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ラブレターの意図

14人目ともなるともう書くことがないので、 私だけがおしゃべりできることを書こうと思います。 それは「なんで『ラブレター』にしたのか?」ということ。 いつか答えた通り、読みたかったから。 それに、23代の良さがちゃんと伝わるテーマだと思ったからです。 愛情深い。矢印が私に向くものであってもそうじゃなくても、この人たちは人に愛されてきて、愛する力が備わっているのだと感じます。それが、成熟していると見える一因なのでしょう。愛しいね。 私は、いろんな汚い感情を忘れたふりをして過度に笑ってしまう生き物でした。 傷ついたときこそ傷つけないように、苦しいときこそ大丈夫なように、自分の頭の中で「頑張れ」って鳴る声はいつも乾いていて、最近ではそれさえ聞こえないままに笑っていたりする。 あの声が聞こえなくなったから、私が現実世界で発する声は一層大きくなって、うるさい人間で、それでいいんだけど。 でも、怖いな。自分の考える自分と、側から見える私の像がかけ離れていたりしたら。 安心したい。 シャッターを切るように、この瞬間の存在を、それまで見てきた世界を焼き付けるように、絵を描く、言葉を書く。そのなかなら、嘘も誤魔化しも成立しないから。書いているあいだ、ひとりになる。いちばん深く、息ができる。クロールが苦手だった、息継ぎをしようとすると沈んでしまう。きっと、そんな器用には生きられない。 人生で初めて脚本を描いた新人公演。あの季節に誤魔化せないものを受け止めて関係を築いてくれた同期13人がいるから、私はまだここに存在しているのだと思います。言葉に取り憑かれた私が、「好き」と言われなくても「最高のスタッフワークをしてくれることが作品への愛なんだ」って、信じられるようになった。それは間違いなく、同期13人のおかげです。 ラブの話はしたから手紙について。 お手紙文化が隆盛を極めたということはないけれど、言葉を選んでくれるのはみんなのいちばん好きなところ。どういう表現を使えば相手に届くか、傷つけずにちゃんと伝わるか、考えて話してくれる。日常会話のなかでも、業務連絡でも、そのフィルタリングを怠らない。これは集団芸術をやる上でとても幸せなことでした。なんてことないやり取りさえ親友からの手紙を読んでいるような安心感があって、忘れられない言葉だって何度も貰いました。 私は言葉の力をすごく信じているし、そう...

プリズムと僕

23代のキティです。 学科での生活はやたらカロリーを消費してお腹が空くので、最近はなるべく昼食をとるようにしています。褒めてください。僕の叔父はかなり恰幅のいい体型をしているのですが、かつては僕みたいに線の細い青年だったそうです。僕が叔父と同じ道を辿ったらもっと褒めて下さいね。(心配が勝つかもね) 今回のテーマは「ラブレター」。引退公演の作業場日誌テーマに「ラブレター」を持ってくるとは考えたな…と思わず感心します。(恋文という意味での)ラブレターは貰ったことも、将来誰かに贈ることもおそらくないです。今まで書いてきた「ひとり」「後ろめたさ」「旅」「ふたり」に比べてあまりに馴染みのない単語なので、単語をこねこねろくろを回すのも難しい。やはりここは何らかの「ラブ」を文章にしたためるべきかしら…。流石にその辺をはぐらかすのは僕自身も本意ではないですし、はぐらかし癖は文章を書くうえで言われてきましたからね。(指摘してくれてありがとう。) とりあえずプリズムについて書こう!と思いましたが、書き始めるまでにめちゃくちゃ悩んでます。プリズムでの2年間に真剣に向き合い、想いを言語化する。何と脳と心に負担のかかる営みだろうか。ラブレターを書くのも同じくらい大変なんだろうな…。 書いては消しを繰り返しているうちに頭がショートしたのでとりあえず文章を書いていきます。運良くラブレターになってくれると良いですが…。 僕はプリズムを引退したら所属するコミュニティが無くなります。兼サーはしていないですし、新しく入りたいサークルも今の所ありません。バイトも単発を選り好みしているし、学科は人が多くて連帯感みたいなものがありません。無所属。俯瞰して見ると、僕はある種の自由を手に入れて、同時にある種の孤独に取り残されるということです。状況だけ見るとプリズムに入る前の状態に戻るわけですが、以前の僕と今の僕では何か変わったのでしょうか。(この問いは「氷星かく語りき」で共演した同期にも聞いてみたい所ですが、)僕は確かに変わったと思います。もちろん良い方向に。 わかりやすい所で言うと演劇に関わる諸々のスキル(演技力・各種ソフトの扱い)や、組織の一員として振る舞うための社会性やコミュニケーション能力が伸びました。(ガクチカを聞かれた就活生みたいだ。)この辺は「ギターサークルに入ったらギターを弾けるようになった」と言...

