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ラブレターの意図

14人目ともなるともう書くことがないので、 私だけがおしゃべりできることを書こうと思います。 それは「なんで『ラブレター』にしたのか?」ということ。 いつか答えた通り、読みたかったから。 それに、23代の良さがちゃんと伝わるテーマだと思ったからです。 愛情深い。矢印が私に向くものであってもそうじゃなくても、この人たちは人に愛されてきて、愛する力が備わっているのだと感じます。それが、成熟していると見える一因なのでしょう。愛しいね。 私は、いろんな汚い感情を忘れたふりをして過度に笑ってしまう生き物でした。 傷ついたときこそ傷つけないように、苦しいときこそ大丈夫なように、自分の頭の中で「頑張れ」って鳴る声はいつも乾いていて、最近ではそれさえ聞こえないままに笑っていたりする。 あの声が聞こえなくなったから、私が現実世界で発する声は一層大きくなって、うるさい人間で、それでいいんだけど。 でも、怖いな。自分の考える自分と、側から見える私の像がかけ離れていたりしたら。 安心したい。 シャッターを切るように、この瞬間の存在を、それまで見てきた世界を焼き付けるように、絵を描く、言葉を書く。そのなかなら、嘘も誤魔化しも成立しないから。書いているあいだ、ひとりになる。いちばん深く、息ができる。クロールが苦手だった、息継ぎをしようとすると沈んでしまう。きっと、そんな器用には生きられない。 人生で初めて脚本を描いた新人公演。あの季節に誤魔化せないものを受け止めて関係を築いてくれた同期13人がいるから、私はまだここに存在しているのだと思います。言葉に取り憑かれた私が、「好き」と言われなくても「最高のスタッフワークをしてくれることが作品への愛なんだ」って、信じられるようになった。それは間違いなく、同期13人のおかげです。 ラブの話はしたから手紙について。 お手紙文化が隆盛を極めたということはないけれど、言葉を選んでくれるのはみんなのいちばん好きなところ。どういう表現を使えば相手に届くか、傷つけずにちゃんと伝わるか、考えて話してくれる。日常会話のなかでも、業務連絡でも、そのフィルタリングを怠らない。これは集団芸術をやる上でとても幸せなことでした。なんてことないやり取りさえ親友からの手紙を読んでいるような安心感があって、忘れられない言葉だって何度も貰いました。 私は言葉の力をすごく信じているし、そう...

プリズムと僕

23代のキティです。 学科での生活はやたらカロリーを消費してお腹が空くので、最近はなるべく昼食をとるようにしています。褒めてください。僕の叔父はかなり恰幅のいい体型をしているのですが、かつては僕みたいに線の細い青年だったそうです。僕が叔父と同じ道を辿ったらもっと褒めて下さいね。(心配が勝つかもね) 今回のテーマは「ラブレター」。引退公演の作業場日誌テーマに「ラブレター」を持ってくるとは考えたな…と思わず感心します。(恋文という意味での)ラブレターは貰ったことも、将来誰かに贈ることもおそらくないです。今まで書いてきた「ひとり」「後ろめたさ」「旅」「ふたり」に比べてあまりに馴染みのない単語なので、単語をこねこねろくろを回すのも難しい。やはりここは何らかの「ラブ」を文章にしたためるべきかしら…。流石にその辺をはぐらかすのは僕自身も本意ではないですし、はぐらかし癖は文章を書くうえで言われてきましたからね。(指摘してくれてありがとう。) とりあえずプリズムについて書こう!と思いましたが、書き始めるまでにめちゃくちゃ悩んでます。プリズムでの2年間に真剣に向き合い、想いを言語化する。何と脳と心に負担のかかる営みだろうか。ラブレターを書くのも同じくらい大変なんだろうな…。 書いては消しを繰り返しているうちに頭がショートしたのでとりあえず文章を書いていきます。運良くラブレターになってくれると良いですが…。 僕はプリズムを引退したら所属するコミュニティが無くなります。兼サーはしていないですし、新しく入りたいサークルも今の所ありません。バイトも単発を選り好みしているし、学科は人が多くて連帯感みたいなものがありません。無所属。俯瞰して見ると、僕はある種の自由を手に入れて、同時にある種の孤独に取り残されるということです。状況だけ見るとプリズムに入る前の状態に戻るわけですが、以前の僕と今の僕では何か変わったのでしょうか。(この問いは「氷星かく語りき」で共演した同期にも聞いてみたい所ですが、)僕は確かに変わったと思います。もちろん良い方向に。 わかりやすい所で言うと演劇に関わる諸々のスキル(演技力・各種ソフトの扱い)や、組織の一員として振る舞うための社会性やコミュニケーション能力が伸びました。(ガクチカを聞かれた就活生みたいだ。)この辺は「ギターサークルに入ったらギターを弾けるようになった」と言...

