二徹明けはとっても眠い

こんにちは、18小道具の丸野です。作業場日誌には初登場です。照明のイメージが強いかとは思いますが実は小道具の人でもあります。以後お見知り置きを…。

さて、今回のテーマが「大切な景色」ということで私も大切な景色について考えてみました。
1番最初に思い浮かんだのは地元の大きなホールにある調光室からの景色です。当時高校生だった私は今で言うところの照明チーフ・プラン・オペを全て兼ねた状態でした。セクション員は私。それと本番中にピンスポットを動かしてくれるお手伝いの後輩が1人。それだけです。小道具はセクションとして確立されていた訳ではなく、私が勝手に集めて提供していたことも覚えています。その異常な仕事量の結果、そのホールでの1回きりの公演の日、私は二徹明けでした。プランを組み直し、納得がいかず白紙に戻し、また1からプランを組み、きっかけ表を作り、小道具を作り、修理し…そんなことをしていたら公演当日の朝になっていました。変わらない追い込み体質。変わらない社畜気質。正直もう演劇はいいかなぁ、辞めようかなぁ、と思っていました。これだけ働いたんだもの、もう悔いの残りようがない。そんな気持ちでホールに向かいました。

公演の前後も調光室から指示出しをしていたはずなのに、その部分はほとんど覚えていません。でも公演中のことはなぜだかとてもはっきりと覚えています。最初は暗転。開演のアナウンスがあってインカムが来て、客電を落としたら緞帳が上がる。緞帳が上がりきるまで既定の秒数を数えてから明転。そこで同期の役者が最初の一言を言う。その瞬間、まさに文字通りはっと目が覚めました(二徹明けは眠い)。 自分で集めた小道具を使う役者を、自分で作ったプランの照明で照らす。純粋に楽しい、と思いました。このあとしばらくは演劇を辞めないだろう、とも。そしてその予感は見事的中して今も社畜だのなんだのと言われながら演劇を続けています。


小道具はなんとなくおまけみたいな扱いをされがちです。それは自分でも分かっています。数十分程度の公演に、なぜそこまで労力を注ぎ込んでいるのだろう。なぜずっと小道具セクションにいるのだろう。なぜ演劇を続けているのだろう。でも、あの場面で使ってたアレかわいかったよね。アレってこういう意味だったのかな。それくらいでいいから、そんなものでいいから、少しは来てくれた皆さんに影響したって思いたい。ずっと印象に残ったままでいてほしいなんて言わないから。小道具やりたい!って気持ちで演劇を始めてくれなんて言わないから。

もしあの時プランを組んでいなければ、もしあの時オペをやらなかったら、もしあの時あの小道具を使わなかったら、そしてもしあの時二徹明けじゃなかったら。そう考えるとなんだか不思議な気持ちになります。
辞めるのはいつだって簡単で、続けるのはいつだって難しい。でも私は常に自信を持って難しい方を選んできたのだと思います。全ての偶然と全ての必然が合わさって、私は演劇を続けるという選択をしたのだから。そしてもしその選択をしていなかったら、私は今、大切な仲間がいて、その仲間たちと大切な公演を作り上げているという「大切な景色」に出会うことはなかったのだから。

18小道具 丸野

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