口下手さとIf I were

ちょっと久しぶりに書きます。23どめです。 今回も素敵なテーマをいただいておりますね!ラブレター。うむ。 私は、メッセージカードとか、手紙とか、寄せ書きとか意気込みとかスピーチとか、そういう自分の想いを誰かに伝えるもの(広くとらえればラブレター!)を出力するのが、なんとなく下手です。文章力に自信がない、というのとはまた違うんですよね・・・こう、私やほかのだれかに向けられた周りの人たちの言葉を読むと、愛の深さ、想いの強さを感じてぐっとくることがとても多いのですが、なんだか自分の言葉はすわりが悪くて、本当の気持ちじゃないみたいな、上滑りして聞こえるような、そんないたたまれない感覚になってしまいます。体裁だけは整っているけれど、うーんと思ってしまう。自分の想い自体は熱いものもあるはずなのに、言葉に熱をこめきれないのはなぜなのでしょうか・・・。 Twitterer(トゥイララー)なので言葉を紡ぐこと自体は好きですし、口下手というほどでもなく、単なる感情表現はむしろ得意なほうのはずなのですが、誰かに手向ける言葉になったとたん、友人も、先輩も、恋人ですらうまくいかない。プレゼント選びとかも自信ないので、誰かに何かを贈るということ自体向いていないのかもしれないです。それなのに、たくさんの人が私に愛を込めた言葉や贈り物をくれます。彼らのくれたものは全部素晴らしく完璧に思えるのに、自分からは大したものを返してあげられないなぁと勝手に罪悪感を覚えちゃったりして。そうさ100%テイカー。 そんな私でも、愛にあふれているとかまっすぐだとかという評価をいただけるらしいです。ある意味まっすぐすぎてきれいに飾った言葉を使えないということなら、それもそれで自分の持ち味と呼べるのかもしれません・・・なんて、簡単に悩むのをやめようとしてしまうあたり、やっぱり人のくれる誉め言葉にありがたく乗っかって生きているようです。ちょろい。 ラブレター。普通に黒歴史の部類ですが、高校のとき心底執着していた先生がいて(世界はそれを恋と呼ぶんだぜ)、ご異動されるときに想いをつづったみちみちの便せん2枚を山盛りのプレゼントとともに贈りました。重い。デジタルで下書きしたので今でもGoogle Driveで閲覧可能なのですが💀 、読み返してみると、恥ずかしさと同時になぜか誇らしさが芽生えてくるんです。あの時の私ってこんなに...