口下手さとIf I were

ちょっと久しぶりに書きます。23どめです。 今回も素敵なテーマをいただいておりますね!ラブレター。うむ。 私は、メッセージカードとか、手紙とか、寄せ書きとか意気込みとかスピーチとか、そういう自分の想いを誰かに伝えるもの(広くとらえればラブレター!)を出力するのが、なんとなく下手です。文章力に自信がない、というのとはまた違うんですよね・・・こう、私やほかのだれかに向けられた周りの人たちの言葉を読むと、愛の深さ、想いの強さを感じてぐっとくることがとても多いのですが、なんだか自分の言葉はすわりが悪くて、本当の気持ちじゃないみたいな、上滑りして聞こえるような、そんないたたまれない感覚になってしまいます。体裁だけは整っているけれど、うーんと思ってしまう。自分の想い自体は熱いものもあるはずなのに、言葉に熱をこめきれないのはなぜなのでしょうか・・・。 Twitterer(トゥイララー)なので言葉を紡ぐこと自体は好きですし、口下手というほどでもなく、単なる感情表現はむしろ得意なほうのはずなのですが、誰かに手向ける言葉になったとたん、友人も、先輩も、恋人ですらうまくいかない。プレゼント選びとかも自信ないので、誰かに何かを贈るということ自体向いていないのかもしれないです。それなのに、たくさんの人が私に愛を込めた言葉や贈り物をくれます。彼らのくれたものは全部素晴らしく完璧に思えるのに、自分からは大したものを返してあげられないなぁと勝手に罪悪感を覚えちゃったりして。そうさ100%テイカー。 そんな私でも、愛にあふれているとかまっすぐだとかという評価をいただけるらしいです。ある意味まっすぐすぎてきれいに飾った言葉を使えないということなら、それもそれで自分の持ち味と呼べるのかもしれません・・・なんて、簡単に悩むのをやめようとしてしまうあたり、やっぱり人のくれる誉め言葉にありがたく乗っかって生きているようです。ちょろい。 ラブレター。普通に黒歴史の部類ですが、高校のとき心底執着していた先生がいて(世界はそれを恋と呼ぶんだぜ)、ご異動されるときに想いをつづったみちみちの便せん2枚を山盛りのプレゼントとともに贈りました。重い。デジタルで下書きしたので今でもGoogle Driveで閲覧可能なのですが💀 、読み返してみると、恥ずかしさと同時になぜか誇らしさが芽生えてくるんです。あの時の私ってこんなに...

