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9月, 2024の投稿を表示しています

都合のいい頭

 はじめまして。初めての作業場日誌は、原風景についてお話しすることになりました。原風景、げんふうけい…。 げんふうけいって、なんだろう。よくわからない何かについて話すのはなかなか難しいものです。ただ、今まで考えてこなかったことについて考えるのは楽しいので、このような機会をくれた作演出さんに感謝ですね。 みんなの作業場日誌を読んでいると、原風景はその人の原点とも言える風景で、どこか懐かしさを感じるもののようです。この場合の懐かしさは、良し悪し関係なく「こういうこともあったな」という感覚なのでしょうか。 そうなると、私の原風景はどこまでも続く田んぼ道になりそうです。田んぼの畦道からは兄とどんじゃんけんをして時に田んぼに足を突っ込み泥だらけになって怒られた記憶が、一面雪の積もった真っ白な田んぼからは家族で手足をパタパタさせてスノーエンジェルをたくさん作った記憶が、田んぼの横を通るでこぼこ道からはマラソン大会でなぜかいい成績を残し、炊き出しの豚汁がものすごく美味しく感じた記憶などが蘇ってきます。蘇る記憶はいいものから悪いものまでさまざまですが、どの記憶の田んぼもなぜかきらきら光っていて、あの田んぼ道を思い出すと少し気持ちが軽くなります。私にとってあの田んぼ道はちょっとした心の支えなのかもしれません。そういえば、数年前に田んぼ道をヤギたちがお散歩するようになったみたいなので、今度会いに行こうと思います。 記憶を呼び起こしてみると、どの記憶も写真のように一枚絵として、その時抱いた感覚とともに思い出されることに気づきました。そういえば、記憶の残り方って人によって違うみたいです。あくまで私調べですが、私みたいに画像として残る人もいれば、ビデオテープのように見聞きしたものを頭の中でそのまま再生できる人、たくさんの情報を言葉として記憶する人もいて、人間ってほんとに不思議。 私は見聞きしたものを映像として記憶できるほどの脳のストレージがないのかもしれませんが、記憶が画像として残るのも悪くないなと思います。よく考えると、私にとって1番大切なところを切り取っているので、中には程よく詳細を忘れてなんかいい感じになっている記憶もありそうですね。何なら多そう。都合のいい頭です。 話がだいぶそれてきました。これ以上続けると話が180°変わってしまいそうだし、何より締め切りを過ぎているのでそろそろ失礼

購入してから1ヶ月にも満たない帽子を東シナ海の彼方に置いてきた

初めての作業場日誌を音響として、2度目はwebとして、そして3度目を小道具として書こうとしている、23代の者です。 お恥ずかしながら日誌のテーマである「原風景」という言葉の意味がやんわりとしか分かっておらず、電子辞書で調べましたら、なんと定義が二つ。横転。フギャー
 弊劇団では言葉にならない叫びを動物の鳴き声にして出す、という戯れが一部界隈で流行しているようです。連絡用のSlackにはそのためだけに作られたチャンネルさえあります。内部の者ながら横転ですね。 2回横転して姿勢が元に戻ったので、本題に入ります。
私は情緒が薄くて、内向的でありながらノリで生きているタイプでして、昔からあまり物事について深く考えることがなく、このようなエモいテーマにはそぐわない人間です。なので、一つの風景が強烈な光を放って残るみたいなことはないですね……。 ただ、幼い頃から失敗体験ばかりを記憶する悲しい性であるらしく、自分の場合それは人前に出た時が多くを占めています。
小学生の時やった劇で、頭が真っ白になりセリフを飛ばして長い沈黙を生み出した場面、クラスメイトの前で先生から沢山のダメ出しを受けてマジで消えたいと思った場面、大勢の前の自己紹介にて、これはウケると思って出した話題が全くウケず、真顔の人間だけが並んでいた場面……他にも色々ありますが、その蓄積が一つの大きな負の原風景を創り出し、また更新し続けて、自分のなかに残り続けているのでしょう。 こうして人前恐怖症のまま成長した私は、入舎から現在まで裏方を貫き続けています。もちろん、元から裏方への強い興味があり、表舞台に立つ人を支えることは心から楽しいです。ですが、裏方を貫く理由として先に述べたような「原風景」があることは否めません。 一回ぐらいお芝居と向き合って舞台に立ってみれば、その風景も少しは暖かさを孕んだものになるんですかね。はたまた更に負の方向にベクトルが伸びるだけなのか…。 とにもかくにも、私は今回も非役者ですから、引き続き同期や後輩皆と信頼関係を深め、彼らを支えるだけです。旅行先で出会った帽子とわずか1ヶ月で信頼関係が崩壊し、万物との絆の大切さを身をもって感じている今、より一層そう思います。