ある手帳

──────────  男は机上に放り出してある一冊の手帳を手にとつた。茶色い表紙に短い英字の刻まれた、掌に収まる大きさの手帳である。何故これがここにあるのか、男には判らなかつた。自らこのやうな手帳を買つた記憶もない。手帳と云ふのは凡そ個人的なもので、中身を覗くのは一寸抵抗が無い訳でもないが、周囲に誰もゐない今なら覗いたとて問題なからう。好奇心に駆られてぱらぱらと頁を繰つてみると、  「 …… 優那 又の名をつくつくほし …… 僕は 25 歳 老化を感じている …… 愉快な舞台屋を紹介するぜ! …… 崇人 神小道具に神シケプリ …… 柊稀 別名ヒイラギ時々羽田! …… さかぐちみれいさん くまがいみおさん こうのひかりさん …… 」  何やら訳の判らぬ事が書いてあるのみかと落胆するが、それでも読み続けると、ふと、途中から筆跡の異なつてゐる事に気が付いた。それはある人の日記のやうで、丁寧に日付とその日あつたであらう出来事が書いてある。成程これは面白いと、男の目は手帳に綴られた稍荒い字を追つていく。 ──────────   4 月 5 日  今日は夏公の作演会議。司会は後輩舞監がやっていた。驚くべきことに、僕ではない。僕が舞監をやっていた時代はとうの昔に終わってしまった。彼女、上手くできなかったなぁ、とか、 3 日に 1 回くらいは思ったりしてるんだろうか。彼女が僕に向けて発する言葉の頻度は、すみません、ありがとうございます、が一番多い気がする。気のせいかな。去年の今頃の僕はどんなだったっけ。まあ、人に頼ることと自立していることは両立し得ると思うんです。困ったらどうぞ僕を頼って下さい。 …… いつか、君が舞監でよかったって、言ってもらえるといいね。   4 月 14 日  今日は先代舞監にご飯に連れて行ってもらった。僕が去年の夏公で先輩に送った言葉は今でも先輩の中にちゃんと残っているらしく、それが結構嬉しかったりした。あなたはもう覚えてないでしょうけど、新公の仕込み図を見せた時に「仕込み楽しみだな」って言ってくれたこととか、新公の感想フォームで舞台の欄に「ただただ、よく頑張ったね」って書いてくれたこととか、夏公バラシ後に Slack で「何度でも言う、らしを舞監にしたのは大正解だった」って言ってくれたこととか、...

手紙とは

みなさん、おはようございます、こんにちは、こんばんは。元小道具チーフです。 今回はテーマが「ラブレター」とのことですが、あいにく私は恋愛に関するラブレターを書いたことも貰ったこともないため、私自身が直近で書いた手紙についての話をしようと思います。導入がへたっぴ。 ⚠︎そこまで重い話ではありません、たぶん。 私が一番最近に書いた手紙は先月亡くなった祖父に宛てたものです。 ーーーここからは長い前置きなので読み飛ばしても大丈夫ですーーー 祖父は3月に倒れてから、落ち着いたらお見舞いに行こうねなんて話しているうちに容体が悪化しました。 そのため、ちょうど1ヶ月程前にまだ意識があるうちに、とお見舞いに行きました。そこでの祖父は、2本の点滴と酸素マスクに繋がれ、瞳孔は開いていました。その様子を見た私は泣いて、さらに握った手は私よりも強く握り返してきたのでまた泣きました。 そんなことがあってから数日後、祖父は亡くなりました。亡くなったと連絡が来た時は外にいたのもあり涙は出ませんでした。そしてあっという間に火葬の日程が決まりました。 家に帰ると母から祖父宛に手紙を書こうと言われました。私はあまり乗り気ではありませんでした。空にいるなら念じれば想いは届くと思っていたし、ちゃんとした手紙なんて小学生以来書いていなかったからです。 その2日後、私は入浴中にふと祖父との今までのことを思い出し、もうこの記憶が新しくなることはないことを実感し、泣きました。(ただ、お風呂での涙は涙にカウントされないというのを見たので泣いていない換算) そしてお風呂から上がった後、勢いで母から渡されていたレターセットを使い手紙を書き始めました。思い浮かんだ今までの出来事や気持ちをただ書き連ねていって、書き終わると便箋5枚くらいになりました。 そうして火葬当日になりました。棺に手紙を入れる時には「みんな何書いたんだろう」とか「文に香りをしたためるみたいに香水でもつければよかったなあ、五感の中で嗅覚の記憶が最後に残るらしいし」などと考えていました。そのうち、手紙は祖父と一緒に火葬されました。 ーーーここまでが前置きですーーー 燃やされた手紙は煙になった訳ですが、煙はせいぜい屋根の少し上までしか届きません。ですが、煙のその先水蒸気であれば雲に届くのではないでしょうか。そして、祖父は気体になった手紙を読んでくれたと信じて...

