勉強の意味

こんにちは、19映像チーフの平田です。

まあ僕が考えていることをつらつら書こうと思います。

今の学歴社会において、「勉強の意味」が失われている気がするんです。
実際、僕も中学校の頃は「なんでこんな将来的には使わないものをやっているんだ」と先生に抗議していました。僕は高校になって勉強し始めたんですが、最初は「勉強の意味」なんて考えずに、とりあえず問題集を解いたり、テストの準備をしているだけでした。本当に「勉強の意味」に気づけたのは高3になってからです。

一回話をそらします。みなさん「頭の良さ」って何だと思いますか?東大生って「頭がいい」みたいなラベル貼られるわけなんですが、それってどういう意味なんでしょう。一般的な例として「難しい問題が解ける」とか思われてるかもしれないんですが、一部の本当にすごい人を除いて、(大学入試において)大半の東大生は「難しい問題を簡単にする」ことをするわけです。あとは「物知り」みたいなイメージもあると思います。確かに、東大生は割といろんなことを知っています。でも、全東大生が全ての分野の知識を持っているわけではなく、僕なら理系の分野の知識が多いというものです。

勉強をして、東大に入った身としての「頭の良さ」は「思考力」だと思います。ひとりでどのくらい深く考えれるかです。やはり東大生と話すと「この人はちゃんと考えてるんだな」と思います。僕は勉強に「思考力を養うためのもの」という意味を見出しました。たとえ数学を将来使わなくても、数学で学んだ証明の根本や数学的理念というものは一生ついてきて、役に立ちます。たとえ現代文で出る硬い文章を金輪際読まなくても、文章の構文の感覚的理解などは一生ついてきて、役に立ちます。このように、高校の時大学受験のため勉強しただけで、僕は多くを得たと思っています。

さて、ここで絶対にかみついてくる人がいます。勉強やってもできない奴はどうするんだと。はっきり言います、大学受験においては向き不向きがあると思います。しかしまた、僕には高校の勉強ができなければいけないみたいな文化がよくわかりません。難関大学の問題の難易度はもう変態の域だと思いますが、例えば文系も単位が必要な数2の二次関数とか本当にできない奴はできなくていいだろって思っちゃいます。一次関数はまだしも。そういう人は高校で無駄に授業にいるより自分の本当に興味ある分野の勉強したほうがいいと思います。ゲームの戦術研究とかでもいいと思います。それも思考です。

僕は、自分より絵がとても上手な人とか、歌がすごく歌える人とか、世界旅してる人とかそういう人のほうがすごいと思います。そういう人も結局は絵の作法を学んだり、声の出し方を学んだり、世界について学んでいる、勉強をしているわけです。多分そういう人のほうが僕より幸せです。

まあつまり何が言いたかったかというと、「勉強がいい」みたいな洗脳がかけられているなかで、なぜいいのか、「勉強」してみて確かめてみてほしいというわけです。

次回は「作業場日誌の意味」について書こうと思います。()


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