素晴らしい世界に祝福を。

 はじめまして。22の宣伝美術です。ご覧頂きまして、ありがとうございます!

 自分にとってのさいわいとは、というテーマで書かせて頂きます。


 さて、大学生になって、さいわい(幸せ)を感じられることが多くなりました。

 それは精神的圧迫が取り除かれたという環境の変化もあるけれど、自分自身がいろいろなものに感謝できるようになったからというのが大きくて。


 毎日ご飯を作ってくれているお母さんに感謝。

 安全に大学まで運び届けてくれる電車の運転手さんに感謝。

 毎日話す友達に感謝。

 毎日私を癒してくれるにゃんこに感謝。


 この世の物全てが愛おしくて、優しく接してくれているような感じがします。


 もちろん、世の中不条理なこと、目を背けたくなるようなこと、沢山あります。それこそ、私の酷い偏見ですが、人間の醜い部分を魅せる演劇の世界において敬遠され、綺麗事だって怒られてしまうかもしれません。考え方がまだまだ子どもで、みんな楽しければいいんじゃね? )パァという性格なので、こういう考え方の人もいるんだというふうに流して下さい。


 ですが、そういった当たり前の日常のことでも、自意識過剰なまでに感謝することで、さいわいを感じやすくなりました。当たり前に生きられていることこそ最大のさいわい。物事は捉えようです。

 キャパってる時はそんなことを考えている暇はないけれど、ふとしたときストンと自分の中でうまい具合におちる。その瞬間、さいわいであることに気づくんです。


 随分偉そうなこと書きましたけど、感謝することは、今では一番大切にしていることです。



 話が少し変わりますが、私は宣美に所属しているというのもあり、自分が関わった作品や事によって、知人や見ず知らずの人に何かしらの影響を与えたい、できれば良い方向の、さいわい(満足)を届けたいと思っています。

 公演が行われる駒場小空間まで足を運んで下さった方に恩返し、のつもりで自分の中にある想像、アイデア、イデオロギーを凝縮させて一つのものにする。それが他人にさいわいを提供するのって本当に素晴らしい事だと思うんです。



 プリズムに所属して約半年経ちます。活動するにあたって、プリズムのみんなは、同期はもちろん先輩方も含めて、ああ、この仲間たちと出会えて、演劇ができて本当によかったって満ち足りた気持ちになれる気がして。これも一種のさいわいなのかな、と思います。


 長々と自分語りをしてしまって恥ずかしい、いたたまれない気持ちですが、

今日も今日とて、この原稿を書けていることに感謝!作業場日誌を読んで下さっている人がいることに感謝!


さいわい。さいわい。

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