つよつよになりたい


高校一年生の時、部活で皆がやりたがらない役職につく人を1人選ぶ場面がありました。私は他にやりたい役職があったのですが(そっちをやりたい気持ちは誰にも負けない自信があった!)、誰もやりたがらないし、1人出さないと先輩を困らせちゃうし、客観的に見て私がやるのが一番妥当だよなーと(主観的に)思った私は黙って立候補し、その役職につきました。半年ぐらい。そこで心の中までスパッと割り切れたら強くて優しい子だったんですけどね。当時の私は、立候補したのは自分だと頭ではわかりつつも悲劇のヒロインぶって1人めそめそし、でもみんなの前では平気な顔で仕事をして、でも誰か1人ぐらい気づいてくれないかなと心の中では思っているという、面倒臭さを幾重にも折り重ねたような人間でした。(今この文章にも未練がたらたら溢れていて、キモい!)


良くも悪くもこの一件が教訓になり、それから折に触れ「今の私は高1の頃とは違うでしょ?」と自分に言い聞かせることで一応良い方向に選択を重ねることができるようになりました。でも行動を変えてみても内面がついてこないというか、自分の選択に自信が持てない。良い選択をできても誰に対してだかわからない申し訳なさがずっとある。プリズムに入った頃の私はそんな感じでした。


しかし最近、今の私はその頃とは一味違うぞ、変わったぞと思います。やりたいことを自信を持ってやりたいと言うのを、頑張っています。

いや、正直今も90%位は弱くて卑屈な私のままだし、自分が願望や意思を口にすることで人に迷惑をかけるのもぶつかるのも傷つくのも傷つけるのもめちゃめちゃ怖いです。たぶん今までの私はその怖さに向き合わずに済む方を選び、申し訳ないと思うことで責任から逃げていたのだと思います。(しかもそれをやさしさだと勘違いしていた!いやなやつ)

でもやっと、勇気を出してその恐怖と手をつないでやっていこう、そうしてみたら案外楽しいかもと思えるようになってきました。


この心境の変化が起こったのは、プリズムに入り好きなものを好きだと言える人、自分の言動に伴う責任から逃げない人、色々なことに飛び込んでチャレンジしている人、やるべきことを割り切って立派にこなしている人、大変な状況にあっても努力をやめない人、好きなことやりたいことへの情熱を絶やさない人そういう人たちの姿を見て、たくさん刺激をもらえたからだと思います。そんな素敵な人たちに出会えた事、一緒に活動できること、すごく幸せだなと思います。本当に感謝しています。



自分の願望を大声で言う事で望んだ結果を手に入れようという話ではありません。大切なのは、どんな結果になっても納得して進んでいけるように、その時にできることは妥協せずにやる。そのために必要な責任からは逃げない(それをせずにウジウジするのはせこい!) ということだと思います。そのためには勇気を、強さを、持たなくてはならない!ひぃ。

1の時だって私が立候補しなくても最終的に誰かを選ばなければいけない状況は変わらなかったし、その結果私がなっていた可能性も高いです。でも他の役職をやりたいという意思表示をした上で結局なっちゃいました、というシナリオだったら、前述の卑屈ループに陥った思考で半年間過ごすことは無かっただろうと思うのです。


何を今更そんなことをって思われるかなまあ自己満足です。自己満足、自己肯定感大事。

ここまで来るのに5年かかったので、この考えを定着させて実践に移すにはもう5年、下手したら一生かかりそうです。長い道のりだー。


こんなクソ長自分語りにwebの枠を使って良いのかと迷いましたが勇気を出して書いてみました。


19 片山鈴音

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