題名の考案が大の苦手です。

 22小道具です。

今まで何度か書いてきた稽古場日誌ですが、どうにも未だに何を書くのが正解なのかわからずにいます。今回のテーマは「語ること」だそうですね。


「語る」という言葉は相手を意識した言葉であるような気がします。自分がいて、相手がいて、その相手に何かを伝えること、といったイメージです。これは私の解釈ですから間違っている可能性もあるかと思います。叩かないで!


私は外の世界に出力するまで自分のアイデアがまとまらないタイプで、よく紙に書いたりスマートフォンやタブレットに打ち込んだりして整理しています。

アイデアの出力はひとりでも飽きるまで行えるのですが、自分のアイデンティティについての思考や自己の反省となるとなかなかうまく行きません。自分自身が自分について価値のあるものと認識できていないからか、どうにも馬鹿馬鹿しく感じてしまうのです。

ここで登場するのが「語り」ですね。どうにも価値が感じられない私の話でも誰かにきいてもらいながらなら出力する価値のあるもののように思えるのです。

幸いなことに私は日常の中で「語る」機会を多く与えられています。とても有り難いことです。

聞き手として存在してくれる相手を得たおかげで私はなんとか自己理解を深めることができています。自己理解などあってもなくても良さそうなものですが、日頃何かにつけて熟考しているふりをするのが好きな私にはもってこいのお楽しみなのです。

また、相手に「語ってもらう」ことによって自分には見えていなかった別の世界を見ることや、自分では思いつかない全く違った視点を得ることも可能です。これもまた、新たな面からの自己理解に繋がったり。

相手の「語り」をきいて、相手のことを理解したような気持ちになることもありますね。私が相手の世界を理解していることなどあり得ないのですが、それはそれとして理解したような気持ちになれるのはなんだか嬉しいのです。 

ときには「語り」「語られる」ことによって共通点のようなものが見えてくる瞬間も存在します。もちろんすれ違いにすれ違いを重ねた結果の勘違いだったりもするのですが、別々の人生を歩んだ相手の片鱗に自分のもつそれと同じようなものを見つけるとちょっとした驚喜を感じることができます。

当然「語り」によって発見される事物は楽しいものや面白いものでない場合も多々あるのですが、それでもやはり私は「語り」が好きです。


私からこれを読んだ皆様方に「語り」や自己理解、他己理解のおすすめなどはいたしません。


『氷星かく語りき』、開演まであと2週間強となりました。

これで私の作業場日誌は締めといたします。

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