日常

こんにちは23の制作・webヒラです。夏が近づいてきた!と思ってセブンでフローズンマンゴーを買ったのに、それを食べるほど暑くならないのでマンゴーには冷凍庫で待機してもらう日々が続いています。 今回のテーマはラブレター。ラブレターと縁遠い人生すぎて本当に書くことがないですね。テーマ検討段階ではテーマは絶許にしようと思うみたいな話を聞いていたので、自分の絶対許せないことを考えていましたが無駄でした! もう現代社会ではわざわざ手紙を書く機会も減り、所謂ラブレターなんてほとんどの人が書いたことないのではないかと思います。私も書いたことないし。それでも日常の中で人からの愛というと大袈裟だけど優しさみたいなものを感じる瞬間はあって、ラブを伝えているという点でそれが一種のラブレターと言えるんじゃないでしょうか。 例えば一緒にご飯を食べにお店に入った時、私が選んだメニューを見てそれ好きそうだなと思ってたとか言われると、あ私の好きなもの覚えててくれてるんだなって嬉しいし、私の好きなもの覚えてくれるくらいには私のこと好きじゃん!って思います。 他にもこの前道歩いてるときにこんなの見つけたよ〜好きそうと思って!とか言われるのも嬉しいですね。書いてて気づいたけど人に好きなもの覚えててもらったり、一緒にいないときに思い出してもらえるのが好きなのかも。 それでいうと、一緒にいないときに思い出してもらえたんだって一番思えるのは個人宛のお土産ですね。義務で何人にまとめて配るやつじゃなくて。私のこと考えてお土産選んでくれてたんだなと思うし、そもそも楽しい旅先でわざわざ思い出してもらえる存在になれてるのって良すぎる。 日常会話の中にも相手を思いやる気持ちは存在してて、捉え方や相手によってはそれが愛になるのかなと思います。自分も頑張って思いやりを持って生きていきたいですね。私は自分の気持ちを表現するのはあまり得意じゃなく、一歩引いた冷笑的なスタンスを取ってしまうことも多いけど周りに少しでもラブが伝わっていたらいいな。 ちなみに私が絶対許せないことは、ラッシュ時の駅の改札の前でいきなり立ち止まる・トイレットペーパーのちょい残しです。

みなさんへ

好きな子にハガキを出したら、貰うだけでは申し訳ないからお返事を書きましょうか?と言われてその場で一気に気持ちがしぼみ、そんなら要らない!と突っぱねたことがあります。貰えるもん貰っときゃよかったかしら。でももし当時に戻ったとしても、やっぱり要らない!って言う気がします。おてがみってそういうことじゃないから。 私の平成女児だった時分はおてがみ文化が隆盛を極めたものでした。当時ご学友から貰ったおてがみはみんな宝物箱にしまってあって、読み返す度すごくうれしい気持ちになります。文章量は三行くらいしかないのですが、「だいすきだよ。」「あそんでくれてありがとう。」「またあそぼうね。」って、一番うれしいことが一番伝わるように書いてあるのが素敵。おてがみにとって大切なのは受け取った相手に気持ちが伝わるかどうかですから、10年も「だいすき」の伝達に成功しているこのおてがみたちはかなりの秀才と言えます。 秀才は言葉以外でもコツコツ愛を伝えてくれます。かわいい封筒を使ったり、折り方を工夫したり、レートの高いシャカシャカシールや大事にしていただろう鉛筆キャップを「かわいいやつあげるね。」って同封したり。そのひとつひとつできゅんとさせてくれる、素晴らしきおてがみたちを私は愛しています。 『樹に触れる』では、私は宣伝美術と衣装小道具に携わっています。求められるままにそれらしいものを用意すればいいや、じゃなくて、この熱が正しく伝わるように趣向を凝らしたい。10年、それ以上にあなたの心に残る劇にしたい。 私たちの作るものが温かさの伝達に成功しますように。劇場を出たとき、1000年前に貰ったおてがみのことを思い出してくださいますように。今、駒場の小さい箱庭に言葉や光や音を詰め込んでいます。 プリ続けてよかった人より

