日誌の内容、テーマから脱線して良いと伺ったのですが、、、

 はじめまして、22の音響員です。私は作業場日誌を書くのが初めてで、また自称真面目なのでこういう時にどんなことをどういう風に書いたら良いのかをまず知りたくなるのですが、21の仕事の早い素晴らしい先輩にテーマなんか気にせず自由に書いていいと悪知恵アドバイスを頂いたので、一応今回のテーマである「さいわい」から連想したことを自由に書いていこうかなと思っています。ぱちぱちぱち。(正直何を書けばいいんだ何を書けばいいんだ・・・と書いていれば字数は埋まるのではないかと思ったこともあるのですが、)今回は盛大に自分語りをしようと思っています。


音楽

 私が「さいわい」について何を書こうと考えていた時に2番目に思いついたのが音響のことでした。そういえばこれ作業場日誌で、各セクションの作業について書くという名目だったな...と。1番目に思いついたのは私の住むまちについてなのですが、あまり書くことがないのと個人情報なので控えます。

 私の人生の中で音楽に関わる機会は多く、また何度か音楽に救われる経験もしてきました。勇気付けられたり、曲に感情移入してストレス発散したり。私が辛いとき、大袈裟ですがこの曲を聴く(歌う)ために生きておこうと思ったことや、曲に慰められたこともありました。そしていつからか、音楽は楽しい、また音楽を楽しんでいる歌手たちを見ていて、多くの人にとってもそういうものだろうと思うようになっていました。

 ですが、またある時、Eテレでアニメの『聲の形』が放送されていたのを録画したのを見ました。割と前に見たので記憶が曖昧なところもあるのですが、私の記憶上、作品の中で聴覚に障がいのある人が小学生の頃、学校の合唱コンクールの練習に参加し、『怪獣のバラード』という曲を皆で歌ってみるもなかなか難しく、またクラスメートとも馴染めなかった様子が描かれていました。その後も作中で『怪獣のバラード』は割と不穏な空気を演出するものとして使われていました。

 私の中でその曲は、中学1年生のときに合唱コンでみんなで歌ったなぁという割と良い思い出に美化されていたので、作品も演出も面白いけれど、個人的にはあまりそういう風には使ってほしくないと思いながら見ていました。

でも、観終わって、耳が聞こえない人、または聞こえにくい人にとっては合唱コンのような音楽に触れる機会が楽しいものではない(聞こえても楽しくない場合もありますが)、というか普段の生活の中で音楽に触れることはほぼないのかもしれないということに思い至りました。言葉にしてみれば気付くの遅くない?と自分でも思うのですが、私は聴覚に障がいのある人にあまり関わったことがなく、またその生活についてあまり詳しくないので、その時期になったのだろうと思います。そして聴覚に障がいがあり、音楽と馴染めず、それでいじめられた経験のある人にとって音楽は楽しいなんてものではなく、嫌悪の対象なんてこともありうるという可能性に気付きました。(先述の登場人物がそういう感情を抱いていたかは分かりません。)

 自分の考えは他人と違うなんてことは今まで聞いてきましたが、自分にとって大切なものでも人によっては関わりのないもの、あるいは嫌いなものになりうるということを強く体感した出来事でした。


 話が脱線してますね。元からそのつもりです()そして明るい方には行きませんね。私の性格が出ました。事実と違うなどで不快な気持ちになった方もいらっしゃるかもしれませんが、ここに書いてあることは私の所感です。ご了承ください。元の映画も見てみてください。書いてあること違うじゃんなんてこともあるかもしれません(あったらまずい気もしますが)。

 私にとっての「さいわい」が人によっては「さいわい」ではないのだなぁと感じたということを書いて、テーマにこじつけたいと思います。

 言葉足らずというか語彙不足?で歯痒い部分もあるのですが、締め切り直前に書いているのでここらへんで終わらせたいと思います。

 ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

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