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冬というと、極寒の雪山で熱源を探して彷徨っていた時のことを思い出します。


雪が吹き荒れる山中では、数分熱源から離れて歩いただけで凍死してしまいました。下がっていく体温に悲鳴を上げながら必死に熱源を探し、なんとか熱源装置を探しあてたり、装置がなければ篝火をたいて一命をとりとめたことが何度もあります。今思い出しても、あれは過酷な道程でした。命からがら熱源を確保したあと、食糧を摂取すべきなのに、それすらできないほど疲れ果てていることはしょっちゅうでした。


そうして体力も気力も枯れ果てて、ただ目の前で燃え盛る火を見ることしかできなくなった時、炎が織りなす不可思議なダンスに魅入られました。ちらちらと形を変えながら雪を飲み込み踊り続ける炎は、目を離せなくなるほど美しく、神秘的なものに思えました。数奇者として名高いある骨董収集家が、晩年ライターの炎を見つめては綺麗だろうと言って魅入っていたという逸話がありますが、なるほどその境地に達するのも少しわかるような気がします。さながら灯に群がる蛾のように、フラフラと炎に惹かれて近づき、そのまま目を離せなくなってしまうことは、確かにありました。時として生物の命や住処を脅かす炎は、その苛烈さや恐ろしさと同時に、言葉にし難い魅力も持ち合わせているように感じます。



劇場で、舞台を彩る照明の光を見る時も、少し似た心地になります。暗闇に包まれた劇場で、灯体が放つ光は劇の支配者の一人となります。暗転の後、光が差しこんできて劇の始まりを知らせ、舞台上の何かに光が当たって、観客の視線は誘導されます。ふっと光が消えて、観客は物語に何か変化が起きたことを感じとり、極彩色や点滅する光は物語に刺激を添え、眩しいほどに強い光はその光景を鮮烈に人々の目に焼き付けます。照明はあくまで演劇の一装置であってそれ自体が主役となることはほとんどありませんが、照明に着目して舞台を見てみると、その装置としての演出力に思わず身震いする時もあります。それはなんだか不思議で、神秘的で、炎の持つ不可思議な魅力に通じるものがあると感じます。灯体の光は炎のように人の営みの片隅、劇場でひっそりと存在しながら、時には人間を飲み込むかのように存在感を放ち、人々を圧倒します。



冬、というテーマからずいぶん離れて奔放に書き連ねてしまいました。元は雪山の話をしていたはずです。ちなみにこの雪山、あるゲームをプレイすれば誰でも行ける仕様になっているので、東京の生ぬるい寒さに物足りなさを感じている方にはぜひおすすめします。熱源から数十秒離れているだけでHPが減少していき、巨大な猪に理不尽に激突されたり凍りかけた池に突き落とされたり吹雪の悪天候の中狙撃されたりする世紀末仕様です。



以上、22照明チーフでした。冬、照明というと思い浮かぶものもありますね。ぜひ劇場で、あるいは映像公開で、照明にも注目して頂けると幸いです。

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