開墾休暇のすすめ

こんにちは〜鞄にきりたんぽを吊るし、家にメタモンを迎え、購入して1か月に満たない帽子を東シナ海の彼方に置いてきた 23 代の者です。 今回の作業場日誌のテーマが「ラブレター」と聞き、驚きました。なぜなら、引退公演の作業場日誌のテーマが何であれ、私は劇工舎プリズムで出会った方々への愛と感謝を綴った文章、「ラブレター」を書こう、いや書かなければならないと思っていたからです。   私は人に直接愛と感謝を伝えるのが得意ではないです。特に前者。 9 割方心に仕舞われてお蔵入りですね。 個人的なイメージでは愛=スキンシップなのですが、多分私プリの皆さんに、まともなスキンシップをしたことがないのでは …? (私のような人が同期舞監の肩を強めに叩いたり、後輩役チの肩に肘を置いたりしてた光景がフラッシュバックした人々 … あれは … 私じゃないペポから … ) せっかく「友」という字を名前に授かったのに、友愛の能力に乏しい人間に育ってしまい、両親には申し訳ない限りです。(ちなみに「香」の由来は女性らしさらしい。そりゃあ下の名前のイメージがないと言われるわけですわオホホホ ho )   作演は、私のような普段愛情をあまり示さない同期にこそ赤裸々な「ラブレター」を書いて欲しかったのか?それとも、「ラブレター」ではなく、それにまつわる思い出とかを綴ったほうがいいのkいやそんな思い出はないのでやっぱ愛の文、書きます   ♡   まずは先輩方へ。 21 の先輩は、特に御二方にお世話になりました。 お一方は、引退された後の秋公演にも関わらず、ほぼ毎日調光に来て当時初音響オペだった私に全てを教えてくださいました。音オペ生みの親です。もうお一方は、音響の仕込みとかについて色々教えてくださったのはもちろんなんですが、人見知りの私にロビー番の時たくさん話しかけていただきました。ロビーの雰囲気が良いと小屋入りは楽しいものになるのかも、と思って翌年の夏公でロビーで一人になってた後輩に話しかける、という行動をするくらいには影響を受けました。   22 の先輩方はスイッチのオンオフの切り替えがすごくて、舞台上で演技していたり、責任ある仕事に向き合ったりされている時はとてもかっこいいんですが、遊びの時は面...

体験より

昨春、とある活動者にファンレターを送りました。私にとっては正真正銘ラブレターのつもりで送りました。その経験によって分かったのは、「ラブレターを書くのはすごく大変である」という事です。 まず、店頭で便箋や飾りのステッカーを選んだり、少しでも不快にさせず度を超えないながらに想いを伝えられるよう内容を熟考したり、一文字ひともじ丁寧に綴ったり、手紙を書くこと自体の大変さがあります。 加えて、その前後にある葛藤にこの上なく気力がいると思うのです。ラブレターに限らず手紙を送る時は相手の事を考えます。もっと言うと、手紙を受け取った時の相手について考えます。 忙しいだろうに迷惑じゃないかな。重くないかな。当たり障りのない文章で面白くないだろうな。なんて思われるかな。ちょっと億劫になってきたな。やっぱり手紙出すのやめようかな。 相手を思っての迷いや、そう見せかけた自己保身的な躊躇いがぽんぽん浮かびます。 それでも、何よりこの想いを相手に届けたい、と様々な逡巡を振り切って相手に送るという行動こそラブレターの本質というか、そこに大きなラブが詰まっているのではないかなと思います。 話題はうってかわって、演劇の感想って書くのが面倒くさいんです。実に多くの様々な要素が絡まり合って成り立っているし、ときに頭にぼんやり思い浮かんでいる事を言語化しなくてはならないから。 だけど、そんな面倒くささをものともせず感想を送ってくれることは、ラブレターを送ってくれることと同じだと私は思います。 そう考えると、私は劇工舎プリズムにいる間、たくさんのラブレターを貰ってきたのだと思います。 劇を観に来てくださった人からいただいた感想をフォームの回答欄から眺めた時。プリズムにいる/いた人たちから通しの後にフィードバックを受けた時。そして、同期のみんなから温かくて真剣な言葉を直接聞いた時。 本当に目一杯のラブを受け取ってきました。幸せ者です。 また、自分へのラブに喜ぶのは当然なのですが、面白いことに演劇を作っていると他の人に向けられたラブを見ても嬉しくなるんですよ。 周りの役者がラブレターを貰っていると、そうでしょうと激しく首を縦に振りたくなります。音響の操作に言及されているともう鼻高々です。 他にも、毎度新鮮に驚かされる舞台、天才的な照明、練りに練られた映像、センスが光る宣伝美術、おしゃれで独創的な衣装、リアルが追...