ある手帳

──────────  男は机上に放り出してある一冊の手帳を手にとつた。茶色い表紙に短い英字の刻まれた、掌に収まる大きさの手帳である。何故これがここにあるのか、男には判らなかつた。自らこのやうな手帳を買つた記憶もない。手帳と云ふのは凡そ個人的なもので、中身を覗くのは一寸抵抗が無い訳でもないが、周囲に誰もゐない今なら覗いたとて問題なからう。好奇心に駆られてぱらぱらと頁を繰つてみると、  「 …… 優那 又の名をつくつくほし …… 僕は 25 歳 老化を感じている …… 愉快な舞台屋を紹介するぜ! …… 崇人 神小道具に神シケプリ …… 柊稀 別名ヒイラギ時々羽田! …… さかぐちみれいさん くまがいみおさん こうのひかりさん …… 」  何やら訳の判らぬ事が書いてあるのみかと落胆するが、それでも読み続けると、ふと、途中から筆跡の異なつてゐる事に気が付いた。それはある人の日記のやうで、丁寧に日付とその日あつたであらう出来事が書いてある。成程これは面白いと、男の目は手帳に綴られた稍荒い字を追つていく。 ──────────   4 月 5 日  今日は夏公の作演会議。司会は後輩舞監がやっていた。驚くべきことに、僕ではない。僕が舞監をやっていた時代はとうの昔に終わってしまった。彼女、上手くできなかったなぁ、とか、 3 日に 1 回くらいは思ったりしてるんだろうか。彼女が僕に向けて発する言葉の頻度は、すみません、ありがとうございます、が一番多い気がする。気のせいかな。去年の今頃の僕はどんなだったっけ。まあ、人に頼ることと自立していることは両立し得ると思うんです。困ったらどうぞ僕を頼って下さい。 …… いつか、君が舞監でよかったって、言ってもらえるといいね。   4 月 14 日  今日は先代舞監にご飯に連れて行ってもらった。僕が去年の夏公で先輩に送った言葉は今でも先輩の中にちゃんと残っているらしく、それが結構嬉しかったりした。あなたはもう覚えてないでしょうけど、新公の仕込み図を見せた時に「仕込み楽しみだな」って言ってくれたこととか、新公の感想フォームで舞台の欄に「ただただ、よく頑張ったね」って書いてくれたこととか、夏公バラシ後に Slack で「何度でも言う、らしを舞監にしたのは大正解だった」って言ってくれたこととか、...

手紙とは

みなさん、おはようございます、こんにちは、こんばんは。元小道具チーフです。 今回はテーマが「ラブレター」とのことですが、あいにく私は恋愛に関するラブレターを書いたことも貰ったこともないため、私自身が直近で書いた手紙についての話をしようと思います。導入がへたっぴ。 ⚠︎そこまで重い話ではありません、たぶん。 私が一番最近に書いた手紙は先月亡くなった祖父に宛てたものです。 ーーーここからは長い前置きなので読み飛ばしても大丈夫ですーーー 祖父は3月に倒れてから、落ち着いたらお見舞いに行こうねなんて話しているうちに容体が悪化しました。 そのため、ちょうど1ヶ月程前にまだ意識があるうちに、とお見舞いに行きました。そこでの祖父は、2本の点滴と酸素マスクに繋がれ、瞳孔は開いていました。その様子を見た私は泣いて、さらに握った手は私よりも強く握り返してきたのでまた泣きました。 そんなことがあってから数日後、祖父は亡くなりました。亡くなったと連絡が来た時は外にいたのもあり涙は出ませんでした。そしてあっという間に火葬の日程が決まりました。 家に帰ると母から祖父宛に手紙を書こうと言われました。私はあまり乗り気ではありませんでした。空にいるなら念じれば想いは届くと思っていたし、ちゃんとした手紙なんて小学生以来書いていなかったからです。 その2日後、私は入浴中にふと祖父との今までのことを思い出し、もうこの記憶が新しくなることはないことを実感し、泣きました。(ただ、お風呂での涙は涙にカウントされないというのを見たので泣いていない換算) そしてお風呂から上がった後、勢いで母から渡されていたレターセットを使い手紙を書き始めました。思い浮かんだ今までの出来事や気持ちをただ書き連ねていって、書き終わると便箋5枚くらいになりました。 そうして火葬当日になりました。棺に手紙を入れる時には「みんな何書いたんだろう」とか「文に香りをしたためるみたいに香水でもつければよかったなあ、五感の中で嗅覚の記憶が最後に残るらしいし」などと考えていました。そのうち、手紙は祖父と一緒に火葬されました。 ーーーここまでが前置きですーーー 燃やされた手紙は煙になった訳ですが、煙はせいぜい屋根の少し上までしか届きません。ですが、煙のその先水蒸気であれば雲に届くのではないでしょうか。そして、祖父は気体になった手紙を読んでくれたと信じて...

