ぼくのさんぽ

こんにちは、映像19の平田と申します。

テーマ「大切な景色」について少し考えてみました、演劇とは少し無縁ですが、よかったら読んでいってください。

僕は週に最低一回は散歩をすることにしています。自分の時間をとるためです。散歩中はスマホを極力見ないようにして、自分の行きたい道を進みます。通ったことがある道だけでなく、通ったことのない道も、冒険したい気分の日は通ります。散歩は僕にとってとても重要な習慣です。なぜ散歩をするのかというと、理由は二つあります。

一つ目は、先ほどの述べた通り、自分の時間をとるためです。大学で忙しかったりすると、ずっと何かをしていて、じっくりと自分の状況を見つめる時間が無くなります。それが長い時間続いてしまうと、いつの間にかストレスがたまっていて、毎日が苦しくなって、でもそれを当たり前のように感じてしまうようになります。そうならないよう、散歩して、今の自分を見つめて、自分が今何をしたいのか、何をすべきなのかを考えます。

これを「自分の時間」と呼ぶのには理由があります。例えば、僕は娯楽としてゲームなどをやりますが、それは「自分の時間」には入りません。一般的には、娯楽など楽しいことを「自分の時間」と呼びますが、僕が考えるに、娯楽の時間は単に娯楽の時間で自分のためにはないものだと思います。ゲームをやっている最中の僕は何も考えずに、ただただ画面に向かっているだけです。それは自分のための時間ではないと思います(しかし必要な時間ではある)。だから散歩を「自分の時間」と呼ぶのです、本当に自分のための時間だからです。

二つ目の理由は、そしてここが「大切な景色」と関係してくるのですが、散歩は僕の思考を刺激するからです。散歩しているとき、特に自分について考えることのないときは周りの景色を眺めています。街を歩いて周りを眺めるだけでも、いろんなことが頭をめぐります。例えば前町を歩いているとき、こう思いました:「このマンションも、この病院も、全部人の手で作られたんだなー。」我々を包む構造物はすべて人間と人間が作り上げた機械によってできています。その構造物ができるまで何人の手が加わったことでしょう。その人たちの仕事によってその構造物ができたわけです。当たり前のことなのですが、実際にそれを実感することは皆さんあまりないと思います、とてもしみじみとした気持ちになります、なんだかすべてがいとおしく見えてきます。いつもはただのマンションなのに、散歩しているときはそれが歴史を抱えた遺跡になるのです。

自分の身の回りの景色を素直に見て、感じたことについて考えることは果たして意味があるのかと問われたら、ないかもしれないと答えるしかありませんが、少なくとも僕にとってはとても意味のあることです。僕にとって、この散歩で見る景色が「大切な景色」です。散歩の時間だけは100%の効率で時間が有効活用されています。

演劇には全く関係がないうえ少しテーマ回収も強引な気がしますが、許してください。
みなさんもぜひ、散歩を試してみて自分の時間をとってみてください。

映像19 平田

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