あなたと、ふたり。

23のみんなの文章を読みながら、笑ったり泣いたり変な顔になったりしています。こんにちは。最近、俳人がお題から連想して…と言って、お題とほぼ関係ないことを詠む場面に遭遇しました。今回はその人を見習って、話派生スタイルで行きたいと思います。 ラブレターのいいところは、一対一のやりとりであることだと思います。ラブレターだと気持ちは一方通行な場合もあるかもしれないけれど、やりとりの中には2人だけ。なので、ラブレターに限らず、手紙やDM、LINEの個人チャットも好きです。 ただ、ここに挙げたものはすべてやりとりがものとして残ってしまう。手紙は紙として、DMやチャットはデータとして、相手が捨てたり、消したりしない限り。形に残ることは決して悪いことではないと分かっています。ものとしてずっと残るから、自分の言葉が相手の記憶の中で別の言葉に変化してしまうことはないし、何度も見返せる。私にとっても、誰かから目に見える形でメッセージをもらうのはとてもうれしいことです。好きな人ならなおさら。好きな人たちの優しい言葉たちに触れたくて、何度も見返してしまいます。 でも、私が送り手になれば話は変わります。手紙なんて、私の場合その場の勢いで書くのに、相手に何度も読まれてしまうなんて。ハリーポッターに出てくる、一度読んだら燃えてしまうあの便箋が欲しいです。ただ、あの便箋は激しい感情を伝えるためのものであって、さらに内容を送り主の普段の100倍の声量で読み上げるそうなので、そこは嫌かも。耳にも心にも優しくありたいと思います。 やっぱり、やり取りをするなら一対一の対面がいいです。どんなに周りに人がいても、会話の間はその人と2人きり。の気持ち。手紙は便箋や筆跡から相手を感じることができるけれど、対面だったら目線や息づかい、声や表情、いろんな情報から相手を感じられる。何より気持ちを私全体を使って直接伝えられる。あと、相手の記憶にだけ残るというのもいいなと思います。私の言葉が相手の記憶の中で別の言葉に変わってしまっても、やりとりのときの気持ちはずっと変わらないと思っています。拙い言葉たちは忘れてもいいから、優しく、うれしい気持ちがそのままぼんやりと相手の心に残ればいいのです。 思ったより脱線しなかった。テーマが「ラブレター」だったので23への愛を語ろうかと思いましたが、先に同期が存分に語っていたし、お察しの通...

