猫はさいわい
小道具22です。
本文章は、『作業場日誌、できれば22で書きたい人いませんか?』という小道具セクションチーフからの呼びかけに、すぐに「書きたい!」と返すのが何故か躊躇われ無駄に返事を寝かせた、卑しみ満載の人間によって書かれております。
今回のテーマは『さいわい』
……抽象なものの中でも中々に抽象です。さいわいとは?幸福?幸せ?幸運?どれだ?
まあ深く考えるのはやめて、せっかくセクション別に書いているんだし、どうせならそれを生かす内容を書きましょう。
小道具は、使用したい小道具に対して借りる・買う・作るのいずれかの方法でアプローチします。
今回使用する小道具、仮に小道具Aとしましょう。小道具Aは、一般生活をするに当たって、まず手に入れることがないものです。つまり、絶対に買わないといけなかったんですね。馴染みの無いもの故相場も知らなかったわけですが、それが案外安かったのはさいわいでした。
というのも、別の小道具、同様に仮に小道具Bとすると、これは割と身近なものだったので、誰かから借られるかななんて考えていたのですが、実際は誰も持っておらず、その上中々値が張るもので。
小道具Aが安かったことで、小道具Bにしっかり予算を回すことができたわけです。
あとそうそう。更に別の小道具の方は、人から借りられたのもさいわいでした。誰も持っていなかったら、その小道具の担当者の自分が作ることになっていたわけですが、調べた限り、中々に煩雑な工程を経なければ作れないものだったので。
こんなもんで終わろうと思っていたら、衣装の作業場日誌担当者からもっと書けよと言われました。
でも、セクション関連はこんなもんです。
なので、他の人たちの内容に則って、個人のさいわいネタを書いて終わろうと思います。
そもそも、今こんな文章を書いているということは、ずっとしたかった演劇ができる環境に自分がいるということを表しているに他なりません。
では、サークル活動ができているのはというと、それは潰えかけたのを一代上が耐えてくれたからで。
じゃあ、サークルに入れたのはというと、大学に入れたからであって。それは親の財力と共通テストの数学激難化のおかげです。
思い返せば中高時代だって、後輩の力で試合に勝ったり、二つ上の先輩が部活を立ち上げてくれたり、コロナ禍になっても先生たちが変則的な形で学校行事をできるようにしてくれたり、猫を飼い始めたり、もう一匹飼い始めたり。たりたり。
何より、長く又は深く身を置くことになった環境の人たちは、自分を許容してくれる人が不思議と多かったです。
やっぱり、考えれば考えるほど、自分の人生はさいわいに溢れています。
しかし、もう成人しているんですよね。そろそろ、誰かのさいわいの要因側になりたいです。
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