体験より

昨春、とある活動者にファンレターを送りました。私にとっては正真正銘ラブレターのつもりで送りました。その経験によって分かったのは、「ラブレターを書くのはすごく大変である」という事です。

まず、店頭で便箋や飾りのステッカーを選んだり、少しでも不快にさせず度を超えないながらに想いを伝えられるよう内容を熟考したり、一文字ひともじ丁寧に綴ったり、手紙を書くこと自体の大変さがあります。

加えて、その前後にある葛藤にこの上なく気力がいると思うのです。ラブレターに限らず手紙を送る時は相手の事を考えます。もっと言うと、手紙を受け取った時の相手について考えます。
忙しいだろうに迷惑じゃないかな。重くないかな。当たり障りのない文章で面白くないだろうな。なんて思われるかな。ちょっと億劫になってきたな。やっぱり手紙出すのやめようかな。
相手を思っての迷いや、そう見せかけた自己保身的な躊躇いがぽんぽん浮かびます。

それでも、何よりこの想いを相手に届けたい、と様々な逡巡を振り切って相手に送るという行動こそラブレターの本質というか、そこに大きなラブが詰まっているのではないかなと思います。

話題はうってかわって、演劇の感想って書くのが面倒くさいんです。実に多くの様々な要素が絡まり合って成り立っているし、ときに頭にぼんやり思い浮かんでいる事を言語化しなくてはならないから。
だけど、そんな面倒くささをものともせず感想を送ってくれることは、ラブレターを送ってくれることと同じだと私は思います。

そう考えると、私は劇工舎プリズムにいる間、たくさんのラブレターを貰ってきたのだと思います。
劇を観に来てくださった人からいただいた感想をフォームの回答欄から眺めた時。プリズムにいる/いた人たちから通しの後にフィードバックを受けた時。そして、同期のみんなから温かくて真剣な言葉を直接聞いた時。
本当に目一杯のラブを受け取ってきました。幸せ者です。

また、自分へのラブに喜ぶのは当然なのですが、面白いことに演劇を作っていると他の人に向けられたラブを見ても嬉しくなるんですよ。
周りの役者がラブレターを貰っていると、そうでしょうと激しく首を縦に振りたくなります。音響の操作に言及されているともう鼻高々です。
他にも、毎度新鮮に驚かされる舞台、天才的な照明、練りに練られた映像、センスが光る宣伝美術、おしゃれで独創的な衣装、リアルが追求された小道具、品のあるWeb、明るくて頼もしい制作、綺麗な世界を共有してくれる脚本、最高の演出。
プリズムで作られる演劇ではすべての事物が影響しあいみんなが関わり合っていたからこそ、すべてを自分事のように喜べたのだと思います。私にとってプリズムは、一人でいるよりずっと多くのラブを感じられる素敵な場所でした。

ラブレターからラブの話へ、少し話がごちゃっとしてしまいました。
引退まであと少し。今までたくさんラブを受け取った分、みんなにいっぱいのラブレターを届けられたら良いなと思います。 

コメント

このブログの人気の投稿

先輩へ、同期へ、後輩へ。

けど時代はLED

「好き」のスタート地点