きっと

どうも しがない照明ヒラのものです。 作業場日誌、前はいつ書いたんでしょうか、思い出せないくらい書いていませんね。人に見せるような文章を書くのが本当に苦手で、どうしても、ちょけたくなるというか、ちょけて書いてると今度は飽きてくるとか、なんやかんやでまともな文章を書き切れたことがありません。 今回もきっとそうなっていることでしょうが、どうか、見逃してください。 今回のテーマはラブレター、随分と酔狂なテーマにしてくれやがりました。書いたこともなければもちろんもらったこともありません。悲しいね。 男子校出身で、ろくに恋愛もしたことがない(いまさら高校が別学なことを言い訳にしていて非常にダサいのはさておき)私にとってはかけ離れたものです。 きっと同期の舞監なら当たり前のように同期舞台屋への、プリズムへの愛を語っていることでしょう。本当に、すごいやつです彼は。まぁそんなところが彼の信頼できるところで、信頼したくなるところでしょう。 きっと彼女ならば、先輩への愛と、同期への愛と、後輩への愛と、いくらでも書き連ねて作業場日誌担当を困らせることでしょう。彼女が愛を向けるから、彼女はみんなから愛されるんでしょう。どんなミスでも仕方ないか、なんて笑ってみんなで助け合えるのでしょう。 きっと彼ならば、演劇への愛を語る、ように見えて腐れ縁、みたいな書き方をしそうです。時間ねぇ忙しいって言いふらしながら、演劇のことを考える時間はちっとも減っていなそうな、そんな熱量が、彼の脚本の面白さなんでしょう。 きっと彼女ならば、なんて言おうかと思いましたが、もう書いていましたね。新歓、任せっきりにしてしまってごめんなさい、なんて懺悔はもう遅いかもしれません。彼女の演技を思い返してみれば、何にでもなれるんだなぁ、なんて気づきがありました。そんなところが、彼女の演技の味、なんでしょう。 きっと彼女ならば、役について、今回の公演について、語っていそうです。今回は演出なんて大変そうですが、きっちりイメージの合う音を入れる仕事人で、どんな役でも早いうちから形にしちゃう要領の良さ、みたいなのが彼女が誰からも頼られて、好かれる所以なのでしょう。 きっと彼女ならば、人、というよりもの、への愛を語りそうです。責任感があって、隣でオペしている時は誰よりも頼れる、それでいてちょっぴりおかしなところが楽しい、そんなところが私た...

立つ鳥跡を濁す

こんにちは、23代の罪人兼「舞台チーフ(笑)」だったほしです。 24の罪人の存在がデカすぎる、かつ、世界がほしに甘いせいであまり罪に問われませんが、針で人刺してますし、作演投票の半数近くはすっぽかしたし、作業場日誌系は基本遅刻です。今回は早めに遅刻を悟って1個後ろの人と投稿日を交換してもらいました。それでも尚遅刻気味です。 自分が書く最後の作業場日誌のテーマは「ラブレター」らしいです。欲しいですね。ください。 ということで、24代の後輩たち、ほし先輩にお世話になったよね。 ラブレターなんて大層なものじゃなくていいので直筆の!手紙が!欲しい!もちろん愛を綴っても!寄せ書きじゃ書き足りないでしょう! この話を以前23代役チとしたのですが、自分から求めるものじゃありません!と言われました。本当にその通りだと思います。でも欲しいものは欲しいんです。そのためならいくらだってかっこ悪い先輩になれる。くれた人には全力のラブレター返すし、何でもお願い1個くらい聞くから...。もし自己申告してくれたら引退のわちゃわちゃに間に合うようにほしも書くよ〜...。お前からは要らないよって時は言ってね、書かないよ〜...。 とまあ、これだけ手紙に執着するくらいほしは手紙が好きです。手紙ってそれが本音か建前かは置いておいて、基本的に内容が優しい。20年以上生きてきて暴言で埋め尽くされた手紙は未だ貰ったことがありません。 実際、ほしはこの世の手紙の9割はラブレターだと思ってます。わざわざ自分のために時間を割いて言葉を綴ってくれる。愛じゃん。一定の好感度がないと手紙なんて書きませんからね。貰えると嬉しいわけです。書こうと思ってくれた気持ちが嬉しい。しかも実体があるから何度でも読み返せて何度でも嬉しい気持ちになれます。コスパがいい。 そして文字に起こすときに1回考える時間があるので、伝えたいことを上手く言葉にできるのが手紙のいい所ですね。天邪鬼かつ口が悪いほしみたいな人間にとっては非常にありがたい。会話だと、ふと口にした言葉が相手の顔を歪める。するともう取り返しがつかない。その後何を言ってもフォローにしかならなくて。そんなこと言いたかったんじゃないのに...。日々後悔の連続。文面でしか素直になれない。だから手紙を書くことが好きなんでしょうね。 そんな事を書いているとSlackから通知が。 「@ほし 作...