るんるん

はじめまして ‼️ 24衣装の人です ‼️ 公演が迫ってきて仕事がやばいですが、今日はテーマ「原風景」ということで心の奥底にあるものにゆっくり思いを馳せてみます。 私にとっての原風景は、「小学3年生の新学期、あたらしくおろした靴を履いて1人で裏路地をるんるんスキップしながら登校する風景」です。 まず新学期というのはつまり春ですね、春は暖かい。昔から冬アンチの私は春のおとずれというだけで心が躍りまくっていたワケです。 そして冬頃に買ってもらって、進級したらおろそうとずっとワクワクしていた靴をやっと履けるという喜び。瞬足的なやつだったと思うんですけど、白のきらきらをベースにうすーいピンク、みずいろ、きいろ、とかのラメラメの星がたくさんちりばめられている女児の夢みたいなやつです。 もうこの2つが揃って上機嫌でないわけがないのです。なので1人でるんるんスキップなんかしちゃっているわけです。1人で登校する時はげんきな番犬のいる家のある裏路地を歩いていたな、毎回毎回吠えられるから3年生にもなればもうなにも思わないのです。 これがどうして原風景かというと、今の自分も心躍る対象top2は季節を感じたときとすきなものを身につけているときだからです。 最近の夏の暑さには毎日キレまくっていますが、それでも朝家を出たときの空気の綺麗さと熱帯夜がだいすきです。春も、秋も。冬もアンチではありますが、冬だなーと感じるのは嫌いじゃないです。 身につけるもの、最近はtpoとか、自分のもつポテンシャルとかを気にして、本当に自分のすきなものを身につけられるときが少ない気がするけど、その分本当にすきなものを身に付けた時は、本当に本当にしあわせになります。常にそうありたいです。 なぜかこの日の記憶が鮮明にいまも頭にあります。もっと小さいときの記憶ももちろんあるけど、原風景といわれたらこの日だなあ、今の自分をいちばんあらわしているな、と思います。 ということで締切の日の0時を過ぎてしまいましたのでそろそろおわりますね!おやすみなさい😪😪😪

