都合のいい頭

 はじめまして。初めての作業場日誌は、原風景についてお話しすることになりました。原風景、げんふうけい…。


げんふうけいって、なんだろう。よくわからない何かについて話すのはなかなか難しいものです。ただ、今まで考えてこなかったことについて考えるのは楽しいので、このような機会をくれた作演出さんに感謝ですね。


みんなの作業場日誌を読んでいると、原風景はその人の原点とも言える風景で、どこか懐かしさを感じるもののようです。この場合の懐かしさは、良し悪し関係なく「こういうこともあったな」という感覚なのでしょうか。


そうなると、私の原風景はどこまでも続く田んぼ道になりそうです。田んぼの畦道からは兄とどんじゃんけんをして時に田んぼに足を突っ込み泥だらけになって怒られた記憶が、一面雪の積もった真っ白な田んぼからは家族で手足をパタパタさせてスノーエンジェルをたくさん作った記憶が、田んぼの横を通るでこぼこ道からはマラソン大会でなぜかいい成績を残し、炊き出しの豚汁がものすごく美味しく感じた記憶などが蘇ってきます。蘇る記憶はいいものから悪いものまでさまざまですが、どの記憶の田んぼもなぜかきらきら光っていて、あの田んぼ道を思い出すと少し気持ちが軽くなります。私にとってあの田んぼ道はちょっとした心の支えなのかもしれません。そういえば、数年前に田んぼ道をヤギたちがお散歩するようになったみたいなので、今度会いに行こうと思います。


記憶を呼び起こしてみると、どの記憶も写真のように一枚絵として、その時抱いた感覚とともに思い出されることに気づきました。そういえば、記憶の残り方って人によって違うみたいです。あくまで私調べですが、私みたいに画像として残る人もいれば、ビデオテープのように見聞きしたものを頭の中でそのまま再生できる人、たくさんの情報を言葉として記憶する人もいて、人間ってほんとに不思議。


私は見聞きしたものを映像として記憶できるほどの脳のストレージがないのかもしれませんが、記憶が画像として残るのも悪くないなと思います。よく考えると、私にとって1番大切なところを切り取っているので、中には程よく詳細を忘れてなんかいい感じになっている記憶もありそうですね。何なら多そう。都合のいい頭です。


話がだいぶそれてきました。これ以上続けると話が180°変わってしまいそうだし、何より締め切りを過ぎているのでそろそろ失礼します。思いつき日誌にお付き合いいただきありがとうございました。以上、宣伝美術セクション員でした。

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