感傷に唾を吐き捨て足蹴にし高らかに嗤う

高校三年生はクラス演劇をする。これが我が母校の伝統で、例に漏れず私もキャストとして出演したのだが、当時の私はクラスメイトとの折り合いが悪く「クラス演劇に出演することはかねてからの願いだったがお前らとはやりたくない」という状態で稽古期間を過ごした。あまりにも居心地が悪く、昼休みなんかには2つ隣のクラスに遊びに行き小道具や宣伝物の作成を手伝っていたほどだ。そんな居心地の悪かったクラスでも、一年間かけて作り上げた演劇の幕が下りるとなれば涙腺が崩壊しクラス一同達成感に包まれもうこの仲間たちと乗り切る行事がないことに寂しさを覚える……ことができれば良かったのだけれど、私の中にあったのは解放感だけで、これが終わればもう本当に終わりだからと舞台上で感傷に浸った未熟な役者を傍目にセリフを練習となんら変わらず紡いでいた。結果演出助手を務めた友人に「お前が上手くやれてたか知らんけど他は残念なことになっていて面白かった」なんて言われたのだが。

私は問いたい。こんな人間が演劇サークルになど入ってしまって良かったのかと。

いや、ダメだよな〜〜〜
例えクラスメイトと仲良くやってたとしても自分は感傷に浸ることなく与えられた仕事を全うしようとしてただろうしな〜〜〜
なんで終わってもないのにあいつら勝手に感傷に浸ってたんだよ頭おかしいんじゃねえかそういうのは全部キッチリ終わってから感じろよアホか〜〜〜(社会不適合者のぼやき)

いやね、座組みのみんなも好きだし演劇も好きなんですけど、どうしても「この座組みでやる演劇が好きだ」っていう気持ちになれないんですよね。高三に関してはクラスとの折り合いが悪かったことを言い訳にできるんですけど、プリズムそういうわけじゃないはず(だよね?陰で嫌われてたりしないよね?)なのにやっぱりあくまで「作品」に対する評価が先行してしまう。極論全然知らない人と公演をしたとしても同じ感情を抱いていそうで。なんなら引退公演だから、とかこれが終わるともうプリズムで芝居ができなくて寂しいよね、とかそんな言葉口が裂けても言えない。あれ、もしかして自分サイコパスなんですかね?ニンゲンのココロむっず。あー、人付き合いが面倒臭くて適当にしてきたツケが回ってきたなこれ。

ま、いいんですよ。高校時代「クラスなんて所詮機械的に振り分けられた人間の集合体でしかなくそこに無条件で同族意識を抱くのは愚かだ」なんてイキったこと宣ってた馬鹿としてはただ同期や先輩、後輩だからという理由で抱く無根拠な愛着よりも演劇作品を作り上げる過程で築いた信頼関係の方がよほど信頼できるので。この捻くれ者に信頼されて好かれてるって結構凄いことなんですよ?そこは自信持ってくださいね(何様)。

二十一年間、名前負けして真っ直ぐ生きて来られなかった自分にはこれが精一杯。エモとかを期待してた人はごめんな。

小道具/映像/舞台
おざきまお

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