父の教育(?)の賜物なのか、音楽好き、特に身近にあったジャズやビッグバンドに関しては、「詳しいこと分かんないけどなんか音が好き!楽しい!」という感じの人間に成長しました。 そして大学生になって、サークルでビッグバンドを始めました。 祖父のことをよく知る親戚にその話をすると、ほぼ必ず「おじいちゃんの影響だね~」と言われます。 演劇についても、幼い頃の自分と繋がっていると感じる部分が多々あります。 私が通っていた幼稚園では、事ある毎にクラスで歌やダンス、劇を発表する機会がありました。 そして年長クラスでは、クリスマス会で各クラスで1本の劇を披露するという風習がありました。 全員が役者として出演し、数は少ないものの全員にセリフがあり、必要があれば幕の上げ下げや大道具の移動も園児が行う。 練習は結構厳しくてたくさん怒られたし、当時の自分の演技なんて見れたものではありませんが、笑顔で拍手をしてくれる観客席を見て、嬉しかったことはなんとなく覚えています。 今でも全てが終わって客席を見たらなんとなく安心するし、拍手が聞こえたら幸せな気持ちになります。 あの達成感が好きで、今も舞台に関わることをしているのかもしれない。 祖父は私が中学生のときに亡くなってしまったので、私が高校でも大学でも演劇をやっていることも、大学でビッグバンドを始めたことも知りません。 もう5年も会ってないけれど、もしも今会ってそのことを話しても、意外だとは思われず、「やっぱりな」と笑われるような気がしています。 今私がやっていることは全て、幼い... 続きを読む
けど時代はLED 6月 29, 2024 十代初めの頃まで住んでいた生家は、鬱蒼とした森に建つ、築三百年あまりの小さな古城でした。 城の周辺には家族以外にもいろいろなものが住んでいました。森にはシカやイノシシが、城の地下にはネズミやコウモリ、天井裏では外壁にあいた穴から侵入したアライグマの一家が日夜運動会を開催していました。 そして自分のとなりにも、家族ではない存在がいました。そのひとを仮にAと呼びます。 子供の頃はよくひとりで夜遅くまで留守番をしていましたが、生家での留守番はあまり愉快なものではありませんでした。 昼でも薄暗く陰った森は、夜になると完全に闇に包まれます。目をこらしても何も見えない暗闇が壁をひとつふたつ隔てた先に横たわっている中でひとり家にいるのは、心細いものでした。 また、夜の森ではよく何かが動き回っていて、そのガサゴソという音は壁を通して城の中までよく聞こえてきました。そういった音を聞くたび、何かが城に侵入してきたのかもしれない、と嫌な想像が脳裏をよぎりました。 古い建物なので、ギシギシという家鳴りも頻繁に聞こえてきました。木がきしむ音が聞こえるたび、何者かが部屋に近づいてくる気がして身を固くしていたのを覚えています。 あらゆる音が恐怖に変換される留守番は気が滅入るものでした。そこには得体の知れないものがすぐ近くで息をひそめているような感覚が、いつも静かに横たわっていました。 そのため留守番の時はいつも小さな部屋に閉じこもって、テレビをつけっぱなしにしていました。テレビをつけていれば城や森からの音は聞こえないし、テレビから流れる人の声を聞くと恐怖が少し拭われる気がしたのだと思います。 Aは、そんなふうにひとりで留守番中、テレビを見ている時によく現れました。 現れたとはいっても、Aと自分は特段会話をするわけではなかったし、視線さえ交わることはありませんでした。 テレビを見る自分の傍らで、Aはただ立ったり、座ったり、誰かと話したり、魔法学校で二重スパイとして働いたり、脱税を調査したり、何度も時間を巻き戻して魔女と戦ったりしていました。 Aは姿も考え方も不定形でしたが、変わらなかったのは、Aがいつも自分に元気を与えてくれたことでした。Aは目の前で輝きながらも決して関わることのできない、手の届かない星のような存在であ... 続きを読む
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