日常

こんにちは23の制作・webヒラです。夏が近づいてきた!と思ってセブンでフローズンマンゴーを買ったのに、それを食べるほど暑くならないのでマンゴーには冷凍庫で待機してもらう日々が続いています。 今回のテーマはラブレター。ラブレターと縁遠い人生すぎて本当に書くことがないですね。テーマ検討段階ではテーマは絶許にしようと思うみたいな話を聞いていたので、自分の絶対許せないことを考えていましたが無駄でした! もう現代社会ではわざわざ手紙を書く機会も減り、所謂ラブレターなんてほとんどの人が書いたことないのではないかと思います。私も書いたことないし。それでも日常の中で人からの愛というと大袈裟だけど優しさみたいなものを感じる瞬間はあって、ラブを伝えているという点でそれが一種のラブレターと言えるんじゃないでしょうか。 例えば一緒にご飯を食べにお店に入った時、私が選んだメニューを見てそれ好きそうだなと思ってたとか言われると、あ私の好きなもの覚えててくれてるんだなって嬉しいし、私の好きなもの覚えてくれるくらいには私のこと好きじゃん!って思います。 他にもこの前道歩いてるときにこんなの見つけたよ〜好きそうと思って!とか言われるのも嬉しいですね。書いてて気づいたけど人に好きなもの覚えててもらったり、一緒にいないときに思い出してもらえるのが好きなのかも。 それでいうと、一緒にいないときに思い出してもらえたんだって一番思えるのは個人宛のお土産ですね。義務で何人にまとめて配るやつじゃなくて。私のこと考えてお土産選んでくれてたんだなと思うし、そもそも楽しい旅先でわざわざ思い出してもらえる存在になれてるのって良すぎる。 日常会話の中にも相手を思いやる気持ちは存在してて、捉え方や相手によってはそれが愛になるのかなと思います。自分も頑張って思いやりを持って生きていきたいですね。私は自分の気持ちを表現するのはあまり得意じゃなく、一歩引いた冷笑的なスタンスを取ってしまうことも多いけど周りに少しでもラブが伝わっていたらいいな。 ちなみに私が絶対許せないことは、ラッシュ時の駅の改札の前でいきなり立ち止まる・トイレットペーパーのちょい残しです。

みなさんへ

好きな子にハガキを出したら、貰うだけでは申し訳ないからお返事を書きましょうか?と言われてその場で一気に気持ちがしぼみ、そんなら要らない!と突っぱねたことがあります。貰えるもん貰っときゃよかったかしら。でももし当時に戻ったとしても、やっぱり要らない!って言う気がします。おてがみってそういうことじゃないから。 私の平成女児だった時分はおてがみ文化が隆盛を極めたものでした。当時ご学友から貰ったおてがみはみんな宝物箱にしまってあって、読み返す度すごくうれしい気持ちになります。文章量は三行くらいしかないのですが、「だいすきだよ。」「あそんでくれてありがとう。」「またあそぼうね。」って、一番うれしいことが一番伝わるように書いてあるのが素敵。おてがみにとって大切なのは受け取った相手に気持ちが伝わるかどうかですから、10年も「だいすき」の伝達に成功しているこのおてがみたちはかなりの秀才と言えます。 秀才は言葉以外でもコツコツ愛を伝えてくれます。かわいい封筒を使ったり、折り方を工夫したり、レートの高いシャカシャカシールや大事にしていただろう鉛筆キャップを「かわいいやつあげるね。」って同封したり。そのひとつひとつできゅんとさせてくれる、素晴らしきおてがみたちを私は愛しています。 『樹に触れる』では、私は宣伝美術と衣装小道具に携わっています。求められるままにそれらしいものを用意すればいいや、じゃなくて、この熱が正しく伝わるように趣向を凝らしたい。10年、それ以上にあなたの心に残る劇にしたい。 私たちの作るものが温かさの伝達に成功しますように。劇場を出たとき、1000年前に貰ったおてがみのことを思い出してくださいますように。今、駒場の小さい箱庭に言葉や光や音を詰め込んでいます。 プリ続けてよかった人より