我が家

こんにちは制作チーフです。 いざ原風景とは?と聞かれると難しいですね。原風景をググってみると人の心の奥にある原初の風景と出ました。原初の風景......日本人なのでこう、パッと思いつくのはやっぱり田んぼとか、山の風景とかですけどよく考えると「私の原風景」ではない気がします。じゃあ何かと言われると、実家から見える景色がそれなんじゃないかな。 家から見えるのは家の前にある坂と、坂を挟んだ向かいにある古いピンクのアパート、そのアパートの横の道を近くの公園に行くために走る小学生。物心ついた時から見ていたその景色が「私の原風景」と呼ぶにふさわしいでしょう。日常すぎて特に気にしてなかったけれど、やっぱり落ち着くし、旅行から帰ったあとに見ると帰ってきた!!って感じがして好きな風景です。ピンクのアパートには小学校の同級生の祖父母が住んでいて、小さい頃の鍵を忘れて家に入れない私の喋り相手になってくれてたなとか、あの家の駐車場で騒いで怒られたなだとか思い出せることは色々あって、実家を出たら今よりももっとこの風景に対して思うことが増えるんだろうなと思います。地元愛とは不思議な物で、そこまで愛が強いわけじゃないと思っていてもドラマとか映画とかで近所の地名が出ると嬉しいし、アド街で近所が取り上げられてると見ちゃう。案外知ってる店が出ないことに驚いて、一位の店が前を通ったことはあるけど行ったことない店だとへぇ〜行ってみるかと思う。けど次の日には忘れてる。地元愛があるんだかないんだかわからないけどなんだかんだ実家を出ることなく、不満は多少あれどまあ概ね満足できる暮らしができているのはいい「地元」なのかなと思います。 いくら好きでいても風景は変わっていて、いつも通らない道を久々に通ると知らない家が建っていたり、母校の改修工事が始まっていたり。私の原風景だって、実はもうピンクのアパートは老朽化で取り壊された。公園になることが決まったそこは更地になっていて跡形もない。それでもやっぱり思い出に残っているのはその建物があった頃で、ふともうその景色が見れないことに寂しさを感じます。寂しいと思いつつ公園が楽しみな自分もいて、人間って薄情かも。 というか私のスマホ、位置情報のバグでアパートを私の住所だと勘違いしてるけど、公園になった後もこのままなのかなぁ。

「好き」のスタート地点

  みなさんこんにちは、23webチーフです。 劇工舎プリズム第83回公演まで1ヶ月を切りました。 毎回恒例の作業場日誌、今回のテーマは「原風景」です。 原風景、と言われてぱっと思いついたのは、父方の祖父の部屋でした。 スピーカーとアップライトピアノ、レコードやCDとこたつが置いてある、秘密基地のような部屋。 若い頃から音楽好きで、社会人ビッグバンドでギターを弾いていた祖父は、自分の好きな音楽に浸るためにそんな部屋を作ったそうです。 当時2歳か3歳くらいだった私は、度々祖父とこたつに入って、お菓子を食べながら一緒に音楽を聴いていました。 あとは祖父が入っていたバンドのコンサートを見に行ったり、DVDを見たり。 当時は音楽のことなど何も分かっていなかったのですが、祖父の教育(?)の賜物なのか、音楽好き、特に身近にあったジャズやビッグバンドに関しては、「詳しいこと分かんないけどなんか音が好き!楽しい!」という感じの人間に成長しました。 そして大学生になって、サークルでビッグバンドを始めました。 祖父のことをよく知る親戚にその話をすると、ほぼ必ず「おじいちゃんの影響だね~」と言われます。 演劇についても、幼い頃の自分と繋がっていると感じる部分が多々あります。 私が通っていた幼稚園では、事ある毎にクラスで歌やダンス、劇を発表する機会がありました。 そして年長クラスでは、クリスマス会で各クラスで1本の劇を披露するという風習がありました。 全員が役者として出演し、数は少ないものの全員にセリフがあり、必要があれば幕の上げ下げや大道具の移動も園児が行う。 練習は結構厳しくてたくさん怒られたし、当時の自分の演技なんて見れたものではありませんが、笑顔で拍手をしてくれる観客席を見て、嬉しかったことはなんとなく覚えています。 今でも全てが終わって客席を見たらなんとなく安心するし、拍手が聞こえたら幸せな気持ちになります。 あの達成感が好きで、今も舞台に関わることをしているのかもしれない。 祖父は私が中学生のときに亡くなってしまったので、私が高校でも大学でも演劇をやっていることも、大学でビッグバンドを始めたことも知りません。 もう5年も会ってないけれど、もしも今会ってそのことを話しても、意外だとは思われず、「やっぱりな」と笑われるような気がしています。 今私がやっていることは全て